《後は野となれご令嬢!〜悪役令嬢である妹が婚約破棄されたとばっちりをけて我が家が沒落したので、わたしは森でサバイバルすることにしました。〜》速攻でバレましたわ!
その國境には巨大な川が流れている。対岸には木枠で作られた高い壁があり、川岸には兵士詰め所がある。そこで両國が睨み合いを続けているのが常であった。
明け方に兵士たちを積んだ馬車はそこにたどり著いた。ヴェロニカも大勢の兵士に混じりながら、素知らぬ顔で降りたった。
そこからは、あるのか不明な隙を見て、A國に渡るつもりだった。――しかし。
「待て」
ヴェロニカを含んだ馬車の一団は止められる。知らんぷりして行こうとしたが、
「待て、そこの小柄な奴もだ」
あっけなく捕まってしまった。
*
「どうしてり込んだ」
取調室のような一室でヴェロニカは尋問をけなければならなかった。向かい合うのは品の良さそうな若い男だ。きっちりと軍服を著こなしていることから想像するに、ここの統括者に近い人、なくとも尉以上の階級にいる者だ。恐らく高い分出の、それに比例してプライドも高そうな。
り口には、赤の巻きが印象的な十代と思われる兵士が見張っていた。
(こんなに早く見付かるなんて思わなかったわ)
察するに病院で縛り上げ、服を奪った兵士はすぐに発見されたらしい。何よりも早く侵者の知らせが川岸の詰め所にり、それでヴェロニカの潛伏が発覚したのだ。
B國からしたら、不審者極まりないだろう。
「貴様何者だ!」
ヴェロニカは答えない。だた黙ってじっとその品の良さそうな男を見つめ返した。
この男は小娘なんぞ脅せば何でも言うとでも思っているらしい。ただ聲を荒げ、責め立てる。それではヴェロニカも口を割るはずがない。なぜなら彼の脅しなど、蚊ほども心に響かなかったためである。
(ヒグマに襲われたときの方が怖かったわ)
この男に大聲を出されたところでしも恐怖を抱かない。思わず、ふ、と笑う。その態度が気にくわなかったのか、兵士の顔が怒りにゆがみ、手が挙げられる。
「何だその態度は! 馬鹿にしやがって!」
しかしそれが振り下ろされる寸前で、赤の兵士が止めにった。
「中尉(ちゅうい)! 暴力はまずいです! 冷靜になってください」
止められた栗はギロリと赤を睨むと、上げた手の行き場がそこだったとでも言うように、そのまま彼を毆りつけた。赤は壁にぶつかり、うめき聲を上げる。
中尉と呼ばれていたが、なんともの小さい男だ、とヴェロニカは思った。そして実際それを口にした。
「中尉さん。大方、家柄だけで將校になったんでしょう? そうやっていつも威張り散らしているけど、きっと大した戦果を上げてないのね。だから部下からの信頼も薄いんだわ」
「貴様……!」
將校が機を叩きヴェロニカのぐらを摑む。それをじっと見つめ返す。ロスならきっと言うだろう。「吠える犬ほど弱いのだ」と。こういう手合いがなんと言えば大人しくなるかを知っている。自信の無い人間ほど、承認求は山のようにあった。
「かわいそうな人ね。本當の実力を、誰にも認めてもらえないんでしょう?」
將校の目にわずかにおびえのが浮かんだ。、
――時に野生においては、の小さな者が遙かに巨大な者を圧倒することがある。それは気迫で勝っているために他ならない。
二人の関係は今まさにそれだ。ヴェロニカは、この中尉を神面で凌駕した。哀れ外れ職場で鬱屈としていた中尉はヴェロニカに自の思いをピタリと言い當てられ、ぐらを摑んだままけなくなってしまった。
心の揺をヴェロニカは如実にじ取る。ここぞとばかりにまた責めた。
「あなたはわたしを毆れないわ。だって抵抗しないか弱い淑を痛めつけるなんて、あなたのようなB國紳士の誇りが許さないもの」
「な、なぜ……」
またしても、自分のことを理解しているような娘の発言。
「目を見れば分かるわ。あなたがとても育ちの良い紳士で、とびきり優秀で、わたしが敵でないと見通す真実の心を持っているということを」
それが決定打だったようだ。彼は靜かに手を離した。
「あなたが淑であるということは、その振る舞いからして分かる。……だが、疑わしい者を放ってはおけない。おい、ブラットレイ二等兵(にとうへい)! 牢にれて見張っておけ」
言われた赤の兵士は短い返事をして頷いた。敵地において、ヴェロニカは暴力をけることなく切り抜けることに功した。
(苦労知らずのお坊ちゃんほど、純粋で扱いやすいのよ)
當たり前だが、実際、ヴェロニカはこの中尉に実力があるのかしも知らない。しかし多くの男は……自分は真面目で善人であり、奧底には深い思考と熱があるのだ、そしてそれを誰も気づいていない、正當に評価されていないとじている、とヴェロニカは思っていた。學園や王都で人間関係を築いてきた上で得た実である。
だからそれを言っただけだ。賭けではあったが、勝率の高い賭けだった。森での生活はヴェロニカの覚を研ぎ澄ました。中尉のなり、仕草、周囲の兵士の彼に対する雰囲気から、その勝利を確信していた。
かわいそうな世間知らずの中尉は、まんまと罠にはまったのだ。
「ブラットレイさん、ファーストネームはなんていうの?」
ヴェロニカは座ったまま牢の中から見張りの赤に話しかけた。彼は直立不で真正面を見ている。そこには壁しかないというのに。
「座ったら?」
話しかけても無視だ。中尉と違い、この二等兵は冷靜だった。おかまいなしにヴェロニカは話し続けた。
「あなた、家族はいるの? わたしはいるわ。父と妹が。あまり仲良くないけど」
返事はないから、ほとんど獨り言だった。
「ねえ、どうしてわたしがここにいるか教えてあげましょうか、ブラットレイ二等兵?」
その言葉にピクリとブラットレイが反応し、その目がヴェロニカを捉えた。棒のように立っていた彼も、正不明の娘がここにいる理由に興味を持ったらしい。ヴェロニカは微笑んでみせる。
「家族に會いに家に帰るのよ」
彼の目が、続きを待つようにヴェロニカを促す。
次の言葉を考える。
家族というものは不思議だった。時折、嫌いでたまらないし、同じ環境で過ごしていても、格も全然違う。例えばチェチーリアなど、絶対に友達にはなれないタイプだった。おそらく他人だったら積極的に関わらないであろう。
しかし、それでも困ったときに思い出すのは家族のことだ。無事が心配でたまらないのも、會いたくて悲しくなるのも家族のことだった。
以前の自分なら、牢にれられるなどそれだけで恥辱だった。だが、家族に會うためと思えば、今はしも恥とは思わなかった。
一呼吸置いてから、ヴェロニカは話す。
「……ねえ、わたしはヴェロニカ・クオーレツィオーネ。A國伯爵の娘よ」
「まさか」
彼が初めて口を利いた。信じられないと言いたげな表だが、その瞳はヴェロニカの顔をじっと見つめている。まるで顔に戸籍でも書いてあると思っているようだ。
「本當よ。ほら、このブローチに家紋が刻印されているでしょう?」
ポケットから例のブローチを取り出し渡してみる。彼はそれを注意深くけ取り審査するように月明かりに翳した。そして、見終わったのかまたヴェロニカに返し、やや困したように言った。
「……なぜオレにそんなことを言うんだ」
當然のようにブローチを返したブラットレイにヴェロニカは好を抱いた。先ほどの取り調べでの態度を見ても、この青年は信頼できると踏んだのだ。分を明かしたのもそのためだ。
「信頼に値する人だと思ったからよ。なくともあの中尉よりはね」
その言葉に彼は初めて遠慮気味に微笑んだ。
「さっきの言葉はよかった。オレたちが言えなかったことをズバリと言ってくれたから。あいつ、いつも人を毆ってばかりだ。きっと戦場で撃たれるのは正面じゃない。背後からだ」
そういう彼は厳しい兵士の顔から年相応のいたずらっぽい年の表になった。続けて彼は聲を顰める。
「だけど、クオーレツィオーネ家といえば、當主は今、投獄されていると聞いた。つまり、君の父だが……。娘の一人は死に、もう一人は修道院だと」
「B國人も噂が早いのね。わたしは死んだ方の娘よ。復讐のためにあの世から蘇ったの」
冗談だが、言いながらひどく納得した心地になった。かつての貴族令嬢のヴェロニカは死んで、殘ったのは余計な裝飾のない、純粋なヴェロニカだ。家族に會いに、故郷に帰るだけの娘だ。
「あなた、家族はいるの?」
もう一度同じ質問を繰り返す。
今度、ブラットレイはヴェロニカと同じ目線に來るようににしゃがみこむ。そうすると彼の賢そうな灰の瞳がよく見えた。もしかすると、ヴェロニカよりももっと年下かもしれない、と思った。
「姉がいる。君ほど人でも聡明でもないが、守りたい、大切な人だ」
遠くを見つめるように笑った。
その悲しげな笑みときたら、もう二度と會えないことを知っているようだった。B國の進軍は続くが、あるいはA國よりもよほど深刻な狀況なのかもしれない。若き兵士も員されるほどに。ヴェロニカのは思いがけず痛む。それでも続きの言葉を言った。
「わたしは國境を越えたいの。ほんの手違いでB國に來てしまったけど、家に帰らなきゃいけないのよ。家族を助けるために」
真剣に訴えかけるが、年のような二等兵は首を橫に振る。職務として怪しげな捕虜を見逃すまいとする態度というよりは、友人として心配するような仕草に思えた。
「無謀だ。見付かって殺されてしまうよ」
「だとしても、向かわなきゃいけないのよ。そのために生かされてきたとすら思えるの」
そう。――きっとそうだ。
ヴェロニカが今こうして生きてこの場にいるのは、それをせと神が言っているのだ。
真っ直ぐに見つめると、ブラットレイは黙った。そして無言の時が流れた後で、やがて諦めたかのように靜かに息を吐いた。
「……こうしよう。君が服の下に隠し持っているその長銃で、オレを脅して鍵を奪ったことにすればいい」
バレていたのか、とヴェロニカは驚いた。ブラットレイは続ける。
「川を越えるのは無理だ、どちら側にも一日中狙撃手が見張っているから。商人の荷馬車に潛り込めば國境を越えられると思う。やはり危険だが、最善だ」
覚悟を決めた表だった。そんなことをすれば、間抜けで捕虜を逃がしたとしてきっと彼は厳罰だろう。そんなことはヴェロニカだって百も承知だった。それでも、やらなければならない。
「ありがとう。A國人のわたしにも、親切にしてくれて」
「倫理も道徳心もぶっ飛んでる時代だけど、オレは正しいと思うことをしたいんだ。それに、これは誰にも言ったことがないが……オレはこの戦爭、どっちの國が勝っても構わない。終わらせることが目的だから。……というか、おそらく、B國は負けるだろう」
ヴェロニカは驚く。それは彼のの告白だった。もしこの場にB國の國者がいたら、彼はたちまち殺されているだろう。
目前のこの彼は聡明そうだった。戦況を正しく見ているようだ。だが、負けるとわかっていても戦場に立たなければならない理由がきっとあるのだろう。その機は分からないが、向かう心は理解できた。
何を犠牲にしても、こ(・)れ(・)か(・)ら(・)の(・)こ(・)と(・)をしようとしているヴェロニカと同じだ。國は違えど、二人は同士の友だった。
「B國にあなたのような立派で優しい紳士がいることが知れて良かったわ」
「B國が負けたら、君の家に亡命させてくれ」
ブラットレイがそう冗談を言ったので、ヴェロニカも笑って頷く。「もちろんよ」と言ったのは本心からだった。
「早く戦爭が終わりますように。きっとお姉さんにも會えるわ、ブラットレイ二等兵」
「ルーカスだ」
と、彼は微笑んだ。
「ファーストネームだよ。ルーカス・ブラットレイだ」
「ルーカスね。あなたのこと忘れないわ」
「オレも、多分忘れられないと思う。大丈夫だ、君も家族に會えるさ。何もかも、きっと上手くいくよ……ヴェロニカ」
スーザンと同じような言葉を言い、ブラットレイは牢の鍵を開けた。
――別れの瞬間、ヴェロニカは懐からあるものを取り出し、それを誠実なる友人に渡した。
「これを、B國のどこかにいるエミリーさんに渡してしいの。そして彼の夫が、最後の時まで彼をしていたと伝えてしい」
ブラットレイは渡された寫真を食いるように見つめた後、やがてしっかりと頷き、B國流の敬禮をした。彼ならきっと、夫の帰りを待つエミリーに渡してくれるはずだ、と頼もしく思った。
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