《ドーナツから蟲食いを通って魔人はやってくる》35話 ヴィナス

──シーちゃん、何とか乗り越えてくれ。俺は王様を絶対に取り戻すから

ユゼフの心の聲はシーマに屆いただろうか。時間(とき)の壁を通り、々流された。

時は數日前。

宿営地が盜賊に襲撃され、ユゼフがディアナと森をさ(・)迷っていた頃──

──────────────

(シーマ)

ユゼフの聲を聞いた気がして、シーマはハッと目覚めた。

隣で寢ていた彼(・)(・)が唸(うな)って、寢返りを打つ。

『何だ、気のせいか……』

シーマは寢ぼけ眼で自分の今いる場所を確認した。

隣にが寢ている他は、いつもと変わらぬ自分の部屋だ。

窓かられる月明かりが彼の背中を青白く浮かび上がらせている。隆起した肩甲骨が不規則に上下していた。

ここはシラーズ城。

二日前、ヴァルタンの瀝青城にて。

謀叛が発。

談合中の王子、諸侯らをイアン・ローズ率いる反軍が襲撃した。

同日、時間の壁が出現する。

王城が占拠されたのはその翌日。

逃走したクロノス國王とヴィナス王をシーマはこのシーラズ城に保護した。

「んんん……」

が寢返りを打って、こちらを向く。はだけた白い元がわになる。小便臭い小娘の癖に気だけは一人前だ。

無防備に薄目を開ける口元がだらしなく緩んでいる。數時間前まで、男にれたことなどないだったのに、もうの顔だ。

シーマは彼の褐に近い金髪をでた。なんだか力してしまって、力なく笑んでしまう。こういう時の笑いは子供の頃と同じだ。顔に張り付けた仮面ではなく、ごく自然に笑える。

『緩んでる場合じゃないぞ。まだ始まったばかりだ』

気を引き締めようと思ったところ……

「シーマ、起きてるの?」

薔薇の花弁が開いた。

月明かりだけでは、花弁のを捉えることはできない。

だが、薄紅のそれが、とてもらかく、よくき、程よく塗れていて、きつく吸い付いてくるのをシーマは知っていた。

『ガキだと思ってたのに、いやに煽ってくるじゃないか?』

がまた熱くなってくる。

湧き上がってくるをシーマは懸命に押さえた。彼と寢たのは予定外。こんなことで計畫が狂ってしまっては困る。もっと自制せねば。

「ごめん、ヴィナス、起こしてしまって……」

「不安で寢れないのね。私も一緒」

……ヴィナスは起き上がって、シーマに抱きついた。ヴィナスはシュミーズ、シーマもチュニック一枚だけのれた格好だから、互いのじ合うことができる。

シーマは昂(たかぶ)りを抑えられず、彼の背中に手を回した。

そのままキスをする。

「あっ……ああ……駄目よ、シーマ。いけないわ……」

ヴィナスの方から離れ、シーマは我に返った。

『何をがっついてるのだ、俺は? 今はこんな小娘にしている場合じゃない』

はまだ夢中になるほどの快楽を知らない。未知の世界は開けたばかりで、苦痛を伴う。

の瞳に怯懦が宿っていることをシーマは見逃さなかった。

「ヴィナス、すまない。君を傷つけようと思って求めたのではないんだ。こうやってれていれば、しは安心するかと思って……」

涙を浮かべて訴えれば、の瞳から怯懦は消え、再びを帯びてくる。

だけじゃない、哀れみも。

からしたら、拒絶された哀れな男が許しを請うているように見えるんだろう。

シーマのコレは半分演技。半分本気。

才能ある役者が役になりきってしまうのと同じである。

「いいえ、シーマ。私こそごめんなさい。何だか突然怖くなってしまって……あなたのことが嫌いになったわけではないの。明日だったら、またれられると思う」

潤んだ目で必死に訴えるを抱き寄せ、シーマは笑む。

自我を失った褐の瞳はしい。赤く輝く金髪より、らかな白いより、薔薇のようなよりも。

魔法の言葉を囁けば、たちまち従順な奴隷になるから。

に煌めく後れを指で優しくかきあげる。小さな耳に口を寄せ、シーマは囁いた。

してるよ、ヴィナス』

そう、彼はヴィナス。

鳥の王國第二王ヴィナス・ガーデンブルグ。

シーマは國を恐怖に陥れた悪漢から彼と國王を救った英雄(ヒーロー)。表向きは。

しかし、真実は無

この謀反を裏でっているのは、この英雄本人である。

何も知らぬ清廉な乙はシーマを信じ切っていた。

この後、どうするか?

このヴィナスが筆の握れない國王の代わりに言書を書く。

哀れな國王は大怪我を負って、助からない。英雄は悪漢、謀反人イアン・ローズを倒す。

……で、その後は?

國外にいるユゼフが第一王ディアナをこちらへ渡してくれる。

言書はこう書かせる。

全ての王子が亡くなった場合は、縁の近い順にヴァルタン家、シャルドン家の當主に……更にそれも葉わぬ場合は、上記當主の子息、長子から順番に王位の継承を行う。ガーデンブルグの名とを絶やさぬ為に第一王ディアナとの養子縁組を執り行う──と。

消去法で王になる人は一人だけ。

──このシーマ・シャルドンだ

近い未來を思い描き、シーマはほくそ笑んだ。何も知らぬ小娘は腕の中、力する。

と、甘い夢想はここまで。

扉を叩く音がする。

従者があ(・)い(・)つ(・)の來訪を知らせにきたのだ。

さあ、仕事の時間だ。

名殘惜しそうにを離すヴィナスの頬に優しくキスをする。

すぐに戻るよ、しい人──そう囁いてシーマは部屋をあとにした。

こんな深夜に訪れるのは、闇の人間しかいない。一仕事終えて、報告に來たのだ。

ガラク・サーシズ。

暗殺者が。

父の執務室で毒蛇が待っている。

イアン・ローズ側に潛伏し、子を殺した悪魔が。どれだけ報奨を貰えるのかと期待にを膨らませて……

シーマは微笑みの仮面を顔にり付けた。これは無表と同じ。相手に心を読まれないようにする。

摑んだドアノブが余りに冷たくて、が引き締まった。

ガラクは小柄で痩せていた。目立たないじの人の良さそうな男。とてもじゃないが、冷酷な暗殺者には見えない。

誰がい子供を手に掛けたと思うだろうか。赤ん坊やよちよち歩きの児まで……未年の王子二十人も──

ある時は刃を振り下ろし、ある時は毒を用い、たったの二日で仕事を片付けた。

ガラクがこの鬼畜の所業を嬉しそうに報告する間も、シーマは無表──笑顔の仮面をり付けていた。

毒蛇は仕事の話をする時だけ、卑しさ全開になる。ねっとりと地を這い、毒を吐く爬蟲類の顔に変わるのだ。

この男の出自は不明である。

だが、育ち云々より確実なこと。この異常者は殺人を楽しんでいる。暗殺者という職業は毒蛇の天職だったと言えよう。

毒蛇──騎士だったガラク・サーシズは戦時中、報収集を専門に行う特殊部隊にいた。

報収集の他には暗殺、作など、役割は多岐に渡る。つまり、間者の集団だ。

有能にも関わらず、人前で剣を振るうことはなく、華々しい活躍とは縁がない。裏で暗躍するのみである。そして、ガラクのように目立たぬ外見の者がほとんどであった。

この哀れな間者の集団に対し、クロノス國王は非だった。

戦後、ガラクの仲間の多くは処刑されたのである。

これは、カワウと停戦條約を結ぶ條件だった。クロノスは何の躊躇いもなく、國の為に戦った者達を処刑した。戦爭犯罪人という汚名を著せて。

國王に対して憎しみを抱いているガラクを取りれるのは容易(たやす)かった。

「愚かなイアンはジーンニアとかいう賤しい分の小僧の言いなりです。そのせいで、離反者が後を絶ちません。城が落ちるのも時間の問題でしょう」

一通り報告を終えてから、ガラクは彼(・)の名を出した。彼はこのゲームの要となる人だが……それはひとまず置いといて──

ガラクは蛇のようにいやらしい視線をシーマへ向けた。きっと報奨の話がしたいに違いない。

「ご苦労だった。貴公の働きがなければ、ここまで計畫を進める事は出來なかった」

「でしょうね。思い付いたのは貴方だが、実行したのはこの私だ」

ガラクは得意気に答える。

ついこの間まで學生だったひよっこに人殺しはできまいと思って、シーマを侮っているのだ。

だが、くだらない優位のアピールなど、今のシーマにはどうでもいい。この卑しい男にシーマより優れている所は、一つだってないのだから。

ふわふわしている、優しそう──いつもそう言われる笑みを浮かべて、返答した。

「すぐにでも貴公の働きに対して代価を支払いたいのだが、あいにく戦爭中なもので……」

な毒蛇の顔が曇る。

これでは他の騎士よりない手當てで、汚れ仕事をさせたクロノス國王と同じではないかと。

ガラクが毒を吐く前に、シーマは壁に飾ってあった剣を手に取った。

「これの名はクレセントと言う」

素人目にも惹きつけられる業を見て、ガラクの目のが変わった。

鞘から抜くとしい刀が姿を現す。

この剣はシャルドン家に代々伝わる名剣である。柄には鮫皮が巻かれ、その上から菱形模様の組み糸が巻かれてある。

刃の部分は砂鉄から採った鉄を使い、何回も折り返し鍛錬され作られていた。エデンという島にのみ伝わる製法である。

弓のように反ったしい刀は骨をも斷つほど鋭い。

「まさか。頂くわけにはいきません」

ガラクは流石に遠慮した。

「そう言わずもうし近くに寄って見てみろ。このしさを」

ガラクは微笑して近寄った。

シーマはふざけて剣先をガラクに向ける。

通者の末路を知っているか?」

シーマは笑いながら言った。

今度は仮面の笑顔ではなく、本當の笑い。この悪魔が醜いことを全て負ってくれた。ホッとしているし、正直に嬉しいのだ。

次の瞬間、ガラクの表から笑いが消えた。

に一閃。

鋭い刃が突き出る。

シーマはそれを抜くと、よろけるガラクの後ろへ回り、背中から刺した。倒れこんだ所、首に狙いを定め、とどめをさす。

「悪いな。お前にいられると困るんだ」

シーマは剣に付いたを丁寧に拭き取った。誰にも見られていないのに、平然でいようと思う。こんなことで揺していたら、この先乗り越えられない。

『案外、人を殺すのは呆気なかったな』

を鞘に収めてから、シーマはチュニックの袖を捲り上げた。右前腕に深く刻まれた傷痕を見て、気持ちを落ち著ける。

『ぺぺ、おまえは俺のために何人殺した??』

計畫はまだ始まったばかり。

亜人をげ、民の命を消費する一族に制裁を。國を変える、民を救う。新しい國に作り替えるのだ。

新國民と言われる人間族が、このアニュラスへやって來る前の平和な世界を取り戻す。エゼキエル王が支配したあの時代を──

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