《ドーナツから蟲食いを通って魔人はやってくる》10話 百姓だったけど、王になるね
父の命令は絶対である。
ユゼフは絶対に逆らえない。
「お前、シーマ・シャルドンと親しいようだが、今後は付き合わないように」
なぜ、父はこんなことを言ったのか。
ヴァルタン家とシャルドン家は元々仲が悪い。百七十年前の主國戦國時代に敵対していた経緯もある。
父は王立學院時代のシーマの風評も聞いていたのかもしれなかった。學院を我が顔で牛耳る尊大な態度を。
父に逆らってシーマと會うということはちょっとした冒険でもあった。冒険と言うより、ささやかな反抗。ほんの小さな自己主張だ。
どうせ、宦にされて王の侍従になれば、シーマと會うことなんてなくなる。會うのはこれが最後になるだろう──そう思ったのだ。
ヴァルタンの屋敷を出てから、ユゼフが向かったのは下町だった。
実母と妹に突然の出立(しゅったつ)を報告しなければならない。ディアナ王に付き添いカワウへ行くと。父からの急な要請で発つことが決まってしまったと。
ひと月以上、國を離れるから心配だった。それに加え時間がない。明朝には発つ。
母と妹達は不安を隠せずにいた。安心させようとユゼフは何度も抱擁した。
「大丈夫。國外とはいえ、一ヶ月程度だ。すぐに戻ってくる」
帰國後、宦として王家に仕える話はしなかった。
その後、母達との別れを惜しむ間もなく、約束を果たすべくユゼフは馬を走らせた。朝から何も食べていないが、腹が減っていたことなど、とうに忘れてしまっている。
なだらかな山々と巨大な湖。花々に彩られたしい土地が広がる。そのり口に聳(そび)えるのは、真っ白な城壁に囲まれたシーラズ城。
シャルドン家はヴァルタン家と同じく、王家に準ずる名家だ。そのシャルドン家のただ一人の正嫡子シーマ・シャルドンが待っていた。
シーマとユゼフが出會ったのは十六の時。王立學院で一際目立つ存在だったシーマがどういう風の吹き回しか、ユゼフに聲をかけたのがきっかけだった。
「だいぶ遅かったな」
シーマ・シャルドンは微かに笑みを含ませ、ユゼフが遅れたことを咎めた。
怒っているのかどうかは表から推し量れない。シーマはいつも薄い笑みを顔に浮かべていた。元々そういう顔なのか、意図的にそうしているのか。
遠くで教會の鐘の音が聞こえた。
夜の九時をまわったようだ。
神學校の卒業式の後、すぐに向かう約束だったのがこんな時間になってしまった。
父に呼び出されたりしなければ……
カワウ國へ行くことを命じられてから數時間が経過していた。遅くなったのは旅支度だけでなく、実母と妹達に會っていたためである。
「まあ、座れ。言い訳を聞いてやってもいい……なんだ、その顔? 誰 ? 卑屈な心が顔に出ているぞ」
シーマはいつも通りだった。ユゼフは腰掛けるなり、本題にった。
「時間がない」
「だろうな」
「ふざけているんじゃない。これは真面目な話だ」
「分かっている」
ユゼフはシーマの薄灰の瞳を見た。
目の周りを銀の睫が縁取っている。その奧にある瞳は全く笑ってなかった。薄過ぎる素は心までも過させてしまいそうだ。心の中を読まれた気がして、ユゼフは目を伏せた。
「ディアナ王がカワウ國のフェルナンド王子と婚約する事になった。王がカワウへ向かうため、俺は従者として明朝に発たなくてはならない」
一気に話すと、シーマの顔を伺う。シーマは相変わらずの薄笑いだ。
「驚かないのか? 急に決まった事だぞ」
「それで護衛隊長はおまえの兄ダニエル・ヴァルタンといったところか」
「……知ってたのか?」
「まあね。おまえの他にも各方面に親しい友人がいるもんで」
自分がシーマの取り巻きの一人だという事は分かっているつもりだったが、気分は良くない。
「ほら、また卑屈な顔をしてる。どうして事前に話してくれなかったのかと不満なんだろう?」
シーマは眉を下げて近寄り、ユゼフの肩に手を置いた。
奇の一種だろうか……
シーマにれられると、まるで心をられているかのような錯覚に陥る。ぼんやり夢見心地になり、シーマの言葉が直接脳にり込んでくるのだ。
──おまえはもっと素直に自分を出せばいい。父や兄の言いなりになるのはもうやめるんだ
ユゼフはハッとしてシーマの手を振り払った。
「で、おまえはどうしたい? 可能なら力を貸してやってもいい」
シーマは真鍮の杯(さかずき)にワインを注ぎ、ユゼフの前に置いた。
「まさかワインを斷ったりしないだろうな」
靜かな口調であっても、シーマの言葉には有無を言わせぬ何かがある。杯をカチリと合わせた後、ユゼフはワインを飲み干さねばならなかった。
「自分がどうしたいか分からない。どっちみち選択肢は一つしかない。
「違うな。選択肢は二つある」
「どんな? 父に逆らった所で勘當されて終わりだ」
ユゼフがもし勘當されれば、母や妹達も住んでいる所から追い出されるだろう。民というのは領主に逆らえば、一族ごと生きていけなくなるのだ。良いとこのお坊ちゃまには分からないだろうが。
だが、シーマの瞳は全てお見通しだと笑っているようだった。
「稚でわがままな王に仕える。しかも宦にされて。それがおまえにとっていい事だろうか?」
「従わなければ……」
ユゼフは言いかけて言葉を飲んだ。
実家の家族の話は弱味を見せるようでしたくなかった。
シーマは笑みを浮かべながら、ずっとこちらを見ている。それは不快ともむず(かゆ)いともじられる妙な気持ちを湧かせた。
「俺に仕えよ」
「……は?」
「今、ここで自分が誰に仕えるか決めろ」
「そんなこと、できるわけ……」
「ぺぺ、おまえは賢い。おまえを道としか見ていない父親に従って、愚かなお姫様の腰巾著になるのは天から授かった才能をドブに捨てるようなものだ」
シーマは立ち上がってユゼフを見下ろした。
シーマの長は四キュビット(ニメートル)近くある。座っている狀態を見下ろされると結構な威圧だ。
何もかも知っているかのような瞳に隠し事はできない。ユゼフは睫のと合っていない黒髪にぼんやりと視線を這わせた。黒髪には所々銀髪がざっている。
「おまえを気にもかけない奴らの言いなりになるか。それとも……この俺に従うか? 一人ぼっちで言葉を発する事さえ出來なかったおまえを変えたのは誰だ? 出會った頃、おまえは全てを諦め、まともな思考もできないでいた。おまえを見付けたのは誰だ? おまえの心に自由を與えたのは……」
シーマはそこで言葉を飲み込むとワインを一口飲んだ。
「ここにいるシーマ・シャルドンだ」
揺るぎない自信を持って言い放つ。
「このシーマがいなければおまえは何も出來ないし、ユゼフ・ヴァルタンという仮初めの名前すら失う。おまえは綿のった人形だ。エステル・ヴァルタンが作って王に差し上げる玩。おまえに痛覚が、覚が、視覚が、心臓が脈打っていることなど誰も考えないだろう。彼らにとっておまえは単なる「モノ」だからだ」
ユゼフはずっと下を向いていた。
『じゃあ、どうしろと?』
「このシーマに仕えるのだ」
ユゼフの顔を覗き込んだ後、シーマは心の聲に答えた。
「このシーマ・シャルドンに……いや、これは仮初めの名前。俺は王になるのだから」
「……王だと? ふざけているのか?」
ユゼフは唖然とした。今までシーマの行や考え方に驚かされる事はあったが、まさか謀叛の企てまで考えていたとは……
「いや、至極真面目だ。その証拠に俺のを教えてやってもいい」
シーマの目が再び真剣味を帯びてくる。
「以前話しただろう。王位継承権の順位の話を。國王は子沢山だ。十二人の王子と二人の王、それに國王の兄弟とその息子達。王子の子供達も合わせると、継承権を持つ脈は合計四十四人。更に王家と縁のある名家が三家、ローズ家、ヴァルタン家、このシャルドン家は三番目だ……さて、おまえに継承権があるかどうかは置いておいて、王族に近い順番に並べるとおまえは何番目だっけ?」
「五十三番目だ」
「そう。おまえの前にいるのはたったの五十二人だ。たったの。戦地で五十二人のは數のにらないよな?」
「……どうして俺の話になってる?」
シーマは笑いながら、ユゼフの肩に手を回した。
「これは考え方なのだよ、ユゼフ・ヴァルタン。おまえが俺に仕えた時、どれだけの働きをするか。前に居る五十二人を多いとじるようだとおまえは役にたてない」
ここでシーマは一旦言葉を切った。
「どうしてこういう話をするのか、教えてやろう。ジェラルド・シャルドン卿には息子が一人しかいなかった」
他人事みたいな口調だ。ジェラルド・シャルドンはシーマの父である。
「その息子は重い病にかかっていて、人前に顔を曬すことができなかった。息子が死ねばシャルドンのは途絶えてしまう。新たに子を産ませるには、シャルドン卿は年を取りすぎていた」
シーマは続けた。
「シャルドン卿は息子の病を治す湯を求め、海の奧地にある小さな島へ行った。そこである子供と出會う。賢く、魅力的で息子と同じくらいの年齢の……シャルドン卿はその子供を息子の小姓(こしょう)にしようと城へ連れ帰った」
しばらくの間、沈黙が流れる。
我慢出來ずに聲を発したのはユゼフだった。
「……で?」
シーマは人差し指を顎に當てた。
「それがこの俺、ここにいる」
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