《後は野となれご令嬢!〜悪役令嬢である妹が婚約破棄されたとばっちりをけて我が家が沒落したので、わたしは森でサバイバルすることにしました。〜》走り出す聖のですわ!
燭臺の火すらない暗い部屋で、シャルロッテは一人、戦の音を遠く聞いていた。
手には、銃弾が一発った拳銃を握る。
床には奔放に放り出されたミシェルの服が散していた。
さきほど目を覚ました彼は、起き上がるとすぐにヴェロニカを追ったが、その前にほんのしの會話を、シャルロッテとしたのだ。
――そうか、シャルロッテは死にたかったのか。
彼は、そう言った。
――弾は一発ってる。昔、貰って、自分のために使おうと思ってたんだけど、やるよ。
拳銃をシャルロッテに渡し、友達だから、と淋しげに微笑んだ。
――その代わり、ドレスを貸してくれないか。
姉の面影を追うためにを著ていたことは、前世のゲームで得た知識から知っていた。
近頃ドレスをいだ彼が、再びそれを著ようとしている。そこにどんな意味が含まれているのか、シナリオとは違うこの世界では、シャルロッテには想像さえできない。
ミシェルが去ってからずっと、手元の拳銃を見つめていた。頭に當てて引き金を引けば、何もかも終わらせることができる。
元々、この命はきまぐれに與えられた延長戦だ。初めからあるはずのなかったものが消えたとして、なんの意味もないはずだ。
「どうしたらいいって言うのよ……?」
なぜ、再びこの世に生まれてきたんだ。
救いをもとめて死んだ。
だがその先も地獄だった。
自殺した人間は、魂が永遠に地獄に囚われると聞いたことがある。ならばこれは罰なのか。
「誰か助けて……。ロスさん……。ロスさん!」
口から出たのは彼の名だった。暗がりに彼の郭を求めるが、あるのは冷え切った靜寂だけだ。
あの地獄から救い出してくれるなら、誰でも良かったはずだった。
だけどいつの間にか、彼でなければならなくなっていた。
思い出すのはあの日のことだ。証拠を全て抹消させるために、彼によって教會は火を放たれた。
――わたし、これから何をすればいいんでしょうか。
燃えさかる炎は、天まで昇っていくようだった。信者と両親と、そしてシャルロッテを縛り付けていた建は、瞬く間に燃えていく。
彼は答えた。
“君がしたいことをすればいい”
炎を映した黒曜石のような瞳に向かって、再び尋ねた。
――生きてて、意味はあるんでしょうか。
彼は珍しげにシャルロッテを見つめ、やがて靜かに笑った。
「人生に、意味なんてねえよ」
瞬間、靄が晴れたかのようにシャルロッテの視界は確かに開けた。
その言葉に、救われていたはずだった。
その先を求めなければ、そこで解放されたはずだった。
だけど――彼がしくなってしまった。
本當は、出會った時に気がついていた。
目の前にいるロスは、ゲームに出てきたあの人と、違う人生を歩んでいることに。だってシャルロッテが知る彼なら、そんな答えはしないはずだ。彼はもっと孤獨で、恐ろしく、殘酷なはずだった。なのに出會った彼は、むしろ真逆の存在だった。優しさとに溢れた太のような男だった。
シャルロッテの知らないことが、彼に起こった。その答えを、既に知っている。
だとしたら、初めから、勝てる見込みのない勝負だったのだ。
「……いいなあ、ヴェロニカさんは。次は、あの人になりたいなあ」
あのは、シャルロッテの存在に意味があるはずだと言ったが、それは自分の存在価値を信じて疑わない人間が見る虛構に過ぎない。
世界のどこにも味方はいなくて、ひたすらの凍える孤獨の中に、置かれたことがないんだろう。
「でも、もう、関係のないことだわ」
今日限り、シャルロッテ・ウェリントンはお終いなのだから。銃を握り、こめかみに當てる。ゆっくりと目を閉じ、指に力を込めた。
引き金を引こうとした剎那だった。
クーンとけのない聲がし、生暖かい舌がシャルロッテの手を舐めた。ぎょっとして指に込める力を抜く。
さっきヴェロニカと出て行った犬が、床に座り込み上目遣いで見つめていた。
「アレス」
“アレス”というのは神話の神にちなみゲームの中のロスが名付けた名だ。
この世界でそう呼んでも、反応は芳しくない。
小さな獣を、シャルロッテは責め立てる。
「何よ今頃。あなただって、ヴェロニカさんと一緒に出て行ったくせに! わたしなんて、どうでもいいんでしょう!」
犬はしずしずと近寄り、シャルロッテの膝に顎を乗せた。
「……4號」
おそるおそる、その名を初めて呼んだ。
4號のしっぽが、ぱたぱたと揺れる。
「ここにいたら、あなただって殺されてしまうかもしれないわ」
犬はその場をかない。
シャルロッテは困り果て、拳銃を床に置いた。いずれにせよこの犬を、どこかへやらないといけない。
両手でを摑むと、何を勘違いしたのか4號は、更に尾を振る速度を早めた。純粋な好意だ。シャルロッテは、思わず話しかけた。
「ねえ4號、どうしてか分かる?」
あの獣のを食した時、中に、が巡ったようだった。いつだって冷たかった手が溫かかった。
「ずっと考えるの。あのコヨーテは、どうしてあんなに味しかったんだろう――」
おいしいと言うと、傍らにいたヴェロニカは笑っていた。あの笑みには、なんの邪念も含まれていなかった。彼は優しかった。彼の手は溫かかった。
4號に尋ねたが、答えは初めから分かっていた。あの瞬間だけ、シャルロッテは、生まれて初めて孤獨ではなかったからだ。
心が、解かれたようだった。
もし今日死んで、明日他の誰かに生まれ変わっても、同じことだ。
自分からさない人が、誰かにされるはずがなかった。
「ごめんなさい」
気がつけば、口を出ていた。
「ヴェロニカさん、邪魔をして、ごめんなさい。ロスさんのこと、好きになって、ごめんなさい……」
4號がシャルロッテを見つめている。言葉が止まらなかった。
「死んじゃって、ごめんなさい! 殺しちゃってごめんなさいっ……」
――ヴェロニカさんと出會ったロスんさんだから、わたしは心から好きになったんだ。
「初めから、ゲームの登場人に、本気でをしていたわけじゃない。この世界のロスさんに、本気でをしていた。本當に好きだった。大好きだったの……!」
4號が、をぴったり寄せてくる。
その溫を抱きしめながら、なおも夜に向かって謝罪した。
「死んだのに、また生まれてしまってごめんなさい……! それなのに、それでも死にたいと思ってごめんなさいっ……」
ヴェロニカと出會ったロスだから、あれほどの優しい目をしていた。彼と出會った彼だから、強烈にをした。
「……なのに今、生きたいと思って、ごめんなさい……!」
死にたかったわけではない。
ただ、ひたすらに、生きることを許されたかった。
自分を守るために、かつては死ぬしかなかった。だけど今は、それだけではない方法を、知っている。
彼から、學んでしまった。
「死にたくない! 生きていたいの――!」
贖罪の言葉を許すかのように、4號は穏やかにを預けている。
そのにキスを一つすると、犬のが、涙で濡れた。
シャルロッテは立ち上がる。
ミシェルは一つのチャンスをくれた。
シャルロッテも覚悟を決めなくては――。
震えるほどのこのを、捧げる前に死んではいけない。
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