《星の海で遊ばせて》海月のクオーツ(5)
「理ちゃん、カメラマンになったんだ」
「まぁ、カメラ関係ですかね。二年後の下見もかねて、練習がてら撮らせてもらってます。撮った寫真、良さそうなの絞って、後日送りますね」
「ありがと。みんな喜ぶと思うよ。プロの寫真なんて。――私、寫真屋さんのほうまで気が回らなかったんだよね」
「いえいえ、プロっていっても、私なんてアマチュアにが生えた程度です」
柚子はテーブル上のカメラに視線を落とし、理は、ソファー脇の観葉植を何となく眺めながら言葉を探した。
自分と新見先輩がいれば當然、水上先輩の話題になるのが自然だ。しかし理は、高校の二年生に上がってすぐの頃、柚子と詩乃が分かれたという話を、風の噂で聞いて知っていた。もう遠い、十年前の出來事である。だから、そんなこともあったねぇ、という思い出話で話せるはずだった。柚子の顔を見るまで、そして今ソファーに座って向かい合うまで、理は詩乃の思い出話をしようと思っていた。
しかし理は、柚子が詩乃の話を避けているのをじた。
二人の間に一何があったのか、知りたい気持ちと知りたくない気持ちが、理の中に起こった。それとも、新見先輩はただ疲れているだけだろうか。どこか寂し気な柚子の表は、テレビに映る新見アナとは違うしさがある。
「新見先輩、今付き合ってる人いるんですか」
明るい口調で、理は柚子に訊ねた。
柚子は顔を上げ、笑いながら応えた。
「それに近いような人は、いるよ。理ちゃんは?」
「私は全然。今度紹介してくださいよ」
理の明るさに、柚子は救われるような気がした。理が詩乃の名を出さないのも、自分に気を使っているのだと柚子には分かった。柚子はすうっと息を吸い、口を開いた。
「私、水上君と別れちゃったんだ」
理も、し息を吸い、ちょっと間を開けてから応えた。
「なんか、風の噂で聞きました。本當だったんですね」
「うん」
「――絶対後悔してますよ。新見先輩みたいなイイ、日本中探したっていませんよ。復縁しようとか、連絡來ません?」
ううん、と柚子は首を振った。
「連絡先、わからないんだ」
「え、そうなんですか!? でも、新見先輩、どこでも見られるから、どっかで見てると思いますよ」
「どうかな。水上君、テレビとか全然興味なかったから」
「いやぁ、さすがに元カノが出てたら見ますよ」
柚子はカメラに再び視線を落とし、そうして靜かにぽつりと言った。
「――でも普通、見てたら、一回くらい連絡、來るもんだよね」
柚子の言葉はやけに暗く、っていた。
理は柚子がどうしてそんな事を口にしたのか、その裏の意味をじ取って、背筋が冷たくなった。
「いやでも、どうですかね――ただ見てないだけか、気まずくて連絡できないだけだと思いますよ!」
理はしどろもどろに言葉を続けた。
「まぁでも、そんな、どっかで何かやってますよ。――それより、今の先輩のの方が、私気になります」
「うん……そうだよね」
「はい。――もうすぐ誕生日じゃないですか、先輩」
「え、覚えててくれてたの!?」
「當然ですよ」
理はそう言うと、ショルダーバックから四角い平らな小箱を取り出して、柚子に渡した。驚く柚子に、理は、「誕生日プレゼントです」と言って笑みを見せた。中には三枚のハンカチがっている。一枚は赤い薔薇の描かれた白地のハンカチ、もう一枚は羊のイラストの刺繍されたもの、そしてもう一枚は、表は白、裏は黒というだけのシンプルなもの。
「えぇ、いいの? ありがとう!」
いえいえ、と理は応えた。
「今の彼、どんな人なんですか?」
うーん、と柚子は考えてから応えた。
「優しいよ。頭も良くて。友達みたいなじ」
「――でも、新見先輩、業界が業界だから、神経使うんじゃないですか。噓ついてるんじゃないかとか、なんか、々と」
「でも、疑ってばっかりもいられないよ。怪しい人には気を付けるけど」
理はぎゅっとを結び、それから、ベストの、たくさんあるポケットのうちの一つから、自分の名刺を取り出した。それは偽裝のための名刺ではなく、正真正銘、自分の名刺だった。理はそれをカメラの橫に置き、すっと、柚子の前に差し出した。
柚子は、理の急に改まった態度に疑問を抱きながら、名刺を手に取った。
そうして、柚子の顔にし変化があったのを確認し、理は柚子に訊ねた。
「新見先輩、十二月三日の日、その彼とデートをする予定とか、ありますか?」
柚子は、名刺から理へと目線をかし、し沈黙した後、ある瞬間、ふっと力を抜いて、応えた。
「うん。クルーザーで東京灣回るんだ」
理は、ぎょっとして、柚子を見つめた。
柚子は、そんな理の眼差しをけると、らかい微笑を理に返した。
「貸切り、ですか?」
「うん」
理は、頬を固めた。
正を明かした自分に、そんなことまでどうして打ち明けるのか、理にはわからなかった。普通ならもっと、裏切られたような顔をして、軽蔑の眼差しで見るものだ。私は、二人の間にあった関係を、自分の利益のために利用した。「そんな人だと思わなかった」とか、「信じてたのに」とか、そんな言葉を突き立てられて當然だ。
間違った名刺を渡したのかと、理は柚子の持っている名刺を覗き込んだ。
柚子は、目元にヤンチャな笑みを浮かべて理に聞いた。
「私、何かスクープされちゃう?」
理は両手をテーブルに突いて柚子に言った。
「先輩は、なんでそんなに無防備なんですか」
理の、取り調べをする刑事のような格好に、柚子はふふっと笑ってしまった。
「本當に笑い事じゃないですよ先輩。先輩が言わなきゃ、私、このまま撤収するつもりだったんですよ!?」
「理ちゃんだって、私の言った事、噓だと思わないんでしょ」
「だって先輩は、噓つくくらいだったら何も言わないじじゃないですか。私みたいに、出まかせとか、絶対言わないじゃないですか。その、クルーザー持ちの彼の名前だって、聞いたら教えてくれるんじゃないんですか?」
「彼の名前? えっとね――」
「いい! 言わなくていいです!」
理は、テーブルに突いた手を結んだり開いたりしながら、顔は、眉間にしわを寄せを引き結び、苦悶の表を浮かべた。柚子は、理の頬に優しくれた。その不意打ちに、理の目にじんわりとと涙が滲んだ。
柚子は、理に微笑みかけた。悲しいことがあった時、痛い思いをしたとき、姉はいつもそうしてくれた。優しく頬をでてくれて、抱きしめてくれて、笑いかけてくれた。
「本當に良かった、理ちゃんに會えて」
柚子はそう言いながら、そうしたのが分からないように、靜かに手を引っ込めた。
理は、乗り出していた上半をソファーに戻した。
「――私、帰ります。本當は部外者ですから」
理は、目の涙を払って、急いでショルダーバックを肩にかけた。
「待って!」
柚子はそう言って、理が引き上げるより早く、テーブルの上のカメラを押えた。
「最後まで、寫真、撮っていってよ」
「何言ってるんですか」
理は、ソファーから腰を浮かせた姿勢のまま、柚子に言った。
柚子は、理のカメラを持とうとした袖を摑んた。
「理ちゃんは部外者なんかじゃないよ! ――そんな、悲しいこと言わないでよ」
理は一瞬きを止め、それから、袖をつかむ柚子の手に、もう片方の手をかぶせるようにして包み込んだ。
「先輩、私は――……。私も、新見先輩に會えて良かったです。でももう私は、後輩じゃなくなっちゃいましたから」
理はそう言いながら、靜かに柚子の手を自分の袖から引き離すと、カメラを取って、絨毯の廊下をホテルの出口へ向かって速足で歩き出した。柚子は立ち上がって口を開いた。しかし、理の背中に聲をかけることはできなかった。
一度も振り返らずに、理はついに自ドアの夜の奧に消えてしまった。柚子は深く目を瞑り、理に貰ったプレゼントの箱を両手で持って宴會場に戻った。
同窓會は歓談の時間をたっぷり取り、そのあとは寫真、畫鑑賞へと移った。ステージのスクリーンいっぱいに、卒業アルバム寫真のハイライトが〈茶ノ原高校のマーチ〉のBGMとともに映し出され、育祭、文化祭の時の畫がそれに続いた。懐かしい寫真や映像を見た後は、元軽音楽部の人気バンドが、十年ぶり、今夜だけの再結ライブで一曲を披した。
次にステージに上がったのは、元ジャズ研のメンバーだった。電子ピアノとトランペット、ギターが二人、そしてドラム。楽とジャズ研を見れば、これから何が始まるのか、茶ノ原高校の生徒なら皆が知っていた。
狩野窪譽は、酒の力も借りて放送部のダンディーだった頃を取り戻し、マイク片手にステージの脇に立った。
「今日はあの頃に戻って楽しもう。覚えてるだろ、この曲――ワン、トゥー、ワントゥスリー!」
譽の低い聲の合図で、元ジャズ研メンバーの演奏が始まった。
〈Rock Around The Clock〉――育のダンスの授業で、毎回のウォーミングアップのように踴って、踴り倒した曲の一つである。軽快なリズムに、皆の顔がぱっと明るくなる。
踴りを生業にしていたクラブの生徒たちは、早速一組、二組とペア作って踴り出す。踴らない元生徒たちも、足や手でリズムを取り始める。柚子も、座りながら、全を揺らした。をリズムに乗せながら、柚子が思い出すのは、二年生時の育――ダンスの授業がある日はいつも、今日は詩乃君と踴れるかな、という期待をに朝起きた、その思い出だった。
會いたいな――。
その気持ちが、炭酸の小さな気泡の様に柚子のの奧から昇ってきた。
今詩乃君はどこにいるのだろうか。借金は、無事に返せたのだろうか。大きな怪我や病気をしていないだろうか。生きてさえいてくれれば、それでいいけれど……。だけど、會いたい。生きているなら、自分とは別の彼がいてもいい。結婚していても、子どもなんかできてお父さんになっていても構わない。何でもいいから、會いたい。
ジャズ研の演奏は、〈茶ノ原高校のワルツ〉へと移った。後夜祭でも、クリスマスパーティーでも、必ず最後に流れた曲である。しかしこの曲で柚子が詩乃と踴ったのは、たった二回だけだった。一度目は付き合って間もない高校二年生のクリスマスパーティーの時。そして二度目は、忘れもしない卒業式前日、三年追い出し祭の後夜祭。數日後の別れを知りながら、人工芝のグランドの、丸いライトの作り出した微かなのの中で、詩乃君のリードにを任せた。
ダンスの時間の後、再び歓談の時間があり、その時間のうちにクラスや部の仲間などで記念寫真を撮った。學年全員での集合寫真を撮った後はその流れで、最後は皆で校歌を歌った。
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