《後は野となれご令嬢!〜悪役令嬢である妹が婚約破棄されたとばっちりをけて我が家が沒落したので、わたしは森でサバイバルすることにしました。〜》病みの彼が注ぐですわ!
心臓が鳴る。
尋ねた時、彼に、満面の笑みが戻るのを見た。この上なく、嬉しそうに、笑う。
ヴェロニカは気がついていた。本のアルベルトが過去に既に死んでいて、目の前にいるこのしい青年が全くの別人であるということに。
「……アダムとイブも知恵の実を食べなければ楽園にいられたはずなのにね。君はどこの蛇にそそのかされたのかな?」
青年は、これ以上楽しいことがないかのように笑っている。
ヴェロニカは屈しなかった。しかし、悲しみも同時に抱いていた。彼に向けるがで無かったとしても、やはり大切な人であったことには変わりない。でも、ケリをつけなければ。
「どうして、イブが知恵の実を食べたのか、きっとあなたには分からないんだわ」
発した聲は、思うよりも落ち著いていた。大丈夫だ、と言い聞かせ、袖(・)を(・)(・)り(・)な(・)が(・)ら(・)、しっかりと彼の目を見て言う。
「の子は好奇心と勇気に満ちているからよ。いつだって革命をむのは、の子なのよ」
どうするかと見ていると彼が一歩ヴェロニカから離れる。
そして、彼らしくなく、大きな聲を出して腹を抱えて笑い出した。
「はははは! 何かと思えば、そんなこと? 馬鹿げてる、イブが忌を犯したのは、がに弱い劣った生だからだよ。
ねえ、それに僕が誰だとしても、どうだっていいじゃないか。周りが見れば、僕はアルベルト・アルフォルト。そして君をしているよ。だからあの男を使って、君だけは助けたんじゃないか? まさか君があいつをしてしまうなんて思わなかったけど、殘念だったね、あれはを語るなんてできない奴だ。人を殺すしか脳が無いんだから。それに今頃死んでるよ、皆殺すように、兵士達に命令しておいたから」
彼は笑いすぎで涙目だ。だがヴェロニカはしも笑えない。
よく知る彼が、外見だけ殘して中がそっくり別人になってしまったように思えた。
しかし兵士達を送ったと聞いても揺はしない。家族のことはロスに託した。彼なら必ず家族を守るはずだ。
「あなたはロスがわたしにしてると言ったか聞いたわね? 答えはノーよ」
目の前の彼の顔が、愉快そうにまた歪む。それでもヴェロニカは続けた。
「でも、彼はわたしをしているわ。その聲や態度や行や、あの瞳にそれが宿っていると確信しているの」
「ははは。かわいいヴェロニカ、勘違いだよ。あれはただの冷酷な悪魔だよ。かわいそうに、人を殺す以外できない男だ。僕はあいつをきっと君以上に知ってる。幾人殺めてきたと? なんて、理解できるはずがない」
「いいえ!」
努めて冷靜なはずだったが、思わず大聲を出した。心は怒りに燃える。目の前でロスのことを斷定するこの青年は、何も分かっていなかった。
「いいえ! あの人は、悪魔でも、鬼もない、人間よ! 一人で生きたくても生きられない、孤獨を求めても、人をんでしまう。戦わなくちゃ、自分を守れない、そんな矛盾だらけの、弱くて、ありふれてるただの男の人なのよ! 笑うと目に皺が寄ることだって知らないくせに、どんな聲で笑うか、泣くか、犬を何よりも大切にしていることだって知らないくせに、どうしてそんな勝手なこと言うの!? 冷酷な殺人者なんかじゃない。ナンセンスな冗談ばかり言うつまらない男の人。でも、わたしにとっては唯一の……たった一人の、人……」
びながら、涙があふれた。
ロスが好きだった。今までの自分では考えられなほど、抑えきれず、好きでたまらなかった。
彼を思うと強くもなれたし弱くもなった。怒りに似た激しい熱を抱いたし、不思議なほどに心が凪いだ。
この青年に分からないのも仕方がない。誰にも分かるはずなどない。たった二人だけで過ごした、死と隣り合わせのあの日々は、やはり二人だけのものだからだ。
まだ薄ら笑いを浮かべるこの人には、自分の手でヴェロニカを助けに來なかったこの人には、永遠に理解できる訳がない。
を流し、命を賭けてヴェロニカを守ったロスのことが、分かっていいはずがない。
ついにヴェロニカは袖に隠していた無機質な鉄の塊を取り出した。ロスからくすねた拳銃だった。そしてそれを目の前の青年に向ける。
恐怖に負けず平常心でいられたのは、この切り札を持っていたからだ。ヴェロニカは銃の引き金を引き、弾丸を彼に撃ち込み、それで全てを終わらせようと思っていた。
だが、驚くべきことに――自分の命を脅かす拳銃を真っ直ぐ額に向けられていても、しい青年はその笑みをしも崩さなかった。
「その銃で、君が僕を殺すのは不可能だ」
夢を見るようにそう言うとゆっくりと、彼の手がびてくる。
「なぜなら、君は僕の一部だから。が男の肋骨から生まれたように、君は僕のものだ、僕に依存する、かわいいの子だ」
彼の手が、ヴェロニカの握る拳銃の銃口にれた。ヴェロニカの手は震えている。引き金を引くだけで彼を殺せるのに、その作が、なぜだかできない。
「しいヴェロニカ。でもね? 僕は君を殺せるよ。なぜなら、それでやっと一つの完璧なものになれるから。君は僕に殺されて、ようやくあるべき所に戻るんだ。
今までいくつも蟲やを殺した。死の間際、もがきあがくそれはしかった。それらの命は今僕の中にある。生きる糧になったんだ」
意味が、ひとつも理解できなかった。彼が言っていることは、きっと何もかも間違っている。
ヴェロニカだってたくさんの命を奪った。飛び散るをしいと思ったこともある。食べたは、確かに生きる源となった。だが同時に、その行為の恐ろしさと忌まわしさをじていた。じながらも全て引きける覚悟だった。命に向き合うときは、命を賭ける時だ。いつだって守るために、奪った。
ならロスはどうか。それ以上の命を奪っている。でもあの男は、その穢れを知っていた。
弾を放つときいつだって、彼の瞳にりが差すことに気がついてた。生きるために奪わずにはいられない悲しみを、彼は存分に知っていた。だから、いつか、そうやって死ぬことをんでいた。彼の底にあるのは、生に対する圧倒的な憧れと尊敬だった。
だけどこの青年は違う。
自ら渇し、愉しんでいる。
明らかに異質だ。
ここで始末しなければ。
にも関わらずヴェロニカの握る銃は、未だ弾丸を発することができていない。
「君が蝶を殺した時、分かったんだ。僕の理解者は、やっぱり君しかいないって。僕らはきっと元々一つの魂だったんだ。けれてくれるよね?」
彼の手が、優しくヴェロニカの銃を奪う。それが床に重い音を立てて落とされても、ヴェロニカはやはりけなかった。
(この人を、殺すことはできない)
頬を涙が伝っても、聲すら出ない。ただただ、悲しかった。どうしてもわかり合うことのできないこの青年と、しかし、確かに笑い合った日があった。溫かな日だまりのような笑顔で、ヴェロニカに居場所を作り、ひたすらに寄り添ってくれたのは彼だった。
彼をこの手で殺すには、あまりにも思い出がしすぎた。青春時代において、二人は互いが互いであるかのように側にいた。だから彼を殺すことはそんな自分を殺すことに等しい。
外で花火が上がる音がする。婚約式が始まった。人々の歓聲が聞こえる。そのすぐ近くの城で、罪なき娘が死にかけているなど寸分も知らずに。
彼はそんなヴェロニカの涙をそっとぬぐうと、耳元で穏やかに囁いた。
「さて、の子が本當にお砂糖とスパイスでできているのか確かめてみようか」
*
「……って言うのが、ヤンデレですわ!」
チェチーリアの説明を、ロスはなんとか理解する。
相手への強いがまず底にあり、強すぎるが故に依存し、または行き過ぎた獨占を持ち、二人の間にる邪魔になるものを排除し、時にする人までも手にかける。
初めて聞く突拍子もない話に、ヒューは口をぽかんと開け、カルロは渋い顔をして黙り、グレイはそれでも相づちを打ち、ロスはまたもや頭痛がしてきた。
「それは神の病気とは違うのか」
そう言った病理を持つ者たちを見たことがある。大抵強すぎる自己の備わった人間たちだ。
尋ねると、チェチーリアの早口の返答が返ってきた。
「全然違いますわ! 病気じゃ無くてなのです! きっとアルベルトのバッドエンドは殺傷沙汰、トゥルーエンドはシドニアの罪を全て暴くのですわ! うう、そのストーリー、やらずに死んでしまった前世のわたくしの運の悪さを呪いますわ。
ああ、そう考えれば、どうしてお姉様がゲームに登場しなかったのか分かりました。アルベルトの婚約者なら、確かにいてもいいはずですが、きっとゲームのお姉様は彼により既に殺されていたんですわ、故に!」
「そんながあってたまるか!」
彼の語りを遮るようにしてロスは思わず大聲を出した。他の面々も驚いたようにロスを見る。
ヴェロニカは、アルベルトの異常に一早く気がついていたに違いない。
アルベルトが兵士を持って屋敷に殘る面々を葬り去ろうとしていることも、薄々分かっていたのか。
頼んだ、といった彼の目を思い出す。怒っているようにも、悲しんでいるようにも見えた。だが渾の思いで、それをロスに伝えていたのは間違いない。
急ぎ銃に、弾を込める。
(無謀だ)
自己犠牲と勇敢は違う。自分を投げ打ってまで周囲を救う、そんな行為は勇気だけ無駄にある馬鹿のやることだ。
たとえ他の全てを守るためだったとしても、ヴェロニカが一人危険の中にいるという事実は、ロスにとっては耐えがたいことだった。それは他の者も同じだろう。
だから一行は、王都へと向かう。
補足。
有名なので不要かとも思いつつ。
マザーグースに「の子は何でできている? 砂糖にスパイス それにすてきなものすべて」という一節がありまして、セリフに參照いたしました。
ちなみに男の子はカエル、カタツムリ、子犬のしっぽでできているみたいです。この差よ…。
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