《ドーナツから蟲食いを通って魔人はやってくる》38話 シーマ追い詰められる
(シーマ)
數日後──
シャルドン領シーラズ城にて。
靜かな夜だった。
輝く満月は白い城壁を浮かび上がらせ、中庭に咲きれるアザミを優しく照らしている。
シーマは素にローブだけ羽織り、寢室の窓を開けて月を眺めていた。
「寒いわ。閉めて」
ベッドで寢ていたヴィナスが起き上がった。の彼はし震えている。
シーマは聞こえない振りをした。
しい月を眺めるのが好きだ。
本當の髪と同じ月は、力を與えてくれるような気がする。
今までどんな狀況でも、場の中心に居て、禮賛され、王のように皆を付き従えることができた。
持って生まれた不思議な能力が自らの演出に大きく貢獻したのは確かだが、それだけではない。
これまでの道のりは決して楽ではなく、犠牲もあった。それでも心の奧底から沸き上がる熱は、恐れや不安を飲み込んで膨らんでいったのだ。
ローズ軍が王城を占拠してから一ヶ月が経とうとしていた。
クロノス國王は書を書かせた數日後に死んだ。王の座は空いているというのに──
「ねえ、閉めてったら」
ヴィナスの投げた枕が窓際のソファーに當たり、床へ落ちた。
冷え冷えした部屋もシーマは気にならない。元々寒さには強い質らしい。
「シーマ、暖爐に火をつけて。寒いわ」
ヴィナスは震えている。
シーマはすぐに答えなかった。
優しい振りをするのにはうんざりだ。彼の指図をけたくなかった。
「火をつけたら、願いを聞いてくれる?」
微笑みながら彼の方へ向き直った。
何度もしているあの話をしようと思ったのだ。グリンデルから援軍はまだ來ないし、シーバートの犬も戻ってこない。
「また、その話なの? いいえ。姉に文は出さないわ。絶対に。姉を使ってグリンデルに援軍を要請するなんてとんでもない。反対よ。これは國の問題でしょう。私が何でも貴方の言いなりになると思ったら、大間違いですからね」
最初、ヴィナスは大人しくシーマの言う通りに従っていた。
彼をもっと意のままにろうと、深い関係になったのが間違いだったのだ。ヴィナスは次第に主張し始め、意見するようになったのである。
「いや、その話ではない。うっとおしいから部屋から出て行ってほしいんだ」
シーマは溜め息を吐(つ)いてから言った。
シーマにとってヴィナスは、もう何の価値も持たなかった。
彼が怒りでしい顔を歪めても、シーマはいつものように笑みを浮かべるだけ。窓を閉め、優雅に歩きベッドへ戻る。
その時だった。
ドォーンと何か大きなが落下する音と、兵士のどよめきが聞こえた。それからすぐに階段をバタバタと走る音が聞こえ、それが部屋の前で止まった。
「シーマ様、お目覚めになってください! 城が!……城が襲撃をけております」
シーマは服を著替える間もなく、扉の外へ出て行った。
「兵の人數は?」
「まだ分かりません。しかし、五千以上はいるかと」
「すぐに確認しろ……いや、自分で見る」
そう言うと、シーマは一番高い塔へと向かった。
海側の塔からかなり遠くまで見渡せる。よく晴れた晝間なら、ここから一番近いアラーク島が──
アーチ型の窓から吹き込む風がローブをはためかせる。塔の最上階に立ったシーマは言葉を失った。
夜なのにアラーク島が見えている。
月明かりだけじゃない。
城下から海の向こうにまで広がる幾つもの松明によって、ぼんやりと浮かび上がっているのだ。
城はすでに取り囲まれていた。
満月の下、海の上で揺らめく沢山の松明が荘厳な夜景を作り出している。夜なのに明るい。話に聞いた夜の國は、きっとこんなじなのだろう。しかった。
敵はどうやら海側からやって來たに違いなかった。海の警備を任せていたのは誰だったか……
「リンドバーグ卿……」
シーマは聲に出して呟いた。
リンドバーグは確かローズと仲が悪かったはず……
側にいた家臣がもの問いたげにシーマの顔を見る。
「リンドバーグ、と言ったのだ。リンドバーグが裏切った」
シーマは寢室に戻った。
ヴィナスは相変わらず、ベッドの上から熱っぽい眼差しを向けてきた。
羽織ったローブがずり落ち、華奢な肩が覗いている。鎖骨にフワッと落ちる赤みを帯びた金髪も、その下のらかな房も、今はどうでもよかった。
召使いを呼ばず、シーマは自分で服を著始めた。
「何があったの? シーマ?」
ヴィナスの問いかけには答えない。ささっと著替えると、そのまま部屋を出ようとした。
「待ちなさいよ。私にそんな態度を取ってもいいと思ってるの?」
ほとんど半のヴィナスが扉の前に立ち塞がった。
「どけ。邪魔だ」
「私はこの國の王よ。何が起こっているのか知る権利がある」
ヴィナスは一杯を反らし、王としての威厳を保とうとした。彼はとても小柄でシーマの長は四キュビット(二メートル)近くあったから、必然的に見下ろす形になる。
シーマは鼻で笑い、
「知ってどうするというのだ。何も出來ない癖に」
ヴィナスを手で押し退けた。
哀れな小鳥は小さな悲鳴を上げる。
か弱い彼はし押しただけで、床にくずおれた。
『そういえば、こいつはディアナが死んだ時の保険だった。でも、今は構っている暇はない。後で謝ってご機嫌取りでもするか』
そのまま立ち去ろうとしたが……
「貴方は王にはなれない! 絶対に!」
呪詛が追いかけてきた。
シーマは立ち止まり振り返る。
ヴィナスはるような眼差しを向けていた。
「お父様が、國王陛下が亡くなったことを文で方々に知らせたわ。城にあった名簿を見て、海の諸侯達にも」
シーマの顔から笑みが消える。
「私が何も出來ないですって? よく言うわ。國王が亡くなったことを知れば海の諸侯達はローズの方へつくでしょうね。シーマ、あなたはもうおしまい。降伏なさい」
シーマは冷ややかな視線をヴィナスに向けた。
「どうしてそんなことを?……」
──一連の出來事が俺によって仕組まれたと勘づいたのだろうか?……いや、そんなはずはない。彼は俺に夢中だったのだから
不安を覚えるのは五年ぶりぐらいだった。愚かだと思っていた娘の行が予測できず、自分を追い詰めようとしている。尊厳を傷つけられたようにじ、シーマは気付けなかった自分に怒りを覚えた。
「シーマ、あなたをしてるからよ」
ヴィナスはシーマに抱き付いた。
「あなたがこの戦いに勝利すれば、王になれる。それぐらいは私にだって分かる。でも、即位するには第一王である姉と結婚して、ガーデンブルグの姓を引き継がねばならない。あなたが私に書かせた言書通りにね。ローズのがっている私では姉の代わりにならないのでしょう?」
シーマはヴィナスを自分のから引き剝がそうとした。
「お姉様にあなたを取られるなんて絶対にいや!」
んでからヴィナスはシーマの顔を覗き込み、驚愕した。
シーマは常に冷靜で、笑みを絶やすことがなかった。だが今は怒りのあまり、強張った顔をしている。自分でも分かっていた。
──ううん……違うな、それじゃない……
ヴィナスは何度も瞬きしてシーマの瞳を覗き込んでいる。その様子はまるで、何か信じられないでも見たかのようだ。
『ん? まさか……』
部屋の奧に置かれた鏡臺でシーマは自分の顔を確認した。
『大丈夫だ。目のは灰だ……でも……』
ヴィナスの表が驚きから恐怖に変わるのを見て、シーマは不安になった。さっきは抱き付いてきたのに、今は後ずさりしている。
『見られたかもしれない……』
激しい興狀態に陥った時、シーマの瞳は銀にることがある。
そのため、のコントロールにはいつも気をつけていた。
亜人であることを決して悟られてはならない。シーマは下を向き、深呼吸して気持ちを整えた。
數秒後、いつもの優しげな表に戻る。侍従を呼び、伝えた。
「王様は錯狀態にあられる。鍵のある部屋にお連れして、神が正常に戻られるまで部屋からお出しすることのないように」
「!?……シーマ……あなた……やめて!! やめてよ! 私はおかしくなんかなってないわ! 放して!! 無禮者!」
ヴィナスは激しく抵抗したので、數人に押さえ付けられた。
泣きび懇願するヴィナスをシーマは微笑みながら見下ろす。
「王様は何か幻覚でもご覧になったのではないですか? 不幸が重なり、神的にお疲れなのです。あとは私に任せてゆっくりお休みください」
──お前は何も見ていないし、見たとしてもそれは幻覚だったのだ。錯しておかしくなっているだけ。さあ、ゆっくりお休み
ヴィナスは窓のない部屋へと連れて行かれた。
ヴィナスのことが一段落すると、シーマはこれからのことを決めなければならなかった。
何度か投石をけただけで、敵軍はまだ本格的には攻めてこない。恐らく降伏を待っているのだ。これは何にでも突撃したがるイアンのやり方ではない。明らかに彼《・》のやり方だ。
「サチ・ジーンニア」
シーマはを噛んだ。
今の所、城を包囲する敵軍の數は守っている數に対し五割か六割増しといった所か。これくらいの差であれば何とか抗戦できる。しかし、相手がサチなら用心しなければ。奇策を用いて城へ攻めこもうとするかもしれない。
王城を包囲している軍をこちらに回すことも出來ないことはないが……それを機に包囲を破られてはまずい。
そうこうしているに國王の逝去が知れわたり、ローズ軍は活気づくだろう。海の諸侯の多くはクロノス國王を嫌悪しているのだから。
この戦に勝利すれば、イアンは英雄だ。暴君クロノスから國を救った英雄は玉座に座る。
『あのイアンが王だと?……あり得ない』
あまりにも稽で思わず笑いそうになった。
『筋書きを書いたのは俺だ。イアンごときに持って行かれてたまるか』
シーマは右腕に一本走る傷痕をった。今、唯一の頼みの綱は遠く離れた所に居るユゼフだけだ。
『ユゼフのことだからあの文を見れば、俺が何をんでいるのか分かるはず』
※※※※※※※※※※※※※※
しかし、待てどもグリンデルからの援軍はやって來なかった。
シーラズ城は白い漆喰の城壁と群青の三角屋に形作られたしい城である。高い塔は四本あるが、周りは低い城壁で囲われている。
城の背後、數スタディオン先には海が広がり、正面にはアザミの咲きれる草原と巨大な湖があった。湖の周りを山々が見下ろすように取り囲んでいる。領民はその湖の周りに町や村を作った。
シーラズ城は王都スイマーに近く、西に數十スタディオン行けばすぐ王城だった。
湖を囲む山々はシーラズ城の周囲だけ途切れ、城は平地に立っている。
その為、しい城はその機能においても籠城には向かなかった。城の周りに堀は掘られておらず、城壁は低い。
大軍に攻められれば、あっという間に片がつくだろう。
シーラズ城を包囲されてから一週間後……
包囲軍は日に日に増えていった。
今まで向を靜観していた諸侯達が國王の逝去を聞き、イアン側についたのである。
シーマはただ待つしかなかった。
こんなにも追い詰められたのは今までの人生で初めてだ。
『ユゼフは俺からのメッセージに気付くはずだ。でも、どうして?
そもそも文自、ユゼフが見る前に燃やされてしまったとか? いや、シーバートがディアナ王に文を見せる時、ユゼフは近くに居るはずだ。片時も王の側を離れず守っているはずだから。
ユゼフは何とかして文を見ようとするだろう……そしてディアナにグリンデル宛の文を書かせる……もしかしてそれがうまくいかないのか? ディアナをうまく言いくるめることが出來ない……
でも、何が何でもユゼフはやろうとするだろう。彼は賢いしできるはずだ。でなければ、俺はあいつを選ばなかった……もしくはグリンデルの王が拒否したか……』
様々な疑念が浮かんでは消え、また浮かんだ。
不安に押し潰されそうな時もあり、心の奧で激しく燃える熱が消えてしまいそうになることもあった。
後戻りはもう出來ない。
大きなことをしでかして、沢山の犠牲を出した。無垢な子供まで王族という理由で殺したのだ。
『もう死ぬか、王になるかの二択しかない』
心が疲れ始めている。
この一週間、眠れない日が続いたせいか、シーマは広間のソファーにもたれ掛かり、うとうとし始めた。
伝令の聲が夢の中で響く。
「シーマ様、ご報告であります。ローズ軍からの軍使が謁見を求めております。名をサチ・ジーンニアと申しております」
最後にその名を聞くと、夢から現実へ引きずり戻された。
ここまでお読み下さりありがとうございました。お気に召されましたら、ブクマ、評価してくださると幸いです。
設定集ありますので、良かったらご覧ください。
地図、人紹介、相関図、時系列など。
「ドーナツから蟲食いを通って魔人はやってくる~設定集」
https://ncode.syosetu.com/N8221GW/
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