《やり直し令嬢は竜帝陛下を攻略中》27
滅多に酒なんか呑まないのにな、という一言を殘して、ラーヴェはハディスのの中にっていった。回復を早めるためには、有効な手段らしい。
実際、そのあとハディスの呼吸はみるみる落ち著いていき、顔からも赤みが引いていった。
「――紫水晶?」
意識がはっきりしたらしいハディスが、橫たわったまま口をかす。寢臺のかたわらで水を用意していたジルは、はいと振り向いた。
「大丈夫ですか? 水と、果もありますよ。臺所から拝借してきました」
「……看病してくれるのか」
「はい、酔っ払いの看病は慣れてますので。……もし不安なら誰か呼びますが」
カミラもジークも得意なはずだ。だがハディスは首をゆるく橫に振った。
「君がいてくれれば十分だ。……林檎が食べたい」
「わかりました、お待ちを」
そのまま差し出そうとして、相手が皇帝であることを思い出した。切り分けるために持ってきた小型のナイフを手に取って考える。
(……皮をむかないとまずいよな……よし)
くるんとナイフを一回転させて、林檎に刃を差しれる。そうっとだ。皮だけをえぐるように刃をかして、ざくっと実と一緒に切り落とした。
「……」
要は皮がなくなればいいのだ、皮がなくなれば。それが嫌なら皮ごと食べるべきである。
そして再度差し込んだ刃は、やはり林檎をえぐったあげく、ジルの額にその実を當てて落ちる。背後から笑い聲が聞こえてきた。
「は、刃の扱いに長けてそうなのに、君は意外と不用なんだな」
「武が使えるのと包丁が使えるのとはまた別でしょう」
ぶすっとして言い返すと、ハディスは笑いながら起き上がった。
ジルをひょいと抱きあげて、両腳の間に置く。そしてジルの背中に覆い被さるようにして、ナイフと林檎を持つ手をそれぞれにぎった。
「こうするんだ」
手本のように、ジルの手をかして綺麗に林檎をむいていく。ぱちぱちとジルはされるがままに自分の手元を見つめて、心した。
「ナイフのほうをかすのではないのですね」
「そうだ。……ほら、できただろう。しコツを覚えれば君もすぐできる」
「……あの」
「ん?」
「……うさぎさんは、できますか。ど、どうしてもあれの作り方がわからなくて……」
誰かの看病するときにあれを作れるの子になってみたかった。そう言うのは恥ずかしい気がしたが、ハディスは笑ったりしなかった。
皮はきちんとボウルに捨て、皿の上で用にむいた林檎を切って芯を取り、むいた林檎は綺麗に皿にならべて、ハディスはもう一つ林檎を取る。
そうしてジルを抱えこんだ勢のまま、また用にナイフをかし出した。
大きなその手が、魔法のように理想のウサギ型を作っていく。おお、とジルは目を輝かせた。
「うさぎ……!」
「もうしあれば、々飾りも作れるんだが」
「飾りも!? 陛下は天才ですか!?」
「そんなに難しいことじゃない。……僕には異母の弟と妹もいる。こういうことができればしは好かれるかと思って練習しただけだ」
手を洗おう、と言ってハディスは朝の洗顔用に水がはられたボウルを取って、その中にジルの手も一緒につけられた。そのあとはちゃんとタオルで手を拭いてくれる過保護ぶりだ。
きっと本當は、弟妹にこうしてやりたかったのだろう。
それがわかったから、初夜だとか趣味だという単語を頭の隅に追いやって、ジルはされるがままになっておいた。
「君も林檎を食べるといい」
「はい」
きっと合が悪くなったとき、林檎をむいてくれる人も、一緒に林檎を食べてくれる人もいなかったんだろう。
(……今のわたしは子どもだ。おままごとの延長、よし恥ずかしくない!)
寢臺の上でハディスに向き直る。そして可いうさぎの形をした林檎を、ハディスの口元まで持っていった。
「はい、陛下。口をあけてください」
「……僕がか?」
「そうですよ。陛下はただの酔っ払いですけど、看病が必要でしょう」
金の目が戸っている。だが結局、ハディスはジルに言われたまま口をあけて、林檎をかじる。
もぐもぐと林檎を食べているその作と、やたらとしい顔の造形の差異がおかしくて、ジルは笑う。むっとしたようで、でもきちんと口の中のものを噛んで飲みこんでから、ハディスが喋った。
「……どうして笑うんだ。食べろと言ったのは君じゃないか」
「可いなと思って。弟を思い出します」
「……弟?」
限界まで眉をよせて、ハディスが聞き返す。はい、とジルは答えた。
「うちは大家族なので、姉も弟も妹もいます」
「それはにぎやかで結構だが、僕が弟?」
「そういえば、実家への連絡はまだですよね。大丈夫だと思いますけど」
「大丈夫じゃない。僕が弟とはいったい……いや、大丈夫?」
「両親は求婚の場面は見ていましたし、わたしが戻ってこないということは、自力で逃げられない強い男につかまったということで、それならしかたないと言うかと」
ハディスは釈然としない顔で、今度は自分の手で林檎を食べた。
「そういうものか?」
「うちはそうです。わたしが助けを求めればまた別ですが……そうだ。あの、ありがとうございました」
「……今度はなんのことだ?」
「今日のことです。わたしの希を葉えてくださったから」
ハディスは都合の悪いことを言いかねないヒューゴを殺せたし、ベイル侯爵だってあの場で処刑できた。
そうしなかったのは、ジルが全部助けようとしたのを汲んでくれたからだ。
「……君は嫌いだろう。恐怖政治とか、皆殺しとか、そういうの」
「それはもちろん。でも、全部助ける戦い方なんてあまりしたことがありません。まれてもいませんでしたし、できるか自信はなかったです」
「……そうなのか?」
意外そうな顔をされて、ジルは苦笑した。
「でも、陛下に助けていただいて、やり遂げられました。すごく嬉しいです」
「そ、そんなことわざわざ謝しなくていい」
「だって自分がしたいと思ったことを葉えてもらったのは、初めてだったから」
言ってから気づいた。思った以上に自分は喜んでいるらしい――だが、一方で忘れてはならないことがある。
「ただ、そのせいで陛下がベイル侯爵にあんなひどいことを言われてしまって……」
でも、ごめんなさいは違うだろう。ジルはくるりと振り向いてハディスの手に、小さな両手を重ねた。
「わたしは呪われていてもなんでも、陛下に生きていてほしいですからね。だから今度、あんなふうに言われたら言い返してください。わたしがいるって」
二度と、あんな悲しい肯定はさせない。そうに誓うジルから、ハディスはぱっと手を払いのけた。みるみるうちに頬を赤く染め、乙のように恥じらう。
「君……実は僕が大好きだろう?」
「……はい?」
「でなければ僕に生きていてほしいだなんて言わない!」
「好意の下限が低すぎませんか!? 家族相手だってそう思います、普通!」
言ってから、ハディスはろくに家族との流がないことを思い出して、また失言かと焦った。
だがハディスは傷ついたというよりは、いきなり半眼になる。
「なるほど、弟か……」
「え? あ、はい、そういうことです」
やけに理解が早いなと思っていると、ハディスは林檎ののった皿をジルから取りあげ、シーツをに巻きつけた。
「……さっきから寒い。水を飲み過ぎたかもしれない」
「そういうことは早く言ってください!」
もう一枚のシーツとすぐそばにぎ捨ててあった上著をひっつかみ、ハディスを寢転がしてばさばさと上からかける。だがふとれたハディスの頬は冷たい。あたたまるまで時間がかかるかもしれない。
「……失禮しますね、陛下」
一言斷って、ジルはハディスのシーツに潛りこんだ。が小さいせいで長さも何も足りないが、湯たんぽ代わりにはなるはずだ。
枕を橫にしているハディスの首元近くから、顔を出す。
「こちらのほうが早くあたたまりますので」
「……ああ、そうだな」
ハディスが両腕をジルのに巻きつける。薄暗がりの中で、金の瞳が兇暴に笑った。
「つかまえた」
一拍おいて、ジルは気づく。
「だ、だましっ……!?」
「夫を弟扱いするなんて、さすがに許せない」
「さ、寒いと言うから心配したのに」
「寒いのは本當だ。震えてるし、足の指の覚がちょっとまずい気がする」
そう言われると安易に離れられないではないか。
(くそ、子どもっぽいからつい油斷した……!)
恥ずかしいやら悔しいやらでうつむくと、ぎゅっと抱きしめられた。
「大丈夫だ、何もしない」
當然だ。でも何を答えても負け惜しみになる気がしたので、黙っておく。
「なあ、僕を好きになってみないか」
「……」
「でないと僕は君を全部、暴いてやりたくなってしまう」
やってみろ、とを噛む。こちとら十歳だが中は十六歳、初もすませて、手ひどい失も経験した。
知りたいだなんて好奇心に負けて、深りはしない。
だから頬が熱い意味にも、わからないふりができる。
――と決意しながらあっさり寢落ちたジルを、ハディスは見おろしていた。
「子どもなのだか大人なのだか、よくわからないな?」
だが悪くない。
十四歳未満、ラーヴェが見えるだけの魔力を持つこと。それ以上なんてんでいなかったのに、思った以上の逸材だ。求婚されたときとは別の意味で浮かれてきた。
(僕のお嫁さんだ)
嫌われたくない。仲良くできたらいい。でも弟ってなんだ、それは許せない。
生きていてほしいなんて生まれて初めて言われたからだろうか。が出てきた。
『……あんま調子にのんなよーお前、重たいから』
側から半分寢ぼけたような聲があがった。ラーヴェだ。ジルを起こさないよう、思考だけでハディスは答える。
(しくらいそういうことを求めてもいいだろう? もう神は手出しはできないとお前も言ってたじゃないか)
『他に手段があるって言ってたのはお前だろ。それにこの嬢ちゃん、お前とは互いに利益だけの関係めざすとか言ってたぞ。あんま無理に迫ると嫌われんじゃねーの?』
(嫌われるのは慣れている)
そう、だから彼に好かれてみたい。嫌われないだけではたりない、されたいのだ。
はしない。そう言う彼の頑なさを暴いて中を引きずり出す。なんて楽しい作業だろうか。獲の臓を引きずり出すような高揚だ。――そのためには。
「明日の朝食においしいパンを作らねば……!」
『……あーうん。頑張れよ、俺寢てるから』
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