《後は野となれご令嬢!〜悪役令嬢である妹が婚約破棄されたとばっちりをけて我が家が沒落したので、わたしは森でサバイバルすることにしました。〜》時にはナイフの方が便利なのですわ!
日が暮れゆく森の斜面をほとんど直角に進んでいく。
意外なのはシャルロッテで、弱音一つ吐かない。
目が合うと嬉しそうに笑いかけてくるため、その度に目をそらした。
ヴェロニカは、人の目を見ればがあるかすぐに分かるといっていたが、あいにくロスにはその特殊能力はない。
一晩の遊びに興じたことも、過去一度たりともないとは言い切れないが、今その願は皆無だ。
若い娘が本気で自分に惚れているということが理解できなかった。だからやはり、なんらかの思が含まれているのではないかと思わずにいられない。
無下にできないのは、彼もまた微妙な立場にいる人間だからだ。怒らせでもすれば、確実に周囲を面倒に巻き込む。
いつかは拒否をするにしても、ヴェロニカ行方不明の問題を抱えた今は得策ではないように思えた。
森の木々を切り倒し作られたであろうそ(・)こ(・)を見つけるのに、さほど時間はかからなかった。だが流石に、まさかこんな場所が、こんな森の中にあるとは思ってもみなかった。
切り出した木材でぐるりと囲まれているのは、できて間もない集落だった。
(……きな臭えな)
木に隠れながら、遠目に確認する。
(あれは、連発式小銃か?)
見張りが持つ武は、近頃ますます小型化されていく実包を用いた後裝式の小銃だ。
軍では導が進められているが、山賊が持っているとも思えないほどには高価な武だ。取り囲んでいるのはただの木材だが、逃げ込み、立てこもるには十分な設備だと言える。壁に等間隔に空く四角いは、銃を外に向けて銃眼だ。
中の様子は窺い知れないが、気配からざっと、數十人は暮らしている。
王都からほど近い森の中に、まるで戦爭でも始めそうな不気味な要塞が佇んでいると誰が予想しただろう。
ロスはただ、家出した妻を探しに來ただけだ。こんなものを発見したくて森を歩いていたわけではない。
――どこまでも不穏だ。
夕暮れ時とは言え、周囲にはまだ日の明かりが差し込む。萬全の狀況とは言いがたかった。
「夜になるまで待つ」
シャルロッテに、さっと張が走るのが分かった。
ロスは木の壁に目を向ける。そびえ立つ壁は、無言の圧力をこちらにかける。
壁の向こうからは、時折男の聲がれ聞こえてくるだけだ。
の聲は、まるでしない。
(ヴェロニカ……)
ここにいるのか。無事なのか。痛い目に會っていないか。泣いていないか。
(安心しろ、ヴェロニカ)
いない妻に、ので呼びかけた。
(お前を傷つける奴がいたら、俺がそいつを殺してやる)
紅葉が始まった木々は、ただ靜かにロスを見守っていた。
*
――頃合いか。
雲一つ無い漆黒の空には、冗談のように明るい満月がぽかんと浮かんでいた。
レッグホルスターを外し、銃ごと地面に置く。元にれていた拳銃も忘れずに外した。
シャルロッテが目を丸くし、小聲で尋ねる。
「銃をどうするんです?」
「置いていく。歩くときに音が鳴って邪魔だ」
隠活が要される時は、銃よりもナイフの方が遙かに役立つ。いやそれどころか、近接戦闘においてはナイフほど優秀な武はない。鋼板のない防弾ベスト程度なら、簡単に貫通できるのだ。
ナイフを一本取り出すと、に持たせる。
「せめて持ってろ」
手元に殘るナイフは五本だ。いずれも刃は黒く、月明かりに照らされてもることはない。元と腰回り、腕と足に抜かりなく裝備する。
過剰な武裝とは思っていない。命を守るためには、周到な準備が必要だった。
「ここにいるんだ」
「ここで何をすればいいですか?」
「言っただろ、俺は君を守る気はない。死にたくなければ、最善策を取れ」
「最善策って?」
そんなことくらい、自分で考えろ。と、言いたくなる気持ちを堪えた。
「……偵察の時の話だ。敵國の小隊と運悪く出くわした。耐えきらず走り逃げた奴は撃たれ、すぐ側の木ので息を止めかずにじっとしていた俺は、生き殘り本隊と合流した」
「つまり、どうすればいいんですか?」
「極力音を立てず、息を潛めてここにいろ、ということだ。見つからなければ殺されることはない」
シャルロッテが不安そうに目を揺らす。
「だけどこんな明るい月夜じゃ、ロスさんも見つかっちゃうんじゃ」
「いや――むしろ好都合だ」
満月の夜は獲からすると最悪だが、捕食者からすると悪くない條件だった。が強いほど、それだけ闇は深くなる。生じる影は必ずロスのを隠してくれる。
風が、夜の森を揺らす。
この覚は久しぶりだった。
森の空気を吸い込むと、一気に闇が迫る。暗がりに境界は溶け込み、自分の存在さえも曖昧になる。人を殺すという非日常が、生が繰り返し行ってきた営みだと思えるほどに自然に行うことができる。
知らず、ロスはまた、その濁流の中に自分を置いたのだ。
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