《視えるのに祓えない、九條尚久の心霊調査事務所》飛び降り
……でも。なあ。私は項垂れる。
首吊ってる霊を発見して、冷靜に彼の顔を拝めるだろうか。後ろ姿だけでも怖いのに、首吊ってる顔って……だめだ、想像だけで寒気がしてきた。
霊は何見ても慣れることはない。多分、私は一生恐怖心が拭えないと思う。元々格が臆病なのだろうか。
はあと憂鬱のため息をらしながら校舎に向かって歩いている時、ふと何気なく上を眺めた。
まだ新しい真っ白な校舎。近くにあるグラウンドからは學生たちのスポーツに勵む聲。なんてことない爽やかな場面に、一つ不審な點があった。
均等間隔で並ぶ窓ガラス。閉まっているものもあれば、換気のためか開けられている窓もある。私たちが立つ場所から一番遠くにある窓に、紺が見えた。
ピタリ、と足を止める。九條さんが押していた臺車の音も同時に止まった。
一番上の階の窓だった。そこから紺のスカートと、2本の白い足が見える。その足の下には、何もない。
生徒が窓に腰掛けていた。両足をこちらに放り出して。
「あ、ぶない!」
俯くに向かって聲をあげた途端、私の手首が強く摑まれる。はっとして隣を見ると、九條さんが真剣な眼差しで窓を見上げていた。
その顔を見ただけで悟る。
……生きてる人間じゃ、ない?
再び窓を見上げた。必死に目を凝らすも、ここからは顔までは認識できない。ただ、風が吹くたびにそのロングヘアが靡くのだけがわかった。
その姿は、生きている人間としか思えないほど明確でリアリティがあった。九條さんに止められた今も、彼に実がないなんて信じられなかった。
唖然としたまま窓を見つめる。次の瞬間、座っている生徒の上半が、ゆらりと前にゆっくり倒れ込んでいく。
「だ、だめ!」
無意味だと知りながらも、私はついんだ。その聲も虛しく、ふわりと彼のが落下する。聲にならない悲鳴を上げながら自分の口を両手で押さえた。
しかし突如、そのが止まる。ぐんと力が加わったようにの子の背筋が不自然にびた。そして宙ぶらりんのまま、は風に煽られるようにゆらゆらと揺れたのだ。
首吊りだった。
首から何か紐狀のものがび、教室の中へ繋がっているようだ。全てが校舎の外へ放り投げられ、たった一本の紐だけが彼を支えていた。まるで人形のように何も反応を示さないその子は、力したまま紐に全を支配されている。
ゆらり、ゆらりとそのが揺れる下から、楽しそうな學生の笑い聲が聞こえた。どこかの部活か、はたまたただたむろしている子達か。明るいその聲と景があまりにアンバランスで、恐怖を覚える。
「く、じょうさん……」
震える聲で彼の名前を呼んだ。九條さんは鋭い視線で揺れる生徒を眺めていた。
九條さんとあわてて例の教室まで階段を登って向かっていったが、やはりそこにはもうすでに何もいなかった。教室の一番後ろの窓だけが開かれており、白い大きなカーテンが風に吹かれて揺れていた。
無言でその窓に近寄り、九條さんがそこから外を眺める。
「あ、危ないですよ!」
慌てて彼の白い服を引っ張った。
「あの距離では顔までは見れませんでしたね?」
平然と、九條さんが尋ねた。
「は、はいすみません、見えてません」
「いえ仕方ありません、私もあれだけ距離があれば聲も聞こえませんし。特徴はどうですか」
「今まで聞いてきた証言と一致します。制服をきた生徒で、ロングヘア」
「それにしても飛び降りながら首吊りとは派手なことを。よほど死にたいらしいですね」
「もう死んでるんじゃ……」
「そこですが、一點不思議に思っています」
彼は近くに置かれている機にもたれかかり腕を組む。
「以前もお話したことがありますが、自殺者は死後もその行為を繰り返すことはよくあります」
「ええ、聞きました……」
「その點で考えれば今回の霊も特に不思議な點はない。首吊り自殺を何度も繰り返している。
しかし、首吊りと一言で言ってもやややり方が違いますよね」
言われて確かに、と気づく。首を吊っているという點は同じだが、今までの証言と私たちが先ほど目にした景、やや違いがある。
ただ首を吊るだけではなく、飛び降りながらの首吊り。
「まあ大した差ではないと言われればその通りですが……ただどこかの教室の真ん中で首を吊るのと、勢いをつけて窓から飛び降りながら首を吊るのは私としてはだいぶ印象が違います」
「つまり、首吊りの霊は一ではない、ということですか?」
私が尋ねると、それも納得いかないとばかりに九條さんが黙り込んだ。彼の考えをそれ以上邪魔しないよう、私は黙り込む。
ちらりと例の窓を見た。今は何もなく、爽やかな青空が見えるだけだが、さっきの景はなかなか自分にはショックが大きかった。
……以前、私だって自殺しようとしてたくせに。
それでも、ぶらんと揺れるの子のが脳裏から離れなかった。やや気分が悪い。まだ至近距離でなくてよかったと思った。あれを間近で見た日にはトラウマになるだろう。
「大丈夫ですか」
ふとそんな聲が聞こえて前を見る。九條さんが私の顔を覗き込んでいた。
「あ、はい……ちょっとショッキングな映像で」
苦笑いしながら答える。今まで生きてきて嫌なものはたくさん見てきたが、いつまで経っても慣れないんだなあ。
九條さんは無言で私を見たあと、近くの椅子を引いた。そして私の腕を引っ張ると、そこに座らされる。木のが懐かしい椅子だ。
「……え?」
「顔白いですよ。しばらく座って休んでは」
そう短く言うと、九條さんはまた考え込むようにして腕を組んでどこかを見つめていた。
気遣いが苦手分野な彼にしては珍しく気が利いている。私はそっと微笑んだ。
誰もいない教室、いるのは自分と好きな人だけ。學生時代だったらなんて素敵なシチュエーションなんだろう、これが首吊り霊見た後じゃなけりゃよかったのに。
一人でそんなことを思っていると、九條さんが突然ポケットから攜帯電話を取り出した。その機械からわずかに振する音が聞こえる。
「伊藤さんです」
九條さんがそういうと、電話に出る。スピーカーにしてくれたようで、聞き覚えのある優しい聲が私の耳にも屆いた。
『もしも〜し! 伊藤です、九條さんですか?』
その聲を聞いただけで頬が緩むようだった。伊藤さんの明るい笑顔が目に浮かぶ。
「お疲れ様です」
『メールでも送りましたけど中間報告です。時間なかったからまだ全然調べ切れてないですけどー』
「構いません」
『まず學校自ですが、再度調べてもやっぱりここ最近自殺者はいませんねえ。変な噂とかもありませんでした、古い歴史のある學校だから土地の問題もなさそうですし?
し前建て替えしてますけど、工事中も事故などはまるでありませんでした。スムーズそのもの』
「ふむ……」
『あと、ちょっと前に三木田さんから目覚めない子達の簡単な報をもらいました。明日はこっちを攻めますねー。
まず一人目、最初の被害者は木下ちか、高校一年。その二日後に江南麻里二年。四日後に佐伯由香一年。最後の被害者は一週間後に植田綾香二年。
一気にみんな眠って、今は新しい被害者が出るのが止まってる狀態ですねー』
「全員なのですね」
『ですねえ。たまたまなのか何かあるのか。
とりあえずこの四人の共通點をなんとか見つけ出したいですが……』
ほんの數時間でそこまで調べられている伊藤さんの仕事ぶりはさすがと言うじだ。私は素直に心する。
九條さんも一つ頷いてみせる。
「それと伊藤さん、調べが一段落したら事務所は閉めていいのでこっちの人手がしいのですが」
九條さんの提案に、伊藤さんの聲が不機嫌そうに変わる。
『ええ……? もしや現場ですかあ……?』
「いいえ。生徒たちがいない間しか撮影ができないので、夜設置して朝回収をせねばならないので、中々重労働なのです。お守りはちゃんと持っててくださいね、あなたが眠って目覚めなくなってしまっては困ります」
伊藤さんは霊を寄せ付けやすいという嫌な質の持ち主だ。それを利用して調査を進めることも時々あるらしいのだが、今回はその能力は使わないようだ。
私は九條さんが言った臺詞に、一人微笑む。伊藤さんが眠って目覚めなくなったら困る、か。人に無関心に見えるけど、ちゃんと考えてるんだよなあ。
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