《ドーナツから蟲食いを通って魔人はやってくる》3話 襲撃…姫をつれて逃げる
振り返ったところで、目にるのは天幕の帆布だけである。
暖かな天幕の中ではディアナ王と侍のミリヤが眠っているはず。気の荒い王も寢顔くらいは可らしいだろう。達がベッドに橫たわり、穏やかな寢息を立てている様は微笑ましい。
想像して思わず頬が緩みそうになった時、テントの裏手からヌッと影が現れた。
──ああ……こいつは可くない
現れた年は時折のようにも見えるらしい外見をしていたが、格は悪魔的で意地悪を楽しむ傾向があった。
小憎たらしさ全開の年の名はレーベ。學匠シーバートの弟子である。
知能が高いことの代償は格だ。険で底意地が悪い。加えて自分勝手。勝手気ままに行し、居場所が特定出來ないことはよくあった。さすがのシーバートも手を焼くほど。
ユゼフが自分の天幕を出る時、シーバートがこの悪を探していた。シーバートとユゼフは同じ天幕を使っている。最悪なことにこのレーベも。
「レーベ……シーバート様が探しておられた」
伝えると、レーベは邪悪な笑みを浮かべた。
「城を出て、もう二日経ちましたねぇ。城下町を出た直後に野盜に襲われるとは不運というか、何というか……」
年は肩に提げていたスリングから、おもむろに水筒を取り出した。そして、見せ付けるように飲み始める。
ゴクリ……ゴクリ……
まだ、盛り上がっていない仏を上下させ、大袈裟に嚥下音を立てる。
全く、何がしたいのだ??──
大想像はついた。
二日間飲まず食わずのユゼフに飲んでる姿を見せつけたいのだ。ただそれだけ。
レーベの言う通り、町から離れた直後、野盜に襲われた。隊の最後尾、水・食料の積んだ馬車が奪われてしまったのである。
ユゼフは手持ちの水を全てディアナ王に差し出していた。王は我慢を知らず、飲みたい時に飲み、食べたい時に好きなだけ食べる。
「あーー、おいしかった……あれ? 何だかしそうですね? あ、もしかしてしい?……いやいや、これ僕のですもん。殘念ながら上げられませーん」
やっぱり。思った通り。
レーベは愉快そうに笑う。
水筒をまたスリングに戻した。
こういうのは無視に限る。
ユゼフはしかめ面のまま、無言を貫いた。だが、黙っていると、レーベはますます調子に乗った。
「そういえば、アダム・ローズの話って聞いてます? 老人になって死んでしまったっていう……あなたからしたら他人事じゃないですよね? だって、ディアナ様ではなくてヴィナス様の侍従(じじゅう)になっていたら……」
「まだ正式には侍従ではない」
ユゼフは遮った。
自分のことだけならともかく、亡くなったアダムまで笑いにするのは腹が立つ。
「神學校を卒業してからすぐにお仕えする予定ではあったが、ディアナ様がお気に召されるか分からなかった為、今回の外遊に従者として同行することになった。それからお仕えするか決めて頂くことになったのだ」
「つまり、まだアレを切られてないってことが言いたいの?」
「……まあ、そうだ」
「で、気にられなかったらどうなるの?」
「ヴァルタンの姓を捨てて実母の魚屋を手伝う」
「え、その顔で魚屋って……」
レーベは腹を抱えて笑い出した。
日焼けをしていない青白い顔がそんなにも面白いのか。
ユゼフがヴァルタン家に引き取られたのは十二歳の頃。歩き方から立ち居振舞いまで厳しく躾られたせいか、見た目は貴族にしか見えなかった。
「しぃーっ! 靜かに!」
また王を起こすと厄介だ。
それまで小聲でやり取りしていたレーベの聲が大きくなっている。
「さっきのやり取りも傑作だったし」
レーベは苦しそうに息を殺して笑った。
「見てたのか?」
ついさっき、ディアナ王を怒らせて蹴られた挙げ句、水をかけられた一部始終をレーベは天幕の外から覗いていたのだ。
「全く……」
だが寒い中、こんな奴でも話し相手がいて良かった。しは気が紛れる。
不思議なことに野盜に襲われたのは最後尾の補給隊だけであった。本隊は無傷。
最後尾に水と食料を運ばせるなど、とんでもないとユゼフは思うのだが、兄ダニエル・ヴァルタンにとって兵士の並びは規則正しくしくあるべきで、隊列をす補給隊は後ろが定位置と決まっているのだった。
おかしいと思っても、ユゼフには意見を言えるほどの権限がなかった。隊長の兄とは領主と使用人ほどの距離がある。
こんな狀況なのに、飲食を一切セーブしないのは王だけではない。兄もだ。いや、能天気なのはこの隊の全員かもしれない。大慌てで逃げるように王城を出たというのに。
一行はモズの中心街に著けば、けれられ歓待されるものだと信じていた。
──たった二百程度の兵で國の第一王を守っている狀態が安全だとは思えない。しかも壁に遮られ、援軍のみがない狀況だ。
何よりユゼフは嫌な予をずっと引きずっていた。
気持ちを落ち著けようと、腰袋から木箱にった嗅ぎタバコを取り出す。嗜好品には鎮靜作用がある。鼻を近付ければ獨特の匂いが鼻腔を刺激し、ユゼフはしだけ笑んだ。
これはカワウの城下町を出るときに亜人(デミ・ヒューマン)の子供から買ったものだ。長引いた戦爭の影響で城下町は子供の売りや手足のない乞いで溢れていた。
亜人──人間とは異なる種族である。
差別され、國によっては奴隷のような扱いをけている。ユゼフに煙草を売った子供も酷く汚れていて、妖族の特徴である尖った耳がちぎれていた。金を渡した時、茶ばんだ杭歯(らんくいば)を見せてニッコリ微笑む子供の顔が脳裏に焼き付いている。
一方、城では毎日のように大勢の著飾った紳士と貴婦人が集まり、舞踏會やら音楽會やらを開いていた。
り口までなら、ユゼフも兄のお供で何度かついて行ったことがある。窓から溢れる眩いや人々の楽しそうな笑い聲、楽のしい音などが聞こえてきて、自分と縁遠いことは直接見なくても分かった。
鳥の王國とカワウ王國の八年間にも及ぶ戦爭が終わったのは、二カ月前の水仙の月。
戦爭終結に當たって、両國の王と王子の結婚が確約されていたかどうかは知らない。政治的思などユゼフにとっては正直どうでも良かった。
何より最悪なのは宦(かんがん)にされることだ。兄達が無事戦地から帰國したため、ユゼフは王の侍従として仕えることが決定してしまった。
別に兄達の死を願っていた訳ではない。しかし、ユゼフは兄達が死んだ時の保険である。保険として必要なくなれば、別の方法で家のために貢獻する。貴族にとってはごくごく當たり前のことだ。けれねばならぬ。
煙草のを鼻から吸い込む。
勢いよく吸いすぎてくしゃみが出ようが気にしない。不安やらの渇きやら空腹やらがしは落ち著くのだから。
「育ちの悪さが出てますよ。見張り中に煙草なんか吸って。言い付けますよ」
「そしたら、お前が吸っていたと話す。お前の悪ぶりは有名だからな」
「うわ。最低だな。偉い人達の前では大人しい癖に」
その時、何もない荒れ地の向こうからキラリとるものが見えた。
──何だ?
この土漠は四方十スタディオン(二キロぐらい)先まで木も家もなく、見晴らしがよかった。賊が近付いて來たとしてもすぐに気づくはずだ。
一瞬だったから勿論確証はない。が、火だとしたら明るさの度合いから大分近い。
「気づいたか?」
「ええ……」
レーベの顔が先ほどとは打って変わり、こわばっている。
王の天幕は宿営地のど真ん中にある。隣には侍の天幕、し離れた所には隊長ダニエル・ヴァルタンの天幕、兵士の天幕はその周りを囲んで設置されていた。
人數は分からない。だが、隠れながらかなり近くまで近付いているのは明らかだ。暗闇の中、平伏姿勢で音をたてないよう近付くにはそれなりの訓練が必要だろう。彼らは賊じゃないのかもしれない。
「隊長に知らせに行く」
ユゼフがそう言った直後、ヒューと風を切る音が聞こえ、間をあけずボンッという発音が響いた。
衝撃と同時に見えたのは眩い赤。熱気。焦げる匂い。隣の天幕は一瞬で炎に包まれる。
それを皮切りに次々と火が飛んできた。風を切る音が背筋を凍らせる。それが何度も何度も……
數秒の間に王の天幕の周りは火の海となった。
どうやら火矢ではなくて投石機を使い、発火薬品のった玉が落下後に著火するよう仕掛けている。
左右の天幕が火に包まれた途端、ワーッという鬨(とき)の聲が聞こえた。敵が攻めってきたのだ。
瞬く間に宿営地はび聲と、剣がぶつかり合う音に包まれる。
『もう手遅れかもしれない』
ユゼフは兄の元へ行くのを諦めた。
「今のは何の音です!?」
び聲は天幕のり口に立った侍のミリヤだった。ユゼフは何も答えず、ミリヤを押し退け、天幕の中へった。脳がフル回転している時は周りが見えなくなる。
ディアナ王はベッドの上でシュミーズ※姿だった。天幕の中はランプので明るいから、王の元がはっきり見える。
「何なの? 一?」
困するディアナを目にユゼフはクローゼットを開け、中の類を幾つか引っ張り出した。
「ユゼフ、お前、気が狂ったの?」
ディアナの質問を無視し、ユゼフは背後でまごついているレーベにガウン※とマントを渡した。
「お前はこれを著て表から逃げろ」
「は?」
「敵方はここが王様の天幕だと認識している。離れた所からずっと、今も見られている可能が強い」
王の周りの天幕は正確に狙い打ちされていた。どこからかずっと見られていたのだ。そして通者もいるだろう。
「お前は背丈格好が王様に似ているし、のようにも見えるから囮に適している。俺は王様を連れて裏手から逃げる」
「ちょっと待ってくださいよ。それで僕が狙われて殺されたらどうするんです? 嫌ですよ。そんなの…」
「大丈夫。憎まれっ子世に憚(はばか)る、だ。お前は死なないだろう。悪運強そうだしな」
レーベはなかなか首を縦には振ろうとしなかった。當然だろう。どう考えても危険な役回りだ。しかも、大嫌いな男からの命令とあれば。
ユゼフとレーベは押し問答を繰り返した。
永遠に続きそうなやり取りを終わらせたのは外野である。不意に、後ろで見ていたディアナ王が立ち上がった。
「言う通りになさい。協力しなければ國に帰ってから捕えるわよ」
薄いですが、赤い線が國境で時間の壁が現れた位置です。
今、ユゼフ達がいる場所。カワウの土漠。ここから隣のモズへと移します。
※ガウン……用の服。コルセットなどでの形を整えてから著付ける。
※シュミーズ……スリップ。下著。
人相関図↓
設定集ありますので、良かったらご覧ください。
地図、人紹介、相関図、時系列など。
「ドーナツから蟲食いを通って魔人はやってくる~設定集」
https://ncode.syosetu.com/N8221GW/
【書籍化・コミカライズ】三食晝寢付き生活を約束してください、公爵様
【書籍発売中】2022年7月8日 2巻発予定! 書下ろしも収録。 (本編完結) 伯爵家の娘である、リーシャは常に目の下に隈がある。 しかも、肌も髪もボロボロ身體もやせ細り、纏うドレスはそこそこでも姿と全くあっていない。 それに比べ、後妻に入った女性の娘は片親が平民出身ながらも、愛らしく美しい顔だちをしていて、これではどちらが正當な貴族の血を引いているかわからないなとリーシャは社交界で嘲笑されていた。 そんなある日、リーシャに結婚の話がもたらされる。 相手は、イケメン堅物仕事人間のリンドベルド公爵。 かの公爵は結婚したくはないが、周囲からの結婚の打診がうるさく、そして令嬢に付きまとわれるのが面倒で、仕事に口をはさまず、お互いの私生活にも口を出さない、仮面夫婦になってくれるような令嬢を探していた。 そして、リンドベルド公爵に興味を示さないリーシャが選ばれた。 リーシャは結婚に際して一つの條件を提示する。 それは、三食晝寢付きなおかつ最低限の生活を提供してくれるのならば、結婚しますと。 実はリーシャは仕事を放棄して遊びまわる父親の仕事と義理の母親の仕事を兼任した結果、常に忙しく寢不足続きだったのだ。 この忙しさから解放される! なんて素晴らしい! 涙しながら結婚する。 ※設定はゆるめです。 ※7/9、11:ジャンル別異世界戀愛日間1位、日間総合1位、7/12:週間総合1位、7/26:月間総合1位。ブックマーク、評価ありがとうございます。 ※コミカライズ企畫進行中です。
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