《家から逃げ出したい私が、うっかり憧れの大魔法使い様を買ってしまったら》おとぎ話はもうお終い 2

「……聞きたく、ない」

真剣な表を浮かべたエルの様子を見ていると、心臓が嫌な音を立てていく。その先の言葉を聞くのが、怖かった。

「ジゼル」

「っやだ、聞きたくない」

「お前には、話しておきたいんだ。頼む」

まるで子供をあやすような、ひどく優しい聲だった。エルがそんな風に言うのは初めてで、余計に不安になる。

それと同時に、いつも余裕たっぷりだった彼の瞳に、不安のが滲んでいることに気が付いてしまった。

不安なのはきっと、わたしだけではない。これ以上逃げてはいけないと思ったわたしは、ぎゅっと両手を握りしめた。

「……ごめんね、エル。やっぱり聞く」

「ん」

やがて頷けば、頭をぐしゃりとでられて。

エルは小さく笑うと、テーブルの上にあった絵本を手に取りページを捲り始める。そして、とあるページで止めた。

「お前、前にこれが何か聞いてきただろ」

「うん」

大魔法使い様が、黒い大きな化けみたいなものを倒しているシーンだった。目も口もない、ひたすら黒く塗りつぶされたそれは、子供の頃から怖かった記憶がある。

『ねえエル、この黒いのって何か知ってる? 魔図鑑にもこんなのいなかったけど』

『…………知らん』

そして彼と以前、そんな會話をしたことも覚えていた。

「これは『パンドラの澱』なんて呼ばれてる、厄災だ。死という概念が存在しない」

「厄、災……」

初めて聞いたものの、不吉なその名や厄災、死ぬことがないという言葉に、の中の嫌な予が膨らんでいく。

「そして大魔法使いの、俺の役割はその封印だ」

言葉を失うわたしに、彼は尚も続けた。

「數百年に一度復活するそいつを封印し直さないと、世の中は魔で溢れ返って、人間なんてあっという間に滅ぶ」

「…………っ」

「最近、魔の出現率が上がっていたのも全て、復活が近づいているからだ」

が出ないはずの場所に現れたのも、Sクラスほどの魔が現れたことも全て、それが原因だったという。

「過去の大魔法使いも皆、そうしてきた。とはいえ、封印の効果はいつかは切れる。今回は俺の番ってだけ」

「大丈夫、なの……?」

「まあ、半分は死んでるな。とは言え、俺達は魔法で封印しきれなかった場合、自を代償にして封印できる。死んだ奴らはその方法を取ったに過ぎない」

そんなエルの言葉に、わたしは頭を思い切り毆られたような衝撃をけていた。この平和な世界は、そんな犠牲があった上でり立っていたなんて、知る由もなかったのだ。

「明日お前を送り屆けた後はすぐ、ババアに道を作らせて魔窟と呼ばれる異空間に向かうつもりだ」

「エルひとりで、いくの……?」

「俺以外はそこで生きていることすら、出來ないからな」

「そんな、」

過去の大魔法使いの半數が命を落とすような相手と、エルはこれから一人で対峙するだなんて、考えたくもない。

「っすぐ、帰ってくるよね?」

「異空間の中では、時間の流れが違う。だから、こっちでは何日なのか何年なのか、何十年なのか分からない」

つまり彼が無事に帰ってきたとしても、わたしはその頃何歳になっているのかすら、わからないということになる。

さっきまで楽しく旅行をしていたはずなのに、頭の中は悲しみや不安で、めちゃくちゃだった。

「な、なんで、エルなの、やだよ」

「俺が大魔法使いだからだ」

「…………っ」

「そんな顔すんな、俺だって死ぬつもりはねえよ」

彼はまっすぐにわたしを見つめ、そう言い切った。

「……元々は面倒になったら、さっさと俺ごと封印してやろうと思ってたんだけどな」

そうした方が楽なくらい、それを封印するのは辛く苦しいらしいと、彼は苦笑いを浮かべたけれど。

「お前のせいで、死ぬのが怖くなった」

そんな言葉を聞いたわたしはもう、限界だった。子供みたいに、みっともなく聲を出して泣いていた。

「ガキの頃からこうなることは分かってて、とっくに覚悟なんて出來てたのに、ほんとお前って何なわけ」

ぼろぼろと溢れ出すわたしの涙を、困ったような表を浮かべ、エルは指で拭っていく。

そして、そのまま両手でわたしの両頬を包むと、彼は「ひっでえ顔」なんて言って笑って。

「一度しか言わないから、よく聞けよ」

きっとこの世のどんなよりも綺麗なふたつの碧眼で、まっすぐにわたしを見つめた。

「好きだ」

泣きたくなるくらいに、優しい聲だった。

……こんな時に初めて言うなんて、エルは本當にずるいと思う。ずっとずっと、聞きたかった言葉だった。嬉しくて、悲しくて、嬉しくて。涙が余計に溢れてくる。

きっと、わたし以上に辛いのも悲しいのも不安なのも、エルだった。それでも彼は全てをれた上で、わたしのことを想い、気遣ってくれている。

いつまでもこんな態度でいてはいけないと、わたしはをきつく噛むと、服の袖で思い切り涙を拭った。

「っ前に、約束したよね。もしもエルが、誰かのことを好きになったら何でもお願い事、きいてくれるって、」

「……ああ」

『じゃあもしそうなったら、何でもお願い事聞いてね』

『はっ、いくらでも聞いてやる』

『しかと聞きましたからね!』

あの頃は私自、誰かを好きになるなんて思っていなかったし、その相手がエルだなんて想像もしていなかった。

そして彼がわたしを好きになるなんてことも、もちろん考えたことすらなかったけれど。初めて會ったあの日から、全部決まっていたことなのかもしれないと、今は思う。

「っわたし、ずっと待ってるから、」

「…………」

「いつまでも、待ってる。ずっとエルのことだけ、大好きでいるし、絶対によそ見もしないで、待ってる、から、」

何度も何度も拭っても涙は止まらず、エルの顔がぼやけていく。聲が、震える。それでも必死に言葉を紡いだ。

「っ絶対に、生きて戻ってきて、迎えに來てね」

そう告げた次の瞬間、わたしはエルの腕の中にいた。まるで存在を確かめるかのように、きつく抱きしめられる。

わたしもまた、その背中に腕を回した。

「絶対、戻ってくる」

「うん」

「さっき言ったこと、忘れんなよ」

「わかってる、けど、あんまり遅かったらわたし、おばあちゃんになってるかもしれない」

「気にしない」

「わ、わたしが気にするよ」

「お前なら、何でもいい」

顔を見合わせて、お互いに小さく笑う。

「… …エル、だいすきだよ」

「知ってる」

それからずっと、わたしはエルの腕の中で「大好き」と「ずっと待ってる」を繰り返し続けたのだった。

◇◇◇

翌朝、目が覚めたときにはわたしは寮の自室にいて。そこにはもう、エルの姿はなかった。

そしてふと、左手の薬指には見覚えのない、彼の瞳によく似た寶石が輝く指が嵌められていることに気が付いた。

「……ほんと、エルはずるいね」

もう泣かないと決めたはずなのに、それにれ、眺めているうちにしだけ泣いてしまったけれど。

エルがいつ戻ってきても大丈夫なように、彼に恥じない存在になれるように、一杯前へ進むことを誓った。

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