《高校生男子による怪異探訪》25.古戸萩の祝福
ちょっとグロ注意。一瞬ですが。
靜かに目を見開き固まる宮杜を不思議に眺める。視線は自分たちの後ろにと向いていた。
何かいるのか? 気になりそろりと首だけかした樹本は、そこに不気味な影を見た。
現在位置は路地の一角だ。雑賀の喫茶店が居を構える通り。だらだらと話に夢中になり足を止めていたために未だ商店街の通りにも戻れていない。
その路地の奧、商店街とは反対の別の道にと繫がるそちらの方にそれはいた。距離はある。とっぷりと闇が頭上から覆い被さり、數ない店舗の明かりや電飾のが一部を明るく切り取る中でぼんやりと薄く浮き上がって見えた。
それは人だ。恐らく。長い黒髪の掛かる白い顔が闇の中に丸く浮く。服裝は簡素なワンピース。暗いからまでははっきりしないが、暗なのか郭は周囲の闇に溶けてしまってよく見えない。真冬のこの時期に著て出歩くには些か軽裝過ぎるようには思えた。
だがそれ以上に気になる點がある。それはだらりと垂れ下がる二本の棒のようなもの。の肩口から真っ直ぐ、地面に著きそうな長さでブラブラと揺れている。
あれはなんだろう。暗く遠くとも斑に黒と白と赤のりじるそれは揺れている所為もあってか強く目を引く。
位置を考えれば腕にも見えなくはないが、人の腕があんなに長くあるはずがない。マフラーか何かを見間違えているだけか……。
「……皆さん、ゆっくりとこちらに來てください」
見っていた所に宮杜の潛めた聲が屆く。
はっと我に返り首を戻す。視界の中で宮杜はやけに真剣な表などしていた。
「え……?」
「靜かに、音を立てずゆっくりとこちらの通りに進んでください。背後は振り返らないように」
張を滲ませる固い聲での指示だ。どう考えても拙い事態にあると知れる。
「な、何……」
「……背後にいるあの人、ひょっとして噂の?」
ピンときたらしい嵩原が一つの結論を弾く。宮杜の眉間のシワが一つ増えた。
「噂……?」
「覚えてない? ここ最近によくよく目撃されるようになった怪異の一つ。異様に腕の長いが彷徨いてるって話」
「あー……、そんなのも聞いたような」
呟き、えっと檜山は嵩原の顔を仰ぎ見る。つまりは自分たちは噂の存在に出會したということだ。
「なん……っ!?」
「マジで? え、後ろにいる奴がそうなのか?」
「恐らく? なんでも彼は変質者に攫われて腕を機械で潰されたんだとか。複雑骨折と筋組織がズタズタになった所為で腕も地に著かんばかりにびてしまったというお話」
「ひえ……っ」
殘酷な話に樹本はをめた。些か誇張のされた話に思えなくもないが、被害をけた當人が後ろにいると思うとそんなの作り話と非難する気にもならない。
「骨折だけでそんなびるもんなん? 俺骨折ったことあっけど足びたってことはなかったなぁ」
「そこはまぁ噂ではそうなってるだけだね。この話はちょっと創作臭くてね、実際にそんな痛ましい事件があったという裏取りは出來てないんだ。両腕を潰されたあと殺された彼は未だ犯人に復讐すべく彷徨い歩いているとされてるけど、これは多分に想像のった作り話じゃないかって俺は考えてる」
「皆さん」
軽快に語る嵩原の言を宮杜の低い囁きが止める。顔を向ければ厳しく強張った表でこちらを睨むように見る宮杜と目が合った。
「お喋りはそこまでです。早くここから離れてください」
「え、あ、はい」
「そんなに危ないもんなんか?」
「噂では死ぬ間際に見た犯人の顔を手掛かりにしていて、出會った人間の顔をその潰れた腕で摑んで覗いてくるとか。犯人じゃなかったとしても摑む勢いが強過ぎて握り潰されてしまう、とは言われてるね」
「それ頭潰されて死ぬってこと!?」
思ったよりもかなり暴力的な話につい突っ込む聲にも力がる。悲鳴のような聲を上げてからはっとなり咄嗟に背後を振り返ってしまった。
はまだ遠い。かなり離れた後方にて闇に溶け込んで長い白が揺れている。大丈夫、まだ距離は充分にある。そうほっと息を吐いたそこで、不意に白い顔がこちらを見た、気がした。
気付けばとの距離がまっていた。目の前數メートル。細部もよく見えなかった姿が翻るスカートの裾さえはっきり見える距離まで近くにある。
ひゅっと驚きに締まったから呼気擬きの音がれた。白い顔に長い髪。不気味なシミに染まったワンピースに足の白い足が視界に映る。
だが尤も目を引くのはやはり腕だ。白いは歪に撚れ、所々に黒い染みと赤々と濡れる弾けた果実のような裂傷を曬し、幾つもの骨片らしき凹凸を生やしてだらりと地面に著かんばかりに垂らしている。
その腕は見ようによっては引き延ばされた布や麺とも見えたかもしれない。人らしき関節に向かい引き締まるなだらかさもなく、骨を中心とした丸みのある郭さえもない。
無理矢理に押し潰され、引き延ばされ、そうやって徹底して『破壊』された痕跡がまざまざと殘る腕をは力なく揺らしていた。ぶらり、ぶらりと、それこそ僅かな風にも煽られる薄っぺらなであるかのように。
「……っ、ぅぐ」
凄慘な、あまりに凄慘な姿。胃の底から迫り上がる吐き気を樹本は必死に堪える。は目と鼻の先、潰れ拉げ最早正しい形を失った腕をぶら下げてそこにいた。
「……っ、いけない、皆さん早く! 逃げて!」
宮杜の切羽詰まったびが耳を通り過ぎる。中途半端に振り返ったは衝撃と吐き気で思うようにかせない。
の腕が持ち上がる。関節さえもなくしたはずの腕はそれでもぐらぐら揺れながら樹本の目線の高さまで上げられた。の手は指さえもを裂いて潰されていて、最早四又に別れた黒い塊の何かにしか見えない。何かを摑めるとも思えない手を、それでもはゆっくり樹本にとばす。
「……」
が近付く。ぐしゃぐしゃに潰れたまみれの指が迫る。片と化した指の隙間からの顔が覗いた。長い黒髪を無造作に流すの顔面は、ただ目と口の部位には黒いしかなかった。
「……あ」
手が、顔面を覆う。
「『止めろ』!!」
通りの良い低い聲が裂帛となり辺りに轟く。ぱっとのを何かが通り抜けた気がした。同時に視界が晴れる。
見ればの手は視線のし先で空を掻くように悶えていた。ぎこちなく揺れる指を間近に見て、遅蒔きながら恐怖が全の筋に行き渡った。
「ひ……っ」
ひきつけを起こしがくんと足から力が抜ける。地面に倒れながらも目は空中で揺らめく腕にと定まったままだ。
「『離れろ』!!」
また聲が命じる。の腕がすっと後方に下がる。自が下がっているのか、あれほど近くに見えた顔が遠い。
が張り裂けんばかりに強く速く鳴る鼓とは反対に、樹本の思考は一周回って冷靜になってきていた。轟く聲は実に聞き慣れたものだと二回目にして気付く。いつも耳にしていた、ここ最近は全くと聞くこともなくなってしまった聲だ。
「……『消えろ』」
三回目の命令は靜かだった。それまでの高圧的な響きはなく、けれど抗い難い強制力をじる。は腕をこちらにとばしたままピタリときを止めて、やがてすうと足元から消えるようにしてその姿は闇の中に溶けていった。
靜寂が通りに戻る。の姿は影さえ殘されていない。樹本は恐る恐ると振り返った。立ち盡くす宮杜の更にその後ろに彼はいた。
「……永野……」
明るい商店街へと続く差點、その境に立ち盡くしこちらを無表で眺める永野の姿が目にる。先程の裂帛の聲は永野のものだった。數日振りに見る友の姿に、どうしてか安堵とそれから不安がのを占めていった。
「……やはり、君は言霊を宿しているのですね」
凍ったような靜寂が辺りに満ちる中、不意にぽつりと宮杜の呟きが広がった。
「『言霊』?」
「人の吐く言葉には力が宿るとされる思想です。我が國では自然界に存在するあらゆるものに神やあるいは霊となる力持つものが宿っているという信仰があります。それと同じように人が願い特別に吐き出す言葉にも力が宿っているのだと考えられたのです。それが『言の葉に宿る特別な霊力』、『言霊』なのです」
淡々と、しかしそのに潛む僅かな興を滲ませて宮杜は答えた。言葉に宿る力。それはつい昨日にも聞いた特殊な文言であった。
「……単なる噂話でさえ実を伴うまでに確かな存在になり上がる……」
「この土地特有の現象ですね。守護神の加護により言葉の持つ力が強くなる。それは何も目に見えない事象にばかり作用するものではないのですよ。當然、この地に生きる者にも恩恵となり得る。昔から、ここの土地には吐く言葉に特殊な力を宿す子がよく生まれていたそうですよ」
じっと宮杜の眼差しは永野に注がれている。つまりは永野がその特殊な子、この土地にもたらされた守護神の言祝ぎの力の一端を宿す人間、ということか。
彼は吐き出す言葉に確かな力、この場合は告げた容を現実のものとする恐らくは多數の意思や現象など簡単にねじ伏せられるだけの強制力を課すことが出來るのだろう。先程のの怪異に施したように。その存在さえ消し去ることも可能とする。
ゆっくりと宮杜の発言を飲み下し、そして樹本はゾクリと背筋を震わせた。
「それが、永野の力……?」
「……現在、古戸萩に起きている異常事態を解決に導けるだけの確かな力です。……疑う訳ではなかったが、まさかこれほどとは……」
樹本たちの呟きに反応はしているものの、宮杜の意識の大半は永野にと向いているようだ。
彼は一歩永野に近付く。元より彼は現在の危機的狀況に対抗するため永野にと協力を要請したいと憚ることなく告げていた。予想通り、あるいは以上であった永野の力を垣間見て渉にと気を逸らせたのは致し方ないのかもしれない。
そうやって永野の持つ力について語ることにより、樹本たちがどのような目を永野本人へと向けているのかも察せずに宮杜は居住まいを正して話し掛けた。
「永野真人君。お久しぶりです。以前に私が話したことを覚えていらっしゃいますか?」
「……」
「この街は危機を迎えています。先程のあの怪異同様の人の管理などけ付けないものたちがこの街を闊歩しているのです。あれらを鎮めるにはどうしてもあなたの力が必要なのです。再度お願い申し上げます。どうかこの街の平穏を守るためにも我々に協力はして頂けませんか?」
下にも置かずに宮杜は決死に懇願する。この街のため、その気持ちに噓偽りはないのだろう。樹本たちの仲直りにも協力をすると即決し、年下の高校生相手にも丁寧に頭を下げる彼からはただ真摯なまでの事の解決をむ気持ちしかじられない。
そんな彼に対して、永野の返答は。
「……『言霊』か」
ポツリとどこか空虛な呟きが地面に落ちた。はっとなり永野の顔を見上げる。背後からのが強く彼の顔に影を作っており、逆となってその表はよく見えない。
ただ纏う気配は何故かざわつくような、どこか投げ遣りとした落ち著きのないものをじてしまった。
「そうだな。俺のこの力はあんたの言う通り言霊って奴なんだろう」
暗く翳る口元から嘲るような囁きがれ出る。それは宮杜の決死の訴えに応えるものではない。何かを、誰かを酷く侮辱するような軽薄なに塗れている。
「永野……?」
思わず名前を呼んだ。でも永野は応えず今にも笑い出しそうな響きを伴い話を続けた。
「なんでも口にした通りに葉う。例えば、『晴れて星が見える』」
永野の顔が頭上を仰ぐ。釣られて空を見上げる。今日は厚い雲が天上の多くを占めていて星も月もその向こうに隠れてしまっていた。暗い夜空はそのまま地上にも濃い暗闇を落としていたのだが、ひゅうと耳元で鳴った冷たい風の後、その空が晴れた。
すうと重い灰の雲が流れて瞬く星が姿を現す。まるで天上で誰かがスプーンでも使って雲を退かしたようならかさだ。永野の言った通りに空は晴れて星が見えた。
「え……」
「噓ぉ……」
「偶々かもしれない。『雲が出て星が隠れる』」
また不思議な響きの聲が事象を語る。見上げた先で散った雲がどこかから流れてきて天上を覆い隠した。星は見えなくなった。
永野のむ通りに、遙か視線の先のどうやったって人の手など屆かない天候が意のままに再現された。
とても現実のものとは思えない。偶々、偶然。空を好きにく雲ならば本當にタイミングが重なって偶然に永野の言葉に沿っていた可能もあるだろう。極僅か、一パーセントにも満たない確率で。
有り得ないことではない。でも、ほぼ有り得ない。ゾワゾワと己のを浸食するに樹本はを強く抱き締めた。
「……素晴らしい力ですね。それであればこの街も」
「なんでも好きに葉えられる。俺がその気になれば。不都合な真実を知ったお前たちを消すことだって出來るだろう」
「……え?」
何か、信じられない一言を耳にした。そっと視線を前に戻す。永野は靜かにそこにいた。じっと前を、自分たちを見據えて二本の足で立っている。
「何……?」
「なんでも葉えられるんだぞ。利用しようとするも俺が好き勝手に使うも、どちらにせよ誰かに知られたら都合が悪い。『普通はそう思うだろ』」
言葉なに、でも突き放すようにただの事実を語るように永野は告げる。宮杜が唖然と押し黙った。予想だにしなかった返答だったに違いない。
「何、言って……」
「え、冗談? おい永野!」
「……それはちょっと笑えない冗談なんだけど」
代わりというように自然自分たちのから諫めの言葉がれ出ていく。信じられない。とても永野が口にしたとは思えない。飛び出すのは否定の言葉だが、溢れる怯えのまでは引っ込められない。
そう、樹本たちは永野に怯えていた。未知なる強力な力を私によって振るう永野を、その力を自分たちにだって向けると告げた永野を、理解出來ない生きを見るように恐れをそのに抱いたのだ。
永野にその恐れはしっかりと伝わってしまったか。ふっと吐いた息が永野の口元から確かに白くれ出て直ぐに空気に溶け消えた。
「冗談に聞こえたか? ならそれでもいいだろ。それだって“本當”に変えてやるよ」
「な……っ」
「それで誰も俺のことを知らなくなる。やらない理由はないだろ?」
「え、いや、そう、なのか? あれ、でもそれって」
「……俺たちの意思を自分に都合良く変える気かな?」
嵩原がのじられない聲で永野の真意を代わりに口にする。永野はただ無言を返した。それはつまりは肯定ということなのか。
「な、永野ぉ……」
己の口からけない聲が出た。取り縋るようにも、慈悲を求めるようにも、変わり果てた友人に悲しみを抱いたようにも聞こえたかもしれない。樹本自はどれであるかも分からない。頭は混に混を來し目だって熱が溜まっていて段々と視界も滲み出している。
この十數分の間に起こった出來事の、その全てが信じられなかった。理解出來なかった。漸くと言葉もわせたはずの友人はどうしてかあまりに変わり果ててしまっていた。
信じられないものを見るような目で見てしまう。自分も、檜山も嵩原も同じだろう。誰も何も言えなくて沈黙が続く空気を永野が打ち破った。
「それが嫌ならもう俺に関わるな。一々何々と指定するのも面倒なんだ。関わらないなら何もしない。本當だ」
自分の発言を信じてしいのか、最後の一言は誠実に切実に固かった。聲だけを聞けば信じられたかもしれない。でももう樹本は永野のどの言葉を信じればいいのかも分からなかった。
言葉だけでは駄目だ。樹本は永野の顔が見たかった。厚い雲が完全に空を覆ってしまった今、ただでさえ辺りには濃い暗闇が掛かっているというのに永野の背後からは変わらず商店街の華やかな明かりがれて逆の中に永野を隠してしまっている。
完全な影の中に埋沒する永野はこれまで以上に正が摑めない。何を思い、何を考え今そこにいるのか。今までの永野との思い出が全て夢か幻だったのではと思えてしまうほどに、今の樹本には永野が得の知れない何かに見えて仕方なかった。
「もう二度と俺に関わるな。そうすればお前たちは普通に過ごせる。『分かったな』?」
最後に念を押すように永野は問い掛けた。すっと頭に言葉がってくる。自覚もないままに一つ、頷きを返していたかもしれない。永野は満足そうに口を閉ざすとくるりと踵を返した。一瞬橫顔が見えた気がした。でもどんな顔をしていたかは分からなかった。
永野は背を向けてそのまま去って行った。背中が遠くなる。待って、と追い縋る気も起きない。
ただの木偶の坊であるように、明かりの下に去る背中を樹本たちは黙って見送った。
ラスボスは永野です。
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