《視えるのに祓えない、九條尚久の心霊調査事務所》無意識
「さんに言っていたそうですね、あなたは昔やりたいこともあったが、奧さんのために諦めたのだと。
本當は思い続けていたのですね、日比谷のようになりたい、彼のようなことをしてみたい。だが、奧さんを裏切ることはできないから、心の中でこっそり尊敬するだけにしていた。オフ會參加も、奧様は知らないのかもしれませんね。
最悪な偶然で、奧様と日比谷は同時期に亡くなった。悲しみと憧れので、あなたの心は不安定になったでしょう。長年隠し続けてきた狂気が溢れ出した。それを止める奧様という存在も無くなってしまったから」
彼は何も言わなかった。どこか一點をぼうっと眺めているだけで、返事も返ってこない。
影山さんが奧さんを心の底から大事に思っていた、それは紛れもない真実だと思う。
その存在があるから、自分の中にある狂気に蓋を出來たのだ。奧さんさえいてくれれば、日比谷の死も、これほど大きな影響にならなかっただろう。
「……私が……日比谷になりたいと思っていた思いが……自分を飛ばしていたというのですか」
力無い聲がした。九條さんは躊躇いなく頷く。
「先ほど言いました、さんがみたのは日比谷の逮捕當時の顔だと。生前の最も輝いていた頃の姿になっている、とも取れますが、私はこう考えたんです。
あの日比谷は、今の日比谷の姿を知らないのではないかと、ね」
影山さんはゆっくり手の平を見つめる。信じられない、という顔だった。
無自覚。無自覚のまま、彼はもう一人彼を作り出していた。
影山さんという力が強い人だからこそ、できたことなのかもしれない。そういった現象は時折耳にしたことがある。知らない場所で自分が目撃される、誰かに執拗にまとわりつく。當の本人はまるで知らないうちに作り出される。
ただ今回、特殊だったのは、日比谷になりたいという強い思いから、影山さんの姿ではなく、日比谷となって彷徨ってしまったことだ。
そのため影山さん自も気づくことなく、戦ってきた。相手が自分の幽だとも知らずに。もしかして、どんどんやつれていったのは、奧さんの死だけではなくそれが原因なのかもしれない。
だから麗香さんも敵わなかった、お守りも効かなかったし、影山さんの弱點も知っていた。
このまま除霊しても、功はしないだろう。本當の顔は日比谷ではないのだから。それをわかった上で、相手は私たちを導いたのだ。間違った答えに。
九條さんはどこか悲しい目のをさせて言う。
「向こうの本當の顔は、日比谷ではなくあなたなんです。日比谷の外見を借りているだけ。
あなたが自覚しない限り、除霊は功しないでしょう。相手はあなたと同じほどの強い力を持っているんですからね」
影山さんが力無くその場にへたり込んだ。頭を抱えたまま呆然と呟く。
「日比谷が病死したというニュースをみた後……頭が真っ白になりました。妻も亡くし抜け殻のようになっていた私には、強すぎる衝撃だった。
その後、聲が聞こえました。『なりたいものになれ、お前ならできる』と何度も私に囁いた。自分の中の狂気が恐ろしかった。
でもそんな聲も、ししたら聞こえなくなっていた。私は乗り越えたと思っていたんです、私は……」
そこまで言った影山さんは、うっと口を手で押さえる。目から涙を溢れ返し、それが床に落ちていく。
「無自覚でそんな恐ろしいことを……? まさか、そんな。なりたいと思っていた、確かに憧れていた。でも、今まで必死にその思いに勝ってきたのに……!」
そう絶する彼を、私は軽蔑することはできなかった。
ゆっくりと目を閉じる。
『人間は人には言えない恐ろしい面を隠し持っていることもある』
以前影山さんが私に言った言葉だ。今ならよくわかる。彼は自分自が恐ろしかったのだろう。普通の人間なら持ち合わせていない黒い。欠陥品、と自分を呼んでいたことが悲しい。
でもする人との出會いで彼は変われた。それは素晴らしいことで、本當なら彼はそのまま人生を全うしていけたんだろう。奧さんさえ、こんなに早く失わなければ。
ゆっくりと足を踏み出した。隣にいた伊藤さんが驚いて止めようとしたのを、私は払う。
影山さんの正面に立ち、そっとしゃがみ込んだ。
「私は……影山さんが葛藤していたんだな、って、分かります」
彼が顔を上げた。絶の目は、潤んで充している。そんな顔が苦しそうで、こちらまで辛い。
「だって、あなたの意思が弱かったら、そのごといていたはずだと思うんです。理を働かせたからこそ、影山さん自はかなかった。
麗香さんを救いたいと思っていた影山さん、私のために自分の腕を傷つけてくれた影山さん、奧さんの話をする影山さん、それは私がこの目で見てきた、あなたの姿です。
人とは違う力を持つことで、こんな苦しむことになるなんて……悲しい」
彼が普通の人間だったら、こんなことにはなってないだろう。
特殊な力を持っていたからこそ生み出してしまったもう一人の自分。
ただ……犯した罪が、あまりにも重い。
綺麗事では片付けられないほど、事件は進んでしまった。
影山さんは咽び泣く。こんなに真っ直ぐなのに、日比谷に惹かれていたのが不思議でならない。
いや、それが人間か。白いだけではない、黒い部分を持ち合わせる。
誰しも時々、自分自に驚くことがある。特に、自分に余裕がない時、人は黒い部分に呑まれそうになる。
それに打ち勝っていくのが人生だ。影山さんは、打ち勝ったと思い込んでいたのに……。
しばらく彼の泣く様子を待っていた。九條さんたちも、何も言わずに見守っている。突きつけられた真実をけれる時間が必要なのだ。
これで自覚してくれたなら、あの日比谷の姿をした彼は……
そう考えていた時、空気が一瞬で変わる。言い表せられないドロドロした空気だ。はっとした時には遅かった。
私は床に仰向けにひっくり返された。白い天井と照明が目にり、後頭部に痛みを覚える。聲を出すよりも前に、視界に影山さんの顔が見えた。私に馬乗りになっている。
そして、自分の首に、彼の手が巻かれていた。
「ちゃん!」
そうび走り寄ろうとした伊藤さんに、私は大聲を上げた。
「待ってください!」
ピタリと、彼らが止まる。自分を見下ろす影山さんの顔をしっかり見つめ返しながら、私は冷靜に考えていた。
大丈夫、聲が出る。まだ締めてない、彼の手に力はっていない。
優しい力で締められるに、熱をじた。手首にはめてある數珠が首にれている。
影山さんは涙で頬を濡らしたまま、呆然としたような顔をしていた。多分、自分が何をしているのか理解できていないのだ。混し、現実に追いついていない。
これは影山さんの意思ではない。
自分でも心するほど冷靜にそう思えた。そりゃ首からじる熱には、恐怖はある。ないわけがない。
それでも今、力づくで引き剝がすのは違うと思った。
抵抗もせず、ただ影山さんの視線をまっすぐ見つめ返す。
そんな彼の顔の橫から、ゆっくりと誰かの顔が姿を現してくる。徐々に徐々に、その顔が見えてくる。
白いにパーマのかかった髪。異様に上がった口角、それは日比谷の顔だ。ニタニタ笑いながら、影山さんの隣から私を見下ろしている。この狀況が面白くて仕方ない、という顔だ。悪意に満ちた恐ろしい顔にゾッと心臓が冷える。
影山さん本人は、それに気がついていない。
(……負けない)
今、大事なのは、影山さんの抵抗だ。全てを知った上での、抵抗。
「……私は、信じてます。あなたは欠陥品なんかじゃない」
まだ聲は出た。先ほどより、し絞められる力が強くなっている。でも、大丈夫。
「誰かを心の奧からせるあなたが、欠陥品とは思えません。あんなに麗香さんを、私を守ろうとしてくれたあなたが、黒いに負けるなんて思えません」
負けないでほしい。私は祈る。
あなた自の力で乗り越えなくてはならない。打ち勝ってほしい。
影山さんの手が震えていることに気づく。彼は目から滝のように涙を溢れさせ、歯を強く食いしばっていた。必死に戦っている様子がわかる。
そんな彼の橫で、日比谷の顔がじいっと影山さんを見ていた。
もう笑顔が消えている。本気で絞めない影山さんに苛立つように、目玉がこぼれそうなほど目を開き、至近距離から見つめている。
その形のいいが、小さくいていた。
『締めろ締めろ締めろ締めろ締めろ締めろ締めろ締めろ締めろ……』
しゃがれた聲に耳を塞ぎたくなる。
その聲につられるように、首の圧迫が強くなった。ぐ、っと息が詰まる。
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