《やり直し令嬢は竜帝陛下を攻略中》8
海面をった船が衝突気味に軍港にたどり著く。
海面からあがった飛沫と悲鳴にまぎれてハディスのもとへおりたったジルはんだ。
「皇帝陛下がのっておられる船です! 何者かに襲われて逃げてまいりました! 早く陛下を治療室へ」
おそるおそるやってきた兵士が慌てて応援を呼びに駆け出す。皇帝陛下、という敬稱のおかげですぐさま騒ぎが伝わり、船に人が乗りこんできた。
「こ、この方が皇帝陛下? なら、なぜ縛られて……!?」
「敵の仕業です!」
「君はいったい」
「……僕の……妻になるだ……」
ハディスが息も絶え絶えに答えた。ざわりと周囲がどよめく。
「ぶ、れいのないよう……婚約者として……僕の、紫水晶の姫……」
まだそれ続けるのか、と思った瞬間にハディスは気絶し、擔架にのせられていった。
「あーありゃ船酔いと寢不足と不摂生で當分目ェさまさないなー」
ばたばた行きう人々の頭上から小さな翼を使って、ラーヴェがジルの肩におりる。
口をかそうとすると、先に忠告された。
「ひとりで喋る危ないの子だと思われちまうぞ」
ジルは目を合わさないように前を向いて、聲を潛めた。
「本當に、皆にはラーヴェ様の姿が見えないのですね。……聲も?」
「聞こえないしれないだろうなー。本來の姿は別だけどさ。ま、そうほいほい見えたり聞こえたりしたら、ありがたみ薄れるだろ。竜神だし」
「皇帝陛下についておられなくてよろしいのですか」
「しなら平気だ。あの馬鹿、助けてくれてありがとうな」
「當然のことをしただけです」
ひゅうっとラーヴェが口笛を鳴らした。
「いいねそういうの、かっこいー! 気にった、やあっと見つかったハディスの嫁さんだしな。しばらく助けてやるよ、嬢ちゃん。あの馬鹿の嫁ってことは俺の嫁でもあるからな!」
そういうことになるのか。はあ、と思わず気が抜けた返事をしてしまった。
「ここがどこかわかるか?」
ジルは地図を頭の中から引っ張り出す。
クレイトス王國とラーヴェ帝國で二分されているプラティ大陸は、東西を分斷する霊峰ラキス山脈を中心に、蝶が羽を広げたような形をしている。西方のクレイトス王國の王都から東方のラーヴェ帝國に海で渡るには、と考えて答えを出した。
「クレイトス王國と行き來ができる港がある場所……水上都市ベイルブルグ?」
「おお、正解。よくわかったなー」
「それは、もう。『ベイルブルグの無理心中』といえば――」
言いかけて口を止めた。それはこれからの話だからだ。
この水上都市は燃えて消える。若き皇帝ハディスの怒りを買って。
甲板を歩いていた足を止めてしまった。ラーヴェに見あげられ、首を橫に振る。
「いや、なんでも……あの、ここは今、どういった狀況で」
「それだよそれ。さっきハディス、お嬢ちゃんを婚約者だって言っちまっただろ。一悶著起きるかもしれねえ」
どういう意味か問い返そうとしたとき、船からおりるための桟橋の先から、甲高い聲が聞こえた。
「では、ハディス様はご無事なのですか!?」
「お、落ち著いてください、スフィアお嬢様……確認中なんです、まだ」
なんの騒ぎだろうと思いつつ、ジルは渡り板をおりて、やっと陸に足をつける。その間にも桟橋の向こうでは、若いが兵士に詰め寄っていた。
どこかの良家のご令嬢だと一目見てわかった。仕立てのいい絹のドレスは、まだの面差しが殘る可憐な顔立ちによく似合っている。し金のった髪は、ふわふわとしていてらかそうだ。甘い砂糖菓子みたいなの子だった。
「でしたら、今はどちらに? お話させてください……!」
「そ、そう言われましても、私ごとき一兵卒ではなんとも……お父上にご相談されてはいかがでしょうか。ベイル侯爵に」
「でも、でも、クレイトスからの子をつれて戻られたとさっき耳にはさんで……私、どうしたら……!」
不安でゆれる瞳が、ジルを視界の隅にとらえる。
どう反応していいかわからず立ち止まったジルの耳元で、ラーヴェがささやく。
「あれな、お嬢ちゃんの敵のひとりだよ。スフィアっつって、ここ含む付近一帯をおさめてる領主の娘。侯爵令嬢ってやつだ。で、ハディスの婚約者候補」
「なんっ……!?」
「ハ、ハディス様がつれてきた子どもというのは、まさか、あなたですか」
ぶるぶると震えながら、きっと顔をあげてスフィアがジルのもとまでやってくる。だがその悲壯じみた顔は、すぐに悲しみにゆがんだ。
「こ、こんな、小さな子だなんて……っハディス様はやっぱり……!」
ですよね、とジルの頬が引きつる。
だがスフィアは真剣だ。ハンカチを握りしめて力一杯ぶ。
「あ、あなたにハディス様はわたしません! このっ……この、泥棒貓ちゃん!」
それが一杯の罵倒だったのか、涙を散らしてスフィアは踵を返し、勢い余ってびたーんと音を立てて地面にすっ転ぶ。
「……」
「お、覚えてらっしゃい、ま、負けませんっ……!」
覚えていろと言われても、まだ何もしてないし、何も言ってない。
だが額を赤くしたスフィアは兎のごとく、走って行った。たぶん、逃げた。
呆然としたままジルはつぶやく。
「……敵?」
「そ、敵。あんまりいじめるなよー」
竜神だからって、十歳の子どもに難しい男の機微に注文つけないでしい。
(しかしあんな可憐なではなく、わたしを選ぶとか……筋金りか、やっぱり)
更生の道はなかなか厳しい気がする。
嘆息するジルの足元を、ぴゅうっと風が吹き抜けていった。
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