《後は野となれご令嬢!〜悪役令嬢である妹が婚約破棄されたとばっちりをけて我が家が沒落したので、わたしは森でサバイバルすることにしました。〜》神に似た獣ですわ!
凍えそうな寒さの中、白く冷たい闇が、アーサーを取り囲んだ。
視界を一面吹雪に遮られ、ミシェルの姿も見失った。顔面に撃ち込まれた弾は、頬を抉り、後方へと消えた。流れたはたちまち凍り付いた。己の左の顔面は、きっと醜くひしゃげているに違いない。
「おのれ……。俺はまだ、やれるぞ……」
斜面に手をかけ、登り始める。寒さも痛みもじない。
「ロス、お前に、理想の世界を見せてやる」
いつだって年は、暗い目をしていた。まるでこの世界そのものが、地獄であるかのように。
――だが違う。
この世は地獄ではない。この世は、しい。
アーサーは、ロスに出會って、それを知った。
「俺は、間違っていない!」
だからアーサーは、斜面を登り続けた。
*
――――ふと、何者かの気配をじた。
こんな吹雪の夜に、誰かがいるはずがない。生が死に絶えた後のような死地が、永遠と続くような場所なのだから。
そのはずだったが、確かにその獣がいた。
はっとして、見る。
「ロス……?」
黒い、巨。
黃金の瞳。
鋭い牙。
人間ではない。一匹の、黒い狼が、白い吹雪の中に立っていた。
「狼か……」
なぜ狼とあの男を見間違えたりしたのだろう。だが仕方が無い。狼のようにしい男なのだから。心はどこまでも、呆れ返るほどに彼をんでいた。
狼は、じっとアーサーを見つめている。
アーサーは、斜面を背にするようにして、狼に向き合った。銃はない。激しく戦う力が、既に自分の中に無いことに、初めて気がついた。
吹雪の音が、靜かに響いていた。
狼の黃金の瞳には、果てしのない憎悪が浮かんでいる。
(憎悪だと?)
いや、あり得ない。
獣に、そんながあるはずがない。憎しみもも、人間だけが持つ高尚なものであるはずだ。だがその目には、やはりそれが見て取れた。
「貴様は何者だ!」
狼に問いかけた。
「なぜ俺を憎む!」
ゆっくりと、狼は近づいてくる。
遙か昔、聞いたことがある。――神は、あらゆるものに姿を変え、人の前に現れると。
「神さえも、俺を憎むのか!」
なおも狼は向かってくる。その足取りは、次第に早まり、やがて駆け足になった。
剎那、アーサーは思い出す。
撃ち殺した、狼の子。
あそこで同時に死んでいたのは母親だった。狼は夫婦で子育てをする。ならば、父親もどこかにいたはずだ。
例えば不作の秋を生き抜くため、単で家族のために狩りに出ていたか――。
父親は、帰宅し、家族の死を見たのだろうか。その周囲には、銃の匂いと、アーサーの匂いがたっぷりと殘っていたことだろう。
「ずっと、追っていたというのか!」――復讐のために。
コヨーテは群れを作ってまで、何に対抗しようとしていたのだろう。夜、時折響いていた遠吠えの主は――ずっとこの狼だったのか。
「あり得ん!」
アーサーは、向かってくる獣にんだ。
「獣に、があるはずがない!」
アーサーすら持ち得ないそれを、アーサーすら誰からも與えられなかったそれを、畜生如きが持ち合わせているなどと、なぜ認められるだろう。
狼は、鋭く唸ると、アーサーのを噛み砕いた。
ロス……。
口の中で呟いた。あの果てしなく黒い瞳は、いつだってアーサーの心の奧を見かしていた。
彼にとって、それは大した出會いではなかったのかもしれない。生き抜くための延長に、ただアーサーがいただけだ。
だがアーサーにとって、彼との出會いは鮮烈だった。自が解放されたあの日々は、幸せでしかなかった。
だが彼は去った。
「……俺は、お前に會って初めて、自分の見てきた世界がモノクロだったと知った。
これほど世界は彩に溢れていて、なんとしいのだと思った。
その中でも、とりわけお前はしかった。……だが、俺がお前をしていることを、お前にだけは知られたくなかった。お前が俺を、侮蔑していることを知っていたからだ。
お前だけは捕虜を殺さなかった。お前だけはを犯さなかった。俺はお前が羨ましかった。染まった俺に、お前は呆れたんだろう。お前だけは、誰にも染まらなかった」
視界さえも、赤くそまっていく。その目の奧に、黒い人影が見えた。
(この後に及んで――)
また、彼の幻覚を見た。己の執著が疎ましい。
アーサーの世界を永遠に塗り替えて、彼は一人、幸福を摑んだ。人になるなどまなかった。ただ共にあれたら良かった。だが、彼を見て、羨んでしまった。
あの幸福そうな二人に、心底憧れ、同時に手にらない自分を呪った。
「俺は……俺は、ヴェロニカになりたかった」
かつて世界はしかった。いつから彩を失ったのだろう。
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