《ドーナツから蟲食いを通って魔人はやってくる》26話 闇の気配
(ユゼフ)
投石は思いの外、上手くいった。
タールを塗った石に火を付けたのも功を奏した。まあ、辺りは巖しかないような崖の上だから火はすぐに消し止められるだろうが。
とにもかくにも盜賊共を蹴散らす事ができたのだ。ユゼフとエリザは互いの拳をぶつけ、喜びあった。
しかし、油斷は出來ない。火が止まればまた城壁を登って來るだろうし、石弾もあと數個しかない。
狹間壁から下を覗けば、崖の下で三手に分かれ、待機している盜賊達が見えた。
中心にはあの熊のように大柄でむくじゃらの男がいる。
目が慣れてきたのか、これも亜人の能力なのか、ユゼフの目は闇の中をはっきりと捉えていた。
頭領アナンの姿は見えない。
……と、急にユゼフは寒気をじ、震いした。
『また、あのじ、だ』
ナフトを出てからしばらくじていなかったのに……
あの不気味な得の知れない気配。しかも、すごく近い。
「どうした?」
エリザが心配そうにこちらを見る。
「まだしばらくは攻撃して來ないだろう。今のに俺は正面側の様子を見てくる」
「ま、待て」
行こうとするユゼフの腕をエリザが痛いくらいに摑んだ。青灰の目に溢れんばかりの涙をたたえている──さっきまでの強気な態度が噓のようだ。ユゼフはたじろいだ。
「……でも、行かないと」
こういう時、「大丈夫だ、安心しろ」と言うのが正解なんだろうが、そこまで用ではなかった。
摑まれた腕を引っ張られ、エリザとの距離がグッとまる。のバランスを崩せば、エリザの額がユゼフの顎にぶつかってしまうくらいの狀態になった。
──どうしよう
近くで見るエリザの顔はくらしかった。そばかすだらけの白いやしだけ上を向いた鼻、尖らした──
──こんな子を一人、置いて行くのか
だが、怪しい気配の方へ連れて行きたくはない。そっちの方が危険だ。
ユゼフは腰をしだけ落とし、エリザと額をくっつけ合わせた。しばし、そのまま……呼吸と心音をじ合う。
「いいか? 俺が戻らなかったら一人でも戻るんだ」
エリザは激しく頭(かぶり)を振った。瞳から涙が零れ落ちる。
「すまない……」
ユゼフはエリザの腕を振り払い、猛烈に走り出した。後ろを振り返ってはいけない──
アルメニオが城を壊すのではないかと思うぐらい大きな足音を立てて、付いて來る。
『嫌な予がする』
†† †† ††
予は的中した。
正面門に著いたユゼフはまず下を窺った。
こちら側は松明を燈していないので暗い。幸い、よく晴れた半月なので月明かりだけでも、ユゼフなら充分だった。
白い月が苔むした石壁を優しげに照らしている。月のは清らかで、この不気味な城さえ浄化するように思えた。
誰もいない。
跳ね橋も上がったままだし、城壁をよじ登る者の姿も見えない。門塔を上って調べるまでも無さそうだった。
ホッと安堵の溜め息を吐いたその時──階段をダダダッと駆け上る音が聞こえた。
目の前に聳える門塔からだ。
門塔は階下の門と繋がっている。
次の瞬間、門塔の鉄扉がバタンと開けられ、ユゼフは數キュビット※先のアナンと対峙することになった。
「いたな! ユゼフ・ヴァルタン!」
アナンは剣を抜いた。
鋼鉄の剣は月を反して煌めく。
後ろには長い髭を生やしたなりのいい男がいる。ユゼフの父と同じくらいの年齢だろうか。この男はナフトで見た。続いて門塔の階段を上って次から次に盜賊が現れる。
十數人……勝ち目はない。
瞬きする間に、ユゼフは盜賊達に囲まれてしまった。今、出來ることは一つだけ。
ユゼフはエリザに知らせる為、指笛を吹いた。
ピューーーーーー!!!
甲高い音が迫した空気を切り裂く。アナンの怒鳴り聲がそれを追いかけた。
「逃がすな! 一人たりとも」
盜賊達の半分はエリザの居る方、東の壁へ走って行った。
「剣を持っていないのか?」
アナンは丸腰のユゼフを見て尋ねた。
「今までの貴様の抗戦ぶりに敬意を表して、闘う機會を與えてやろう」
闘う……とは?? ユゼフはいまいちピンと來なかった。決闘の申し込みなどされたことがない。勇ましく戦果を挙げる兄達の影で、ひっそりと生きてきたのだから。
この會話中、主人を守ろうと吠えながら、盜賊のの中へアルメニオが突っ込もうとしていた。
「闘い」のことはよく分からないが、「守る」ということは分かる。
武を構えた盜賊達を前にユゼフはんだ。
「やめろ!!」
咄嗟にアルメニオの方へ手をばす。
これは無意識下の行。
ばした手からの筋が何本も放たれ、アルメニオを包んだ。
が消えると、驚いて立ち盡くしている盜賊達の前でアルメニオはただの亀に戻ってしまった。
『何も唱えなくても、力を使えた……長してるのか?』
「驚いたな。貴様、亜人(デミヒューマン)なのか?」
アナンの問いにユゼフは答えなかった。
言っている意味は分かる。
亜人の中には不思議な能力を持つ者がいる。
なおかつ力を使える者ははごく一部。魔の國と妖族の國に住む亜人以外は殆(ほとん)どが混だからだ。
この大陸でデミヒューマンが普通に生きられるのは、限られた土地だけ。
「まあ、いい。この間の続きをしよう」
アナンは仲間から剣を借り、ユゼフの方へらせた。
「今度は逃げるなよ?」
ユゼフが剣を取るや否や、斬りかかって來る。まるで風のごとく──鋼と鋼がぶつかり合う金屬音が響く。
『重い……』
けるだけで剣が吹き飛ばされそうになる。力の差は歴然で柄を握り締めるのがやっとだ。ユゼフはイアンと真剣で立ち合った時のことを思い出した。
「弱い! 弱いな! そして遅い!」
アナンが繰り出す縦橫無盡の剣撃に対し、ユゼフはギリギリで避けるしかない。それでも何とか避け続けるが……
恐らくアナンは手加減していた。
ユゼフの技量を量るためだろう。
しばらくすると、激しい攻めにユゼフのは疲労してきた。
走り慣れてない者がいきなり長距離走に挑戦しても、へばってしまうのは當然のこと。慣れていないはどのように補給すればいいか、休息すればいいか、疲労を軽減すればいいのか……分からない。
後ろに避けようとした時、とうとう足がもつれた。バランスを崩し餅をつく。
剣はユゼフの手からり落ち、カランカランと乾いた音を立てて転がっていった。すぐ目前に見えるのは白く輝く剣先だ。
「王はどこにいる?」
月明かりに照らされたアナンの顔は傷に目がいくものの、的なしさがあった。
「早く言え! 魔獣使いだかなんだか知らんが、貴様の奇のせいでさんざんな目にあった。これからたっぷり報復してやるから覚悟しろよ?」
アナンは相當苛立っているように見えた。
「なんだ? 人の顔をじろじろ見るんじゃない。目玉をくり貫いてやろうか?」
ユゼフはアナンから目を離さずに答えた。
「あんたによく似た男を知ってる」
「なんだと?」
アナンの表が変わった。
「名はカオル・ヴァレリアン。俺の従兄弟イアン・ローズの家臣だ」
アナンの目がより大きく開かれる。
明らかに揺している。剣を持つ手がし震えているのはその証拠だ。
「確かにカオルは兄の名だが……」
突然、何の前れなく月が隠れた。
……隠れた、と言うより消えたと言った方が正しいかもしれない。月が消えると同時、盜賊達の持っていた松明の火が風も無いのに消える。辺りは闇に覆われた。
さっきまでは雲一つないよく晴れた月夜だったのに。それが今は星すら、何も見えなくなる。
邪悪な気配はすぐ傍にじられた。
「火を! 早く火を付けろ!」
アナンのぶ聲が聞こえる。
ザワザワっと何かが蠢めきながら、近付いて來るのが分かった。
盜賊達が続けざまにび聲を上げ、倒れて行く。
「一何なんだ!? 來るな、來るなーーー!!!」
アナンは暗闇の中、剣を振り回した。
『違う……そっちじゃない』
ユゼフは暗闇の中でも人や化けのきをじとることができた。
黒い化けがアナンの方へ向かって行く──
「避けろ!」
思わずユゼフはんでいた。別に恩を売るつもりはない。何故か放っては置けなかったのだ。
アナンが避けると、黒い塊は橫にいた家來に襲いかかった。
その隙にユゼフはアナンの背後へ回り、腕を摑んだ。
「ここから離れた方がいい」
途端に赤い火が燈り、明るくなる。ナフトで會った長髭貴族風の男が火を付けたのである。
アナンはユゼフの手を振り払った。
視界がを帯びた時、初めて黒い固まりが甲蟲の集まりだったことにユゼフは気付いた。火のに照らされた蟲の群れは暗がりへと逃げていく。
アナンと髭の男を除いた盜賊達は全員倒れていた。真っ暗に空いた眼窩と気管が剝き出しになった。何かが食い破った形跡──
「これは、どういうことだ?」
髭の男がユゼフを見た。
「……分からない」
聞かれても分かる訳がない。こちらが聞きたいぐらいだ──とユゼフは思った。
まだ気配は消えていない。
蟲の集まりとは別の……もっと大きな闇の気配をユゼフはじていた。
殘った三人が呆然と立ち盡くしていると、倒れている盜賊達のが突然痙攣し始めた。
ブルブルとを震わせる様は、ユゼフの下の妹がひきつけを起こした時と重なる。
下の妹がまだ二、三歳の時だろうか。高熱で寢込んだ時、ひきつけを起こした。
こういう時、周りはあたふたするだけで何も出來ない。せいぜい舌を噛まぬよう気をつけてやるぐらいだ。
が、周りの不安をよそに、當人は取り付かれたみたいに、全の筋を暴れさせる。寢ながら、が浮かぶんじゃないかと思うくらい、派手にのた打ち回るのだ。
今もその時と全く同じだった。
最初は震える程度だったのが、だんだんと激しくなっていき、最後には地面から跳ね上がるほどに。
違うのは収まった後──
數分後、彼らはムックリと起き上がった。
青ざめた顔は死人のようである。その瞳は空虛。無でどこも見ていない。ヨダレやあぶくを口から吹き出し、何か言葉にならないき聲を上げている。
アンデッドだ。
ユゼフ達三人は囲まれてしまった。東側へ走って行った盜賊達も死んでから戻って來たのだろう。十人以上……數が増えている。
「どうする?」
髭の男が尋ねた。
ユゼフ、アナン、髭親父の三人は背中合わせに剣を構えた。
先程暗闇になった時、ユゼフは反的に剣を拾っていた。
「やるしかないだろう」
アナンがそういい終わるか終わらないに死人達は襲いかかって來た。
月の中、煌めく刃。
ほとばしるのは黒い。
辺りに充満するのは生臭いの匂いではなく、死臭だ。
アナンが素早くを切り付け、を刺しても死人達のきは変わらない。
ユゼフも死人を斬りつけた。
彼らは近付くと機敏になり、力が異様に強くなる。目は見えていないようだから、ユゼフと同じように気配を読んでいるのかもしれない。
「頭だ! 頭を狙え!」
髭の男が怒鳴る。
空いた眼窩に剣を差した途端、死人のきはようやく止まった……が、口から蟲がブワァっと溢れ出て……こちらへ向かって來る!
ユゼフはアナン達が気を取られている隙に暗闇の中へ突っ込んで行った。
──ディアナ様の所へ行かなくては
その強い気持ちだけがをかしている。彼らを置いてユゼフは屋へ通ずる階段へと走った。
※數キュビットは數メートルというニュアンスで。
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