《後は野となれご令嬢!〜悪役令嬢である妹が婚約破棄されたとばっちりをけて我が家が沒落したので、わたしは森でサバイバルすることにしました。〜》果たされた約束ですわ!

雪が降る中でも、痕跡を追うのは難しくなかった。ヴェロニカを躱し、追ったのはアーサーの足取りだ。

ロスがそれを見つけたのは、岸壁のように雪が積もった斜面の手前だった。

赤く染まった雪の周囲には、狼らしき足跡が散する。

「アーサー」

雪に倒れる男に聲をかける。驚いたことに、彼は呼吸をしていた。

醜く裂けた顔面から、空気混じりの聲を発する。

「ロス……來たのか。俺はまだやれる……、手を、貸して、くれないか。う、上手く、歩けないんだ……」

ロスは、両腕両足が引きちぎられたアーサーを見下ろした。

彼の手足は周囲に散らかされており、狼が食事のために彼を襲ったわけではないことが窺い知れた。

傷口が凍り付き、それ以上を失うのを防いでいる。それだけの理由で彼は延命しているらしかった。

「世界を、か、変えなくては」

四肢のないアーサーは、うつろな目でそう言った。

ロスはけなかった。

アーサー・ブルースという人間は、いつも大それたことを口にする男だった。世界だの、正義だの、夢だの理想だのだの。

――世界を抱えてどうするんだ。人の両手は二つしか無い。

ロスはいつだって、手近なものを抱えるのに一杯だった。

「俺は、お前に協力できない」

アーサーの朧気な目が、確かにロスを捉えた。その瞳は、厳しく貫く。

「なら、なぜきた。知っているんだろう。俺がやったんだ。俺が、オリビアを、殺させたんだ」

ロスの脳裏に、オリビアの淋しげな笑顔が蘇った。いつもそうやって笑うだった。その笑みを、ロスは、確かにしていた。

「……哀れんでいるのか、笑っているのか。お前も、俺を憎んでいるのか」

そのどれにも、當てはまりはしない。

放っておいても死ぬだろうその男に、ただひと言、言った。

「約束を、果たすために」

瞬間、アーサーの目が見開かれる。次に、心底愉快そうに、一聲笑った。

「やっぱり覚えていやがったか、噓つきめ」

こんな場面であるにも関わらず、アーサーは懐かしげに目を細める。

「……なぜ、捕虜を殺したか。なぜ、を犯したか、お前は問うたな」

ロスもまた、思い出す。集団の中にいていつだって、孤獨であった日々のことを。

規律に背く行為をする男達は同調し、結束力を高めたが、ロスは一人、その中に加わることができなかった。

自分に暴力を振るった男たちと、彼らは同じだった。笑いかけられても、出るのは反吐だけだった。

あの日々において、唯一出會った正しい人間がアーサーだった。だが彼も、次第に歪んだ。

「なぜ、狼の子を殺したか、ヴェロニカは問うた。だが教えてなど、やるものか」

アーサーの顔から、笑みは消えている。

「答えなど、渡してやるものか。言ったところで、お前たちのような人間には、永遠に分からない。人はわかり合えない。どこまで寄り添っても、所詮は同じ存在にはなれないんだ」

その目は、またしても濁る。

「俺は弱かった。憧れていたものには、遂になれなかった」

ロスは長い息を吐いた。本當は、誰が彼を狂わせたのか知っている。

あの日、ロスはアーサーを利用した。

一人で切り抜けられない狀況で、生き殘るためにアーサーを人殺しにした。

だがそれは、間違っていたと、今なら分かる。

「お前は、人を殺すべきじゃなかった。

お前は、俺が出會った人間の中で誰よりも善人だった。奪った重さに、耐えきれるはずがなかったんだ。

ガキの俺は、そんなことにさえ気がつかなかった。すまなかった」

目の前で狂っていくアーサーを、見続けることができなかった。

自分のせいで、人一人の人生が変わった。

恐ろしくて、だから、彼の前から逃げ出した。崇高な思いがあったわけではない。自分の罪から目を反らしただけだ。

四肢のないアーサーは、手をばすように肩をかした。

「大丈夫さ、ロス。殺しに罪悪を抱かなくてはならないというのも、またくだらぬ思い込みだ。戦場じゃ、誰よりも強かったくせに、お前はやはり、風変わりな奴だな」

「……俺はただ、どこまでいっても、つまはじき者だっただけだ」

殺人を躊躇う男と厭わない男。

いつのまにか立場は逆転した。

思わず、二人して笑った。邪念のる余地のない笑いは久しぶりで、まるで出會った日の年に戻ったようだった。

「あの頃は、何にでもなれる気がしていた。銃を持てば英雄になれた。人を撃てば、一人前になれた気がした」

自嘲を含んで、アーサーは言う。

「なあロス。互いに、つまらん大人になったもんだな」

応じるように、ロスも笑った。

「ああ。まったくだ」

雪山に、銃聲が一発轟いた。

城へと戻るため下山をする途中ヴェロニカがいた。ロスは思わず二度見する。

「まったく、お手洗いなんてやっぱり噓だったんじゃないの!」

まるで買い途中ではぐれた夫を探す時のようにいつもどおりの聲で、腕を組み、口を尖らせている。

頭が混した。

目の前に彼がいるということが理解できずに、ロスは聲を荒げた。

「來るなと言っただろう! 迷ったらどうするつもりだったんだ!」

「別に平気よ。あなたが見つけてくれるでしょう?」

ヴェロニカは平然と笑った。

なぜこうも、自ら危険に突っ込んでいくのが理解できないが、よく考えれば、彼がロスの言いつけを守ったことなど一度もなかったと、分かってもよかったのだ。

ふと、彼らかく微笑む。

「お帰りなさい、ロス」

時にわずかな仕草から、人の考えを読み取ることができる瞬間あるが、今のロスがまさにそうだった。その言葉で、気がついてしまった。彼が自分に向けるの深さを。ヴェロニカが、心底ロスをしている。

ロスは彼を抱きしめる。細いは力を込めると折れてしまいそうで、いつも気遣いながら抱きしめていると、彼は知っているのだろうか。

の腕が、背中に回され、思い切り抱きしめられる。

「わたしの帰る場所も、あなたの隣でしかありえないのよ」

ふふ、と彼が笑った吐息が、耳にかかった。

「――死さえ、私たちを別つことはできないわ」

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