《後は野となれご令嬢!〜悪役令嬢である妹が婚約破棄されたとばっちりをけて我が家が沒落したので、わたしは森でサバイバルすることにしました。〜》凡庸なタピオカ屋のまれない客人
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退職金を元手にチェチーリアの提案で近頃始めた商売は、恐ろしいほど軌道に乗っていた。退役軍人の中でも、ロスは功した部類といえるだろう。
この日もアルテミスと共に、屋臺を引っ張り學園付近に店を構えた。こうしていると、學校終わりの貴族の子たちが喜々として買いにやってくる。たとえ店主が無想であっても驚くほど売れるのだから、若者の流行というものは、侮れないものだ。
逆に言えば、若者が來ない時間帯は暇なもので、大抵は持ち込んだ新聞を読んでいた。
その客人が訪れたのは、ちょうどそんな晝過ぎだった。
歩幅からして男、歩き方からして軍人。無駄に堂々とした歩き方。――まれない客。
その足音が間違いなくこの屋臺の前で止まった時、ロスは新聞から顔を上げずに言った。
「あいにく、軍人に出すようなものは売ってないぜ」
即座、苦笑する男の聲がした。
「相変わらず、後方に目が付いているのかと疑いたくなるな」
「何の用だ」
「友人に會いに來たんだ」
「殘念だアーサー、俺はお前に會いたくない」
「ミーア・グルーニャ嬢の聴取以來だというのに、ご挨拶だな」
青年將校アーサー・ブルースは笑みを崩さずそう言った。
軍幹部の彼とは、古くからの知り合いで、例の事件の後片付けをともに行った仲ではあった。
だがそれ以來、顔も會わせてはいない。
今更何の用事で訪れたのか知らないが、歓迎されると思っていたのならとんだ思い上がりである。
往來の人間が、遠巻きにこちらへ目を向けている。
偏屈なタピオカ屋が、遂に事件を起こしたのかと、民衆の表は好奇に満ちていた。だが軍人がアーサー・ブルースと分かった時、彼らの瞳は羨に輝いた。
アーサー・ブルースといえば貴族出の軍人で、輝かしい功績を上げていることで有名だった。
おまけにそれなりに容姿も整っていることから、軍の広告塔もたびたび務める。憧れる人間もなくはなかった。
だが功績の裏で、一誰が暗躍してきたのか、知っている人間はまずいない。
「これは蛙の卵か?」
見本の一つを手に取ると、アーサーは訝しげに眉を顰める。
「タピオカだ」
「タ……? いや、一ついただこうか」
アーサーが軍人らしからぬ爽やかな笑顔で言う。だがロスは微だにしない。
この客人に商品を売るつもりはない。
手にしている新聞から、顔を上げることもない。
この男が友人としてロスに會いに來たわけではないことは分かっている。ましてやタピオカがしいわけでもないだろう。傍らの犬だけが、客人に尾を振る。
「お前たちからの仕事は、あれが最後だと言ったはずだぜ」
暗部にいたころ、ロスを使う人間は多かった。アーサーなど、その最たる例だ。
かつては文句はなかった。功績が誰のものになろうとも、栄などには興味がなく、金さえきっちりと支払われていば問題はなかった。だが今になって、會う道理はない。
「仕事なんてとんでもない! 俺は職務中、偶然君がいたから話しているだけさ」
「街のど真ん中で將校が職務か?」
「近頃、反勢力がきな臭いきをしていて、治安維持のための巡回だ」
「大層なことだな」
「王都の安全を守るのが我々の義務だ。お前も気をつけろ。買ってる恨みは一つ二つじゃないんだから」
――恨まれる原因はお前から頼まれた仕事も往々にして含まれているんだぜ。
その言葉をロスは飲み込んだ。
アーサーがにこやかに言う。
「なあロス。今度、飲みにでも行こう。あくまで友人として、仕事の話抜きでだ」
「ヴェロニカに聞いてみないと分からん」
遠回しに行く気は無いと言っているのだが、伝わらなかったようだ。笑みをらされる。
「まさかお前が結婚するとは思わなかったな。しかも貴族の娘と」
「世の中は不思議に満ちているんだぜ」
「平凡な夫は幸せか?」
「ああおかげさまで」
「哀れだな。トモーロスともあろう人間が、すっかり妻のに敷かれているとは」
「おいおい、俺はただの“ロス”だ。トモーロスなんて気取った名の奴は知らねえな」
ピリリ、と空気が張り詰める。
不穏をじ取ったのか、アーサーが話題を変えた。
「そうだロス。夫人といえば、皆不思議に思ってる。俺もぜひ教えてしいものだ。どうやってあのヴェロニカ嬢を落としたんだ?」
「知るか。勝手に落ちてきたんだ」
「それほどいいか?」
「間違いなくな」
「ベス中尉が嘆いていたぞ。クオーレツィオーネ家の娘と結婚しているのと変わらない暮らしを約束するから軍に戻れと迫ったが、愚かにもお前はそうしなかったと」
ベスとは、一度軍部に復帰しそして去るまでの間、上司だった人間の名だ。ロスを辭めさせろとヴェロニカに迫られ、伯爵家に恐れをなしたかわいそうな中尉は、あっさりとロスの首を切ったのだ。
ロスは初めて顔を上げる。
話に興味を持ったわけではない。この煩わしい口をどう黙らせればいいものかと、思案したためだ。
「まさかとは思うが、世間は俺が金目當てでヴェロニカと結婚したと思ってやがるのか?」
「あるいはお前が脅して結婚したと思われているよ」
アーサーの答えにロスは舌打ちをした。
「どう思われても構わん。ようやく手にれた平穏な暮らしを邪魔しないでくれ。商売の邪魔もな。俺を友人だと思ってるなら二度と顔を見せるなよ。軍人に絡まれる店だと思われると、客が減るだろう」
だがアーサーは去ろうとしない。どころかますます顔を近づけた。
「近く、大きな騒ぎが起こる。ロス、共に來い。俺たちには、お前が必要だ」
バン、と新聞を閉じる。
「さっきっから、一なんの権限があって俺の目の前にいやがるんだ。俺はもう軍人じゃない。お前に命令される筋合いはない。過去の算は済んだはずだ」
やはりこいつは、ロスを軍に戻す目的で現れたらしい。裏付けるように本題にったアーサーはうさんくさい笑顔を止めている。
「あのお前が、平凡な幸せをするとはな」
「どの俺を知っているつもりなのか知らないが、今の暮らしは気にっている。あいにくだがさせてもらっているんだ。幸せさ、どうも」
「あの日々は、お前にとっては忘れたい過去なのか?」
アーサーの問いに、沈黙を持って肯定する。
「ロス。過去は、いつまでも追ってくるぞ」
過去は去っても、消えて無くなるわけじゃない。そんなことは、ロスにも分かっていた。だが今は、守るべきがある。暗い過去を、背負わせてはいけない人間がいる。だからこそ全て放り投げ、過去を切り捨て、別の生活を始めたのだ。
「また來る」
「二度と來るな」
簡潔に返答し、ロスはまた新聞を広げた。
*
かつて戦場に、誰もが恐れる鬼神の如き男がいた。誰もが彼をしがったが、遂に誰のにもならなかった。
その男は平凡な一人のと出會いあっさりと軍を辭めた。
「ヴェロニカ・クオーレツィオーネか……」
想のかけらもない店主が見えなくなったところで、アーサーはぼそりと呟いた。
「――興味深い人だ」
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