のぞみが目蓋を開くと、白い天井が見えた。いつの間にかベッドに寢かされていて、薄い布団を掛けられている。まだしの中にだるさが殘っていたが、のぞみはなんとか背を起こした。そばに置かれた機の上に、名前を知らない花の一挿しが置かれている。清潔のある個室には窓もない。壁も天井も白く塗りつぶされており、宙にのぞみの報が投影されていた。

自扉を開く音が聞こえ、一人のが姿を現す。

は白に銀のベルトを締め、白のマントを羽織っている。銀のミディアムショートの髪のがしいその姿を見て、のぞみは學院手続きの資料を思い出す。そこにはカレッジの教諭はもちろん、學院所屬の醫療センター・ハストアル治療室のヒーラー長も記載されていた。

「オンズ先生……ですか？」

はクールな笑みを浮かべる。

「目が覚めたのね、Ｍｓ．カンザキ」

「先生、私……搬送されたんですね」

まだし気だるさをじる頭をりながら、のぞみはオンズに応対する。

オンズは投影されたデータに目を通している。

「あなた、學院手続きを読まなかったのかしら？」

「読みました。でも、異常に気付いたときにはもう遅くて……。まさか教室に重力調節システムが付いてるなんて……」

データを読み終えたオンズは、のぞみの方に向き直り、わずかに顔をしかめて言う。

「まったく……、応急処置がなければあなた、今頃ミンチよ。親切なクラスメイトに謝しなさい」

「クラスの誰かが助けてくれたってことですか……？」

「そうよ、自分の源(グラム)をあなたに注いでね」

「そうでしたか……」

のぞみは自分が思ったよりも危機的な狀況であったこと、そして、誰かはわからないが、自分を助けてくれたクラスメイトがいることを知り、ありがたく思った。

「Ｍｓ．カンザキ。あなたもう二年生でしょう？セントフェラストにいる限り、源気(グラムグラカ)を使わなければ生きていけない。もっと気をつけないと、本當に死んでしまうわよ」

心苗(コディセミット)の個人ロッカーの鍵の開閉、教室や寮のセキュリティーゲートの出りには源のスキャンが必須だ。個人所有のマスタープロテタスカードも、所有者の源をれなければ機能しない。この學園にいる限り、源が使えないというのは日常に支障を來すことになる。

「認識が甘かったです……。源を使ってはいたんですが、あの重力には耐えきれませんでした」

「そうね。１０倍重力は、元々が士(ルーラー)のあなたにとって、の限界を超えているんでしょう」

新學期初めの授業で倒れてしまったせいで、のぞみの転には無理があったと誰もが思うだろう。しかし、のぞみは自分がんで選んだことを、そう簡単に諦めるわけにはいかなかった。今さら帰る場所もない。のぞみはオンズに訊ねる。

「オンズ先生、私、どうしたらいいでしょう」

オンズは甘えを許さない口調で答える。

「耐えるしかないわね。全力で源を出してようやく足並みが揃う程度でしょう」

「でも、限界突破するような狀態を長時間キープするのは、に悪影響がありませんか？」

「そうね、スタミナ、力ともに激しく消耗するでしょうね。でも、食事と睡眠を意識的に多く摂れば問題ないはずよ」

「そうですか……」

のぞみはまだ不安の殘る面持ちで頭を垂れる。

「あとは、源の基礎訓練をしっかりやることね。あなたはまだ若いから、まだまだびるわよ。今のうちに人一倍、努力して、源の強化訓練をしなさい。そうすれば、いずれ結果はついてくるわ」

「わかりました……」

オンズのアドバイスを聞いて、のぞみは小さな手をグッと握る。

わかっていたことだ。士の素質を多く持つ自分がハイニオスへ転することは、これまでとは桁違いの苦しみを伴う。転を決めた時點で覚悟は決まっていたはずだ。のぞみは、どんな壁が聳えたっていても乗り越えるしかないのだと、自分をい立たせた。人知れず、決意した瞬間だった。

オンズはのぞみの顔つきに覚悟が表れたのを見てとると、加えて言う。

「それよりもあなた、ほかにも問題があるようね」

「ほかにも、ですか？」

思い當たることのないのぞみは首を傾げる。

「人間関係よ。あなた、校舎裏の廊下に置き去りにされていたのよ」

のぞみは驚き、目をしばたたかせる。

「えっ？どういうことでしょうか？」

「あまり人通りのないところを選んで放置されたのね。あなた、何か恨みを買うようなことをした覚えは？」

「では、オンズ先生が見つけてくださったんですか？」

「いいえ、の子が一人で運んできてくれたわ」

それはそうと、とオンズは呆れ顔で続ける。

「闘士(ウォーリア)を育てるこの學院に通う心苗たちは、ほかの學院の子たちよりもが激しいのよ。激をコントロールできずに喧嘩をして、大怪我を負ってここに運ばれてくる子も多いわ」

「そうなんですか……」

「あなたの事はわからないけど、のケアと同じくらい、人間関係のケアも大事よ。転生なら尚のこと、後々、面倒なことにならないようにね」

「はい……」

のぞみはこの件に関しては、おおよそ誰の仕業か心當たりがあった。

＜２０：７０＞

「もうこんな時間なんですか？」

投影された時間を見て、のぞみが言った。

「ちょうど午後の一時間目が終わったところよ。Ｍｓ．カンザキ、もうし休んでいってもいいのよ？」

のぞみは首を橫に振り、右足からベッドを降りようとする。

「いえ、クラスに戻ります！クラスのみんなとの差がよくわかりましたから、寢ているわけにはいきません！」

オンズは手に持った機元(ピュラト)裝置から、のぞみのデータを読み取る。

そして、のぞみの慌てっぷりを見ながら、口元に笑みを浮かべた。

「うん、良い顔ね。データも異常なし。さ、行きなさい」

「はい、ありがとうございます」

ベッドを降りるとのぞみは自扉を開き、オンズに一禮してから個室を出て行った。

ちょうどそのとき、外から一人のがってきた。オンズと似た髪型と服裝で、頭には犬のような折れ耳がある。そのはのぞみが慌てたように個室を出て行くのをちらりと見て、驚いたような、心配げな表で、個室に殘されたオンズに聲をかける。

「ヒーラー長、あの心苗、もうクラスに戻ってよいのですか？」

「ええ、リム。あの子はもう大丈夫よ。調も安定範囲まで回復したわ。調さえ許容範囲にあれば、なるべくは心苗たちの意志を尊重したいものね」

ここ、ハストアル治療室でヒーラーを務めるリム・ロースタは、のぞみの転學に悲観的な意見を述べる。

「彼、応急処置のおかげでなんとか命を失わずに済んだだけでしょう。士がハイニオスに転するというのは、やはり無茶なのでは？」

「彼自がこの煉獄を選んだ以上、私たちヒーラーにできることは、見守ることだけよ」

「あので、この環境に耐えられるでしょうか」

「大丈夫じゃない？あの子、ホーリプラックシステムは使わず、半日で自己回復させたの。自癒力は期待できるわ」

オンズはリムのように一般論に流されず、あくまでデータと本人の問診に基づいてのぞみを分析する。

「なるほど、『ヴィター』タイプということでしょうか」

「そうね、回復の速さからして、『ヴィター』でしょうね。あの子、士としても珍しい質だと思うわ」

先天伝、後天の質変異や、外的要因の鍛錬を問わず、闘士はの素質によって、四つのタイプに分けることができる。は丈夫でも、怪我をしたときの自癒力は普通程度の『ビースト』タイプ。が丈夫で自癒力にも恵まれた『バーサーカー』タイプ。丈夫さや自癒力は普通だが、のある部位や臓の機能の強化を常態化させられる『ブースター』タイプ。そして、のぞみのように丈夫ではないが自癒力の高い『ヴィター』タイプ。

「ねぇリム」

オンズはふっと笑みを浮かべて言う。

「生きものって不思議ね。大まかな屬分けはできても、伝子報による個差っていうのは、唯一無二だものね」

リムはオンズの微笑みの理由がわからないまま答える。

「そうですね、誰一人として源紋(グラムクレスト)のパターンが同じ者はいないわけですから」

源はエネルギーを波狀パターン化させ、報として記録できる。これを源紋と呼ぶ。源紋は、種族問わずあり、雙子であっても異なる。個差がもっとも出やすいことから、タヌーモンス人の社會ではもちろん、聖學園(セントフェラストアカデミー)ではセキュリティーチェックの分証明に、源をパスワードとして使っている。

ヒーラーとして、學園で２０年以上のキャリアを持つオンズは、さらに言う。

「それだけじゃないわ。、個、背景、魂。それぞれ、何か一つでも違えば、もう同じ人ではないのよ。リム、あなたまだ臨床の経験がないでしょう。ケアをするときは、心苗一人ひとりに合った対応を考えないといけないわ」

「はい、進いたします、ヒーラー長」

そのとき、次の患者の來訪を告げるアラームが鳴り、二人はすぐさま出迎える準備にとりかかった。

つづく