《後は野となれご令嬢!〜悪役令嬢である妹が婚約破棄されたとばっちりをけて我が家が沒落したので、わたしは森でサバイバルすることにしました。〜》尋問ですわ!
素直に従ったというのに、ロスはまったく不愉快な取り調べを、一晩中けなくてはいけなかった。
窓もない、中央に機だけある、灰の壁の狹い個室。
時間の覚さえ曖昧だ。
軍の所有である建の一室に、この取調室があるのは知っていた。口を割らない相手をじっくりと落とすために使用される場所だということも、もちろん把握していた。
だが自分で使ったことはない。
“仕事”は多くの場合、速(・)攻(・)即(・)斷(・)であり、畏まった取り調べとは無縁だったからだ。
「話すべきことは全て話した。いい加減外に出してくれ」
尊大な態度に苛立ったのか、目前のはピクリと眉をかした。
「だったらいい加減、本當のことを言え。貴様は家出した妻をかいがいしく探すような、の通った人間ではないはずだ。金目當ての婿養子だろう」
「お前は俺をどう見てるんだよ」
対面するのは、捕らえられた時にいたアーサー・ブルースではなく、かつて一時、軍に戻ったときの上司であった、エリザベス・ベスという名のだ。
「かつて鬼と恐れられた男が、一人のに執著するとは、あまり見たくない景だ」
「妻に惚れてて何が悪い?」
この、歳はロスよりも下だったはずだ。
階級はロスよりも隨分と上だったが、軍を辭めた今、へりくだる理由はない。
「なあベス・ベス」
「ベス中尉と呼べ!」
背の高い彼は、立ったまま機を叩く。一方のロスは座ったまま見上げた。
一、どこのベス家が娘にエリザベスという名をつけようとなどとち狂ったのだろう。ロスは彼の名を呼ぶ度に愉快な心持ちになる。
彼にしても貴族の若い娘で、どう頭を打てば軍人になろうと思うのか、大概の人間は疑問に思っており、口には出さないものの、ロスもそのうちの一人だった。
「何の罪も犯していない一般人を正當な理由無く長時間監するのがベス中尉殿の役割か?」
「何の罪も無いだと? あの死の山は貴様がやったことだろう」
「正當防衛だ」
「皆殺しがか? おかげで一人も取り調べができなかった」
なるほどこれは八つ當たりだ。
どうやらエリザベスの苛立ちは、あのきな臭い団の捕獲ができなかったことらしい。
「反軍を、仕事も判斷もきも遅い軍に代わり始末してやった。禮を言われるならまだしも、文句を言われる筋合いはないな」
エリザベスはわずかに目を細め著座し、何度も尋ねた質問を、また繰り返した。
「……あのと、なぜお前が一緒にいる?」
言わずもがな、曰く付きの令嬢シャルロッテ・ウェリントンのことだ。
「あの娘に聞け。なんの恨みがあるのか知らないが、俺の後をつけてくる」
「捨て貓を手懐けたつもりかもしれないが、あれは化け貓だぞ」
「その貓は信(・)頼(・)で(・)き(・)る(・)元(・)上(・)司(・)に預けたと思ったんだがな、一なぜまた野生に戻ったんだ?」
ち、とエリザベスは舌打ちをした。
「訳の分からぬ妄想ばかり繰り返し、正直言って手に余る。瓦解を期待し修道院に預けたが、數日前に逃げ出したんだ。新たな生き方を與えたというのに、溫かいブランケットの中じゃ“聖様”はご不満だそうだよ」
不機嫌な元上司に、ロスもまた、何度も答えた言葉を口にした。
「俺は反軍じゃない。國にも大義にも興味はない。あの娘が何者であろうと、俺は関知しない。
どうせこの建のどこかに、彼も捕らえられているんだろう? 二度と関わるなと伝えてくれ」
エリザベスの目が、探るように見つめる。
彼が探すのは、あるはずもない虛構だ。
軍を辭めた男が反軍に加勢し、仲間割れを起こした。だが仲間は他にもいるはずだ。あんな王都に近い場所に、戦いの拠點を置くほどには、力のある勢力だ。……と、そう考えているに違いない。
――近頃目立った手柄を上げていない彼は、反勢力の一網打盡を目論んでいるのだろう。
野心はたいしたものだが、ロスの知ったことではない。
と、ガチャリと部屋の扉が開く。
廊下の窓から差し込むが薄暗い部屋を照らし出し、ようやく今が、晝を回りそうな時分であると知った。
「ベス中尉。そろそろ変わろう」
現れたのはアーサー・ブルースだ。エリザベスの表はわずかに化したが、口調は厳しいまま、アーサーをも問いただした。
「ブルース中尉。あなたはこの男の所在を常に摑んでいたはずだ。トモーロスが語ることは真実か? まるでまっとうな人間のフリをしている」
アーサーは困気味に、引きつった笑みを浮かべた。
「彼はまっとうな人間さ」
「牢にぶち込んでおけばいい、こんな男は」
「獄されては今度こそ軍の責任になる。また軍人を殺されるのはごめんだ」
「あれはシドニア・アルフォルトが買収した兵だ。売國奴が、幾人死のうと構わない」
「ベス中尉は手厳しいな」
一年ほど前にロスがカルロを伴って王都から逃れる際、妨害してくる兵士を數人殺した覚えがある。二人はそれを言っているのだ。
ようやくまともな話ができそうな相手が現れた。エリザベスが出て行くなり、ロスは尋ねた。
「ヴェロニカはいたのか?」
「いや。探しているが、見つからない」
先ほどまでエリザベスが座っていた椅子に、アーサーは腰掛ける。
「本気で探さないと見つからんぞ。數日程度なら、森の中で潛伏できるスキルがあいつにはあるんだ」
「自分の妻になんてことを教えてるんだ?」
ふと、アーサーは遠くを見つめるように壁をじっと見つめ、
「――初めて會ったのも森だったな」
次にロスの顔を見て穏やかに微笑んだ。
「あの頃世界は広かったが。いつのまにか、窮屈になったものだ」
「初めから、さほど広くはないさ」
「あの時わした約束を覚えているか」
「……さあ。忘れちまったな」
「お前はあの時」
「アーサー」
言いかけた彼の言葉を、ロスは遮った。
「俺は思い出話をさせられるためにここにいるのか? 昨日から何も食べてない。吐くゲロさえないのに、何を出せと言うんだ」
アーサーはずい、と顔を近づけ、見張りの兵に聞こえないように聲を低くした。
「シャルロッテ・ウェリントンについてだ」
ため息が出そうになる。やはり、あのと再び関わるべきではなかった。アーサーは勢を戻す。
「俺としては、あの娘が生きていることにまず驚いたが……。ベス中尉とお前との間で一どんな約がわされた?」
「今までの仕事に対する、ちょっとしたご褒だ」
「しかし、気がつかなかったな。一昨日の晩、聲をかけてきたのが例の“聖”だったとは。雰囲気が大分違った。あれではただの町娘と相違ない」
思い出したようにアーサーは笑う。
「お前はあの晩、ひどく酔っていたな。覚えているか?」
「……忘れちまった」
その忘卻は本當だった。
濃い霧の向こう側にあるかのように、思い出せない。
「あの娘が聲をかけてきて、お前は席を立ち上がり、そして戻っては來なかった。俺が知るのはそこまでだ。二人分の支払いを済ませ、一人寂しく帰ったよ」
アーサーがそう言ったとき、伝達の兵が部屋にってきた。
兵が耳打ちをすると、アーサーの切れ長の目が見開かれ、わずかに緩んだ口元と共に、ロスに向けられる。
「おいロス。迎えだ。出ていいぞ」
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