コートをいで荷を置き、三人が席に著いた後でコースの説明があった。今日は、チーズフォンデュのコースである。柚子が招待するはずだったチーズフォンデュの店がダメだったので、せめてメニューだけでもと、奈の決めたコースである。

早速、オリーブとチーズとタコを使った可らしい前菜と食前酒のキールが運ばれてきた。三人の初めての食事會を祝して、という奈の音頭で乾杯し、三人はグラスに口をつけた。

「こういうお店、どうやって見つけるんですか？」

冬璃は、奈に訊ねた。

「食事にったり、われたりしているうちに自然とね。ここは、〈クラプロ〉の社長が知ってた店」

えっ、と冬璃は口元に手をやった。

通稱〈クラプロ〉――〈クランプロダクション〉といえば、この五年で臺頭してきた、新進気鋭の蕓能事務所である。畫共有サイトでのコンテンツ配信に特化していて、所屬タレントを、自社が持つ配信チャンネルの番組に出演させている。その金回りの良さは、業界でも有名だった。

「引き抜きの話ですか？」

冬璃が、恐る恐る訊ねる。

「そ。一千萬で來ないかって」

「え、年収ですか？」

「月」

冬璃は息を呑んで固まった。

前菜の席には衝撃が強すぎるネタである。

「行くんですか？」

恐る恐る、冬璃が訊ねる。

これから味しいフランス料理――チーズフォンデュのコースが運ばれてくる前の會話ではない。オファーの報を私なんかに明かして、一何のつもりなのだろうと、冬璃は警戒のを浮かべる。

「ばっと稼いで早期引退、っていうのも悪くないかもねぇー」

奈はそう言って、オリーブをぱくっと口にれた。

言葉を失う冬璃の張した顔を、奈はくすくすと笑いながら楽しんだ。冬璃の考えていることを、その態度から奈は予想する。自分が移って、チャンスと思っているかもしれない。あるいは、〈晝いち！〉のメインＭＣが抜けて、また大きなキャスト代えの可能を考えているかも。奈は、キールをもう一口飲んで、ふふっと笑った。

「え、柚子先輩、知ってました？」

冬璃は、柚子に訊ねた。

柚子はらかい笑みを浮かべながら応えた。

「うん、前に、池さんがうちに遊びに來た時、聞いたよ」

柚子の答えを聞いて、冬璃は再び驚いた。

柚子先輩と池さんは、いつからそんな仲になったのだろう。柚子先輩の家に池さんが遊びに行ったなんて話は、全く知らなかった。池さんも柚子先輩も、ＳＮＳにそんな話を載せていない。いつのことだろうか。

「椎名、まだそういう話來ない？」

「え、來ませんよ。普通來るんですか？　――柚子先輩、來てます？」

冬璃の問いに、柚子は曖昧に笑って答えを濁し、代わりに言った。

「でも、月一千萬は、なかなか無いよね」

「けるんですか、オファー」

「うーん――」

と、奈はタコを噛み、呑み込んでから答えた。

「殘念、けないよー」

奈はおちゃらけた口調でそう言ったが、冬璃はその答えに、安心したわけでも、奈の言うように「殘念」に思ったわけでもなかった。冬璃にとっては、奈が局に殘ろうと、オファーをけてフリーになろうと、あまり関係がなかった。

柚子は、二人のやり取りや冬璃の若い反応を見て、笑っていた。

冬璃は、柚子の笑顔で安心すると同時に、腹も立ってきた。いくら後輩とはいえ、自分だけ蚊帳の外で遊ばれている、そんな気がした。

「もし池さんがフリーになって降板したら、〈晝いち！〉のメインＭＣって、たぶん柚子先輩ですよね？」

冬璃の渾の一言に、奈はにやりと笑い、言った。

「椎名は新見さん推しだもんね」

「……」

冬璃は、黙ってしまう。

奈の言う通り、冬璃は、〈晝いち！〉のメインＭＣが、なぜ柚子ではないのかと、心ずっと思っていた。わざわざ自分のために時間を作って、相談に乗ってくれたり、原稿読みの練習に付き合ったりしてくれる。そんな柚子に敵意を向ける奈のことは、正直な所冬璃は、苦手を通り越して嫌いだった。日頃は、それを表に出してはいけないので、「苦手」ということにして、自分にもそう言い聞かせていたが、この瞬間冬璃は、自分の奈に対するを、はっきり自覚した。

「椎名さん、私推してくれるの？」

笑顔の柚子にそう聞かれ、冬璃は、殘りのキールを一気に飲みした。

「おぉ、豪快！」

奈が言った。

丁度そこで部屋の扉にノックがあり、三種類のチーズフォンデュが赤、白、青の鍋で運ばれてきた。その他にもパン、野菜、ブイヤベースの皿が続々と、テーブルの上に並べられる。最後は、新しいグラスに白ワインが注がれた。

冬璃は、特別な接待をけているような気がした。日頃冬璃は、メディア業界や蕓能業界の関係者と飲み食いすることがほとんど無い。外食も、気になる喫茶店に一人こっそり行って、コーヒーや紅茶でケーキを楽しむくらいなものだった。

「味しそうですね。チーズフォンデユなんて、人生二度目くらいかも」

奈はそう言うと、早速先陣を切って、フォンデュフォークにブロッコリーを突き刺し、そのブロッコリーにチーズを絡めた。一口でそれを食べた後、奈は深く頷きながら言った。

「うーん、味しい。チーズが濃厚」

柚子と冬璃も、それぞれに好きな材を選んでフォークに刺した。柚子にとっても、チーズフォンデュは久しぶりだった。チーズに海老を絡めて食べた後、新しく運ばれてきたフレッシュなシャブリを飲み、柚子はほっと息をついた。

「ワインの味はどうですか？」

奈は、ちらと柚子に目をやって聞いた。

「すごく味しいよ。池さんが選んでくれたの？」

「いえいえ、店の人に任せましたよ。私はワインの味なんて――」

奈は言葉の途中で、ワインをし口に含んだ。

「あぁでも、これは飲みやすいですね」

「ね、味しい」

「柚子先輩と池さんって、あの……」

冬璃はそう聞きかけて、途中で言葉をしまった。仲良かったんですか、と骨に聞くのはさすがに憚られる。

柚子と奈は顔を見合わせた。

冬璃が何を自分たちに聞こうとしたのか、わざわざ冬璃の言葉を催促するまでもなく、二人にはわかった。特に奈には。

「新見さんに相手にしてもらえないから、もうライバル辭めちゃったの、私」

奈がそう言い、柚子の笑顔が困り笑いに変わる。

「そうなんですか？　でも……」

奈は柚子を押しのけてメインＭＣを勝ち取り、ＳＮＳのフォロワー數や、局が獨自の基準で出しているアナウンサー別の人気ポイントも、今は奈の方が上だ。奈がもう柚子の事を相手にしていない、というのならまだわかるが、柚子に相手にしてもらえないからライバルをやめたとは、どういうことだろうか。相手にしないのは本當は自分の方、という意味の皮だとすれば、柚子先輩にかなり失禮だ。

まさか今日は、それを私たちに宣言するためにこの會を開いたのではないかと、冬璃はそんなことを考えてゾっとした。柚子先輩はどんな顔をしているだろうと、冬璃は柚子の表を覗った。

「新見さんと話してたら、なーんか、人気ポイントだのランキングだの、馬鹿らしくなっちゃって」

「でも、私は池さんすごいと思うよ」

柚子が、奈にそんな言葉をかけるので、冬璃はさらに二人の関係がわからなくなってしまった。柚子の聲には、を隠したり、何かを取り繕うような雰囲気が無い。落ち著いた、耳に心地良いソプラノトーン。

「私にはお二人とも、雲の上すぎて……」

冬璃が言った。

奈はにやっと微笑んだ。

「椎名、結構煽られてるんでしょ」

「はい、ホント、そうなんですよ。池先輩も柚子先輩も、もう、完されてるじゃないですか。私そんなの絶対無理なのに、発破かけられます」

奈と柚子はうんうんと、頷いた。

あいつを越えろ、お前じゃ無理か――等、し偉くなった男は、決まってそういう事を若手のアナウンサーに言い出す。賢くて容姿も良いを支配している、その征服に酔っているのだ。そこで爭っても馬鹿を見るので、新人であってもの方は、権力を持った男連中のを上手く躱しつつ、利用しつつ、自分の価値を上げていく。

「ホント、ムカつくよね」

奈が言った。

冬璃は、目を丸くして、思わず笑ってしまった。

「私たちをアイドル扱いして、ランキングとか馬鹿みたいなことやってるくせに、ちょっとアイドル風に振る舞うとさ、調子に乗ってるとか、それはそれでグダグダ口叩くんだよね」

冬璃は、深く何度もうなずいた。自分の心の中の鬱積した不満を、奈が代弁してくれているようでスカっとした。

「椎名も相當溜まってるんでしょ？」

「……はい」

奈の問いに、冬璃は素直に答えた。それが面白くて、奈と柚子は笑いあった。冬璃の口をもうし軽くしようと、奈は冬璃が直面しているだろう問題や、若手のアナウンサーにありがちなプレッシャー、上司や同僚の無理解についての悪態を、軽妙に語った。そのうち冬璃も、奈の憎まれ口の調子に巻き込まれて、頷くだけではなく、自分から口を開いて悩みや不満を口にし始めた。

柚子は二人が盛り上がるのを、にこにこ笑いながら聞いていた。何はともあれ、後輩二人が仲良くなってくれるのは、柚子にとっては無條件に嬉しいことだった。しかし、話を聞いているだけの柚子に、奈は何かしゃべってもらいたいと思っていた。頃合いを見て、奈は話題を変えて柚子に聞いた。

「そういえば新見さん、例の彼とは、どんなじなんですか？」

以前奈は、柚子の家に遊びに行った時に、柚子の事について聞いていた。近頃、デートにってくれる男がいると、そのことだけはその時に柚子が打ち明けた。そしてまだ、人という関係ではないということも。

「え、柚子先輩、良い人いるんですか？」

冬璃の問いに、柚子は恥ずかしそうに笑う。

それから柚子は、飲みかけたワインのグラスをテーブルに下ろし、俯いた。そうして、しの逡巡のあと、口を開いた。

「友達じゃなくて、先に進みたいって言われてるんだ」

柚子の言葉を聞いて「ええっ！」と、奈と冬璃は途端にめき立った。

柚子は、二人に聞かれるままに、棲常明のことを二人に話した。明が〈Ｎ・ドーベル〉のＣＥＯだということが柚子の口から語られると、奈は早速、明とその會社のことを攜帯端末で調べた。『若手ＩＴ長者ランキング』に明の名前が載っているのを見つけて、奈は興して、その畫面を冬璃に見せた。

「かなり優良件なんじゃないですか？　顔も、悪くはないし」

ネットを漁った結果出てきた明の顔寫真を見ながら、奈が言った。

「え、じゃあ、柚子先輩、結婚するんですか？」

冬璃が訊ねる。

「気が早いよ。結婚の話なんかは、まだ全然出てないよ」

「でも、友達より先に進みたいっていうことは、それって、プロポーズみたいなもんなん

じゃないですか」