《ドーナツから蟲食いを通って魔人はやってくる》36話 言書

(シーマ)

翌朝、シーマは涼しい顔でヴィナスの元を訪れた。

々考えたいことがあり、一晩彼を放置したのである。ヴィナスはシーマの部屋から與えられた自室へ移されていた。

軽い狀態。

外出を許さず、行も制限した。

の部屋へ向かう途中、回廊の窓から差し込むを浴びる。

哀れな王も同じ景を部屋の窓から眺めているかもしれない。

キラキラ輝く湖ととりどりのアザミが咲きれる草原、それらを取り囲む荘厳な山々を。

々浮かれ気味にシーマはドアをノックした。軽く、リズミカルに。

これから待っている仕事はかなり重要だが、楽しい部類にる。

邪悪な毒蛇の始末より、可の子とイチャイチャする方がいい。シーマは強めに焚いた香が服にちゃんと染み込んでいるか、確認した。

「……シーマなの?」

ドアの向こうから、うわずった聲が聞こえる。奧からパタパタと近づく可らしい足音。

ピタリ、ドアの前で止まる。

恐らくは髪を綺麗に整えているのだ。

用心深く、しずつ開かれるドアの向こうにらしき姫が立っていた。

「ああ、シーマ、あなただったのね。どうして昨晩は戻ってきてくれなかったの? 一人ぼっちでどんなに心細かったことか……」

「申し訳ありません。ヴィナス様。しかし、今は戦の真っ最中なのです。國王陛下を、貴の大切なお父上を傷つけ、城を奪った悪漢を倒して王城を取り戻さねばなりません。それに貴の姉上、ディアナ様の行方も調べておりましたし……本當はずっとお側にいたいのですが……」

達の前では敬語で話す。

顔を見た途端、ヴィナスはシーマの腕の中に倒れこんだ。

華奢なは抜け殻みたいに軽い。

壊れそうなそのを好き勝手に躙するのは、一仕事終わってからだ。

シーマは優しくけ止める。

い耳元に口を近づけ、の言葉を囁こうとした。だが、

「アダムは? 私の侍従は無事なのかしら? 時間の壁が現れたことをダニエル・ヴァルタン卿に知らせに行ったはずだけど……」

不快な名が彼の口から飛び出し、ごっこを妨げた。

シーマの指示でヴィナスはアダムを壁へと送り出していた。壁には通れる場所があるとシーマは伝えていたのである。

シーマの顔から笑みが消える。

祭壇に供える生け贄の話などわざわざしたくない。儀式で子羊の首をかっ切ってを振りまこうが、哀れんだりしないだろう。それは贖罪や信仰心を示すために必要な行為だからだ。

同じくアダムを生け贄に捧げたのは、世界を良へと導くために必要なことであった。

「アダム・ローズは亡くなりました」

シーマの腕の中、ヴィナスは呆然とした。彼は何も知らないのだ。

シーマがアダムに暗示をかけ、に重しをつけて壁を渡らせたことも。そのせいで老人になってしまったことも。

──死んだかどうかは分からぬが、長くは持たぬだろう。魔の話だと、壁を無理して渡った者は一年も持たなかったと言うから。

壁が消える一年後には生きていないとシーマは思った。

時間(とき)の壁の存在もこの壯大な計畫のの一部である。現れる壁の出現時期は通常、五~十年に一回。預言者達が天きを元に複雑な計算の上、導き出す。

預言者を取り込み、わざと噓の預言をさせたのだ。數ヶ月ほど遅れて壁が出現すると。クロノス國王はカワウとの講和條件であるディアナ王とフェルナンド王子の婚約を進めるため、慌てて旅路につかせた。

これで、ディアナとダニエル・ヴァルタンの留守中に壁が出現する。

英雄ダニエル・ヴァルタンの存在はこの計畫の妨げになる。ディアナも然り。

ユゼフから聞いた話では、ディアナはヴィナスと違い、自己主張の激しい娘。余計な口出しをされたら困るのだ。ヴィナスのように作しやすい娘の方がいい。

ややあって、呆然としていた小鳥が腕の中でさえずり始めた。

「何ですって!? あの、アダムが…… …… …… ……私、本當に一人になってしまったわ。お母様も囚われてしまったし、お姉様も國外で戻ってこれない……」

ヴィナスはシーマの腕の中で泣き崩れた。

「気をしっかりお持ちください。貴にはこのシーマがおります」

言いながらシーマはヴィナスの涙を指で拭った。

しい貴に涙は似合いません。気をしっかり持って。怪我と戦っておられる國王陛下のためにも」

シーマの優しい言葉はヴィナスのに響く。

ジッと見つめれば、ヴィナスは熱に浮かされたようにぼうっとして、見つめ返した。

「ヴィナス様にお手伝いしていただきたいことがございます」

シーマは彼から目を離さず、話を切り出した。

「國王陛下の言を書き寫してほしいのです。陛下はまだ意識のあるにと言を殘して下さったのですが、怪我のせいで手が震えてしまい、正式な文書としては殘して置けないくらい字が歪んでしまいました。ご本人の前で確認しながら容を読み上げますので清書していただけないでしょうか?」

ヴィナスは素直に頷いた。

「それと、國外にいる學匠シーバートへ文を送りたいので、容を確認した上で封をしていただきたいのですが……」

「分かったわ」

意識はあったものの、國王はベッドの上で瀕死の狀態だった。

はひび割れ、目は酷く落ち窪んでどこを見ているかよく分からない。生気はほとんど失われていた。

その國王の前で、シーマは國王が書いたという汚れたメモを読み上げていった。

「予、言者、鳥の王國國王クロノス・ガーデンブルグは次の通り言する。下記の財産、及び権限を全て長子アレースに相続する。國庫の財産、及び各地領主からの獻納、鳥の王國全域、他國領有地の國民、領主、聖職者に対する統治権、支配権、裁判権、議會発言権、及び決定権……王國軍、及びスイマー王都衛兵団と王騎士団の指揮権、王國全ての教會の運営権、その他全ての國王が有する権限……」

シーマはヴィナスが間違えないようゆっくりと読み上げていった。

「以下の財産、國の領有地であるカシャーン地方、チャルース地方、ギャンジャ地方……」

その間、國王はずっと一點を見ていた。

ヴィナスは時折不安そうに父親の顔を窺っていたが、手を休めることはなかった。

「……長子アレースが亡くなった場合、この相続は次男アトラスに。アトラスが亡くなった場合は、三男エルメスに。エルメスが亡くなった場合は……息子全てが亡くなった場合は孫である王子達に。先に産まれた以下の順番に相続させる……」

そこでシーマは一息れる。必死に書き寫しているヴィナスをチラリと見た。

「全ての王子が亡くなった場合は、縁の近い順にヴァルタン家、シャルドン家の當主に」

ローズ家は一番縁が近かったが、謀反人を出した為に除外されている。

「更にそれも葉わぬ場合は、上記當主の子息、長子から順番に王位の継承を行うように。ガーデンブルグの名とを絶やさない為に第一王ディアナとの養子縁組を執り行う。ディアナに何かあった場合は代わりに第二王ヴィナスと……」

ヴィナスは手を止めた。

自分の名前が出たから無理もない。

「これはもしもの時の取り決めです。お気になさらぬよう」

不安を滲ませるヴィナスにシーマはいつも通りの笑みを見せる。別に大したことじゃない、もしもの時の取り決めだ。國王は健在なのだから──そう、目で訴えつつ、圧を與える。

結局、ヴィナスは言われた通り全部書いた。

「お父様、これはお父様の言を書き寫したものです。こちらにご署名を」

ヴィナスが指し示す場所に、國王は大人しくサインをした。

大量に投與した痛み止めのおで、國王は朦朧としている。シーマの言葉なんて、一つも耳にってない。夢見心地のまま、書類に目も通さず、サインしたのである。

「さあ、次は學匠シーバートへの手紙のご確認をお願いいたします」

二人は國王を殘してシーマの部屋へ移した。

だが、部屋に著き、椅子に腰掛けるなりヴィナスはだだをこね始めた。

「ねえ、シーマ、私とっても疲れたわ。お願い、休ませてちょうだい……」

「あともうしで終わるよ。そうしたら、ご褒に甘いでも食べよう」

は下がらせている。

シーマはひざまずき、彼の手を取った。指を絡ませ、熱を帯びてきたそれに口付けする。

それでも、彼は首を縦に振ろうとはしなかった。

「もう、いや……限界よ。閉じ込められて生活するのも、自分の城に戻れないのも、家族に會えないのも……イアンと直接話すことはできないの? 私、まだイアンの起こしたことが信じられない……」

ヴィナスの母はイアンの母の妹……つまり、謀反を起こしたイアンはヴィナスの従兄弟だ。

ヴィナスはい頃からイアンを兄のように慕っていた。加えて、國外に出した侍従のアダムはイアンの弟。彼は元々ローズ側の人間なのである。

シーマが第一王ディアナにこだわるのは、ここであった。

ディアナとヴィナスは腹違い。

ディアナの亡くなった母はグリンデル王の妹だ。

養子縁組する場合、謀反人の一族と繋がりがあっては世間が悪い。

「ねぇ、シーマ……言書の作や學匠の手紙ってそんなに急がねばならないものなの? 私はあなたが部屋に來た時、めてくれるとばかり思っていたのに……もう、何もしたくないわ」

ヴィナスは褐の瞳に涙を浮かべ、訴えてくる。さっさと仕事を終わらせたかったが、シーマは焦(はや)る気持ちをグッと押さえ込んだ。

ここでへそを曲げられては困る。

はこちら側についていてもらわねば。

「ヴィナス、貴の気持ちを分かっているつもりだったけど……すまない、國王陛下のためにやらねばならないことが沢山あって……せかしてしまったね。貴からしたら、事務的な仕事をする余裕なんてないのに……どうすれば貴の苦しみを和らげることができる? 僕が代わりに負うことができればいいのだけど……」

シーマは自の手中に収めたヴィナスの手をギュッと強く握った。真顔になり、見つめ合う。

の瞳と褐の瞳──

バチバチとぶつかり合い、絡まり合う。衝突した自我と自我は互いの中へっていく。

溶けて混じり合う。

どちらかがどちらかを食らうのだ。

獣はいつもそう。

は戦い。

ヴィナスのから力が抜けていった。

「シーマ、あなたは……」

「もう、何も言わなくていい」

シーマはヴィナスを抱き寄せる。

カタツムリは矢を相手に突き刺しながら尾する。自らの優位を主張するために、相手を屈服させるために、傷つけながらし合うのだ。

互いに命懸け。

とはそういうもの。

シーマは笑顔の仮面を取った。

暴力とは常にワンセット。

荒々しく、扇的に、強圧的に──

キスをした。

ヴィナス視點はこちら↓

https://ncode.syosetu.com/n8133hr/7/

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