《キチかわいい猟奇的とダンジョンを攻略する日々》ヒトリノ夜(もうちっとだけ続くんじゃ)

「ボシュルルルルルゥゥゥゥッッ!」

明確な威嚇の意思が、鼻の曲がりそうな臭気とともに、離れた俺まで屆く。

全長四メートルを越えるクモ、正式名稱タイラントタランチュラ。

防刃、耐火のある剛に覆われており、生半可な攻撃ではワサワサと蠢くキモい足の一本すらも切斷できず、大抵の蟲には効果抜群な炎魔法もイマイチ効き目が薄い。

きは鈍いが、口から高速で出される強力な粘著力を持つ糸にほんのちょっぴりでもれようものなら、あっという間に引き寄せられて為すなくモシャモシャと捕食されてしまう。

二層に出現する魔の中でも一二を爭う強敵……かつ圧倒的な威圧で、俺が単獨でレベル上げに勤しんでいる時に遭遇した際は「あひィィィィ!」と甲高い聲を上げて、著すら湧いている鉈を思わず投げ捨てて全力で部屋に逃げ帰ってしまったほどだ。

すやすやと眠るマユのおかげで消し飛ぶ恐怖心……俺はその時「なるほど、マユは天使ではなく楽園そのものだったんだ」と悟りを開いたものである。

そして今、俺は余裕すらじさせる風でタイラントタランチュラを前にドンと佇む。

正確には、いつも通りマユが殺している模様を遠くから眺めていた。

まず、マユの『威圧』スキルでタランチュラのステータスは開幕早々に減

それでも怯むことなく次々と繰り出される糸を、マユは『視力上昇』スキルにより難なく見切り、持ち前のレベルと『能力上昇』、『反速度上昇』、『スキル効果上昇』、『狂気』によってブーストされたSTR、AGIを憾無く発揮してブツブツと叩き斬る。

「にゃっはははははぁぁぁぁあぁあぁぁあっ!」

次に、『武』で生み出した麺切包丁をトマホークのごとく投擲。

拍子抜けするほど簡単に足をバッサバッサと切斷して、わずか十數秒でタランチュラをだるま狀態にしてしまう。

無防備に歩み寄るマユに対して、最後の抵抗で噛み付こうと試みるタランチュラだったが、『自反撃』による華麗なムーンサルトキックが顎に的中して、無様にひっくり返る。

勝負アリ……!

惚れ惚れとする、実に鮮やかな流れだった。

しかし、ここからがマユの本當のお楽しみタイムのはじまりはじまり。

「イイぃぃぃっつもフシギぃぃなイトわぁあぁぁどぉぉこにあっるのっかぁぁナぁああぁ♪」

懸命にもがくタランチュラの腹に飛び乗ったマユは、『化』させた素手でむくじゃらの皮をべりべりと剝がす。

「キシュルルルルルルルルッッッ!!

青紫の鮮が蒸気を伴って勢いよく吹き出し、マユの全にまとわりつく。

タイラントタランチュラには、牙だけでなくにも強力な毒がある。

量が付著しただけでも徐々に毒素がに浸し、十分後には平衡覚が狂い出して強烈な痺れに襲われるというトンデモないヤバさだが、マユは『毒耐』によって元気ハツラツ、むしろ興が高まってパワーアップ。

ぐっちゃぐっちゃぐっちゃぐっちゃとタランチュラの腹部を散々弄り回すマユ。

「なああぁあぁぁいなぁぁ……なあぁあぁぁいなぁぁぁ……オカシぃぃいナぁぁぁあなぁぁあぁ」

どうやら、口から出していた糸が腹の中にあるものだと思っているようだ。

ふふっ、可いなぁマユは……でも、そのくらいでやめたげて。

「はぁぁあぁああぁあああぁぁ……」

やがて、生前の面影が完全に失われた哀れな殘骸の山頂で、ゆらりと立ち上がるマユ。

力吸収』、『魔力吸収』の効果で疲労もMPも完全回復したのか、その顔には狂おしいほどの悅びが満ちている。

の良い艶やかなピンクの頬と、毒々しい青紫の返りが描くしいコントラストに、俺の心は否応なしに惹きつけられた。

「とぉぉぉおってもたぁぁのしィィいいいネぇネぇえぇえええぇってぇぇえぇんちゃぁああんっ♡」

ぶっちゃけ、楽しくはない。

楽しいわけがない。

やりすぎだ。

度し難い……度し難いよ、マユ。

しかし、マユに心奪われた俺の目は、口は、たしかに楽しそうに笑っていた。

何かもう、どうでもいいや。

思うことは、ただ一つ。

守りたい、この笑顔。

一日の狩りを終え、進化した俺の料理に舌鼓を打ち、マユはすぐ眠りに就いた。

俺はというと、引き続きレベリングに邁進中だ。

ちなみに、今日はサユが非番だったためソロである。

それどころか、大変運の悪いことに引き続きアユが目覚めてしまったばっかりに、迂闊にも飲ませてしまった酒――もとい自信作のミルクの件でしこたま怒られ、毆られた。

慌てて、俺は逃げるように……というかハッキリと逃げ出して、アユの活時間たっぷりを魔退治に費やそうと心に決めた。

キモいながらも二層隨一の安牌、安心安全のヴェノムキャタピラーを鉈のサビにしながら、ふと俺は思いに耽る。

考えているのは、もちろんしのマユのことだ。

今の今まで、淺はかにも俺はマユの強さを「レベルスゲー、マジヤベー、パネェー」としか思っていなかった。

しかし、マユのスキルの全貌を知った今、その想はあまりにも稚だったと言わざるを得ない。

先のタイラントタランチュラの一戦だけに限っても、あれだけのスキルを駆使していたのだ。

仮に、こうして日々頑張っている俺がレベルの上でマユに追いついたとしても、料理スキルに全振りされてしまっている予しかしない俺が、戦闘面で肩を並べることは不可能だろう。

まあ、それ自に不服はない。

俺は最強チート主人公なんかじゃなく、単なるマユにゾッコンのファンクラブ會長だ。

マユのアシストをして、マユにとってかけがえのない存在にさえなれれば、それで充分すぎる。

HAHAHA、料理スキル上等じゃねえかコノヤロー。

問題は、そんなマユにラブな俺が、あまりにも無知だったということだ。

例えば、『自反撃』のスキル。

無意識に迎撃するなんて超絶便利だと思っていたが……もしかしたら、想像以上に面倒臭いスキルなんじゃなかろうか。

おそらくだが、このスキル……魔の攻撃にだけ反応するのではない。

敵だろうが味方だろうが関係なく、近づいてきた敵意に無條件で反応する。

つまり、アユが言ったように『攻撃したくないのに勝手に攻撃してしまう狀態』というわけだ。

思えば、「魔の群れに囲まれていたので助けようと近づいたら、目にも止まらぬ見事な膝蹴りでアバラを三本折られた」、「狹い通路ですれ違う際に、突然スーパーヘビー級の高速アッパーで顎を々に砕かれた」という先輩囚人方の験談も、これに起因しているのだろう。

俺自にも心當たりがある。

雨柳さんとローニンさんに出會う前……ヴェノムキャタピラーとの戦いで、加勢しようと突っ込んだら華麗なジャンピングバックスピンキックを決められた。

ひょっとしたら、ゴキブリを退治しようとして元に噛みつかれたのも、そうかもしれない。

これらの事例から察するに、『自反撃』は敵意とも言えない警戒心程度のにすら反応し、なおかつマユ以外に向けられた場合であっても、効果範囲ってしまうことで勝手に発してしまうと考えられる。

もう一つ怪しいスキルが『威圧』だ。

目を合わせた相手のステータスを下げる。

「そんなのアリかよ!」とツッコミたくなる反則っぷりだが……これも多分、対象は敵味方を問わない殘念スキルだ。

一緒にいるだけで迷をかけてしまう、というアユの言葉は噓でも誇張でもなかった。

まるで、近づくことも一緒にいることも許されない運命を背負わされているみたいだ。

……あれ?

ってことは、知らず知らずのに俺は常時弱化させられていたってわけか。

ナンテコッタイ。

何はともあれ、俺は今日に至るまで誤解していた。

マユは理不盡に殘的で、純粋に猟奇的で、理由もなくイカれていて、憧れるくらい孤高で、呆れるほど奔放で、単純にキチかわいい。

そんなの子だと、俺は思っていた。

しかし、こうして推察してみると……スキルのせいで誰とも一緒にいられない、孤獨を強いられる哀しいの子という一面が浮かび上がってくる。

どちらが本當のマユなのか……今の俺には判斷がつかない。

そもそも、マユはスキルを覚える前、ダンジョンに放り込まれた初日から一人で行していたとお義父さん……じゃなかった、剛健さんは言っていた。

そもそも、マユが孤獨の寂しさを隠して虛勢を張っているようには見えない。

そもそも、マユはどんな罪を犯してダンジョンに送られたのか。

そもそも、マユはいつからこんなクレイジーでキチかわいいのか。

生まれつきの格?

ダンジョンに來てから変わった?

病気?

………………ええい、考えても埒が明かない!

決めた!

何となく、一歩踏み込んだプライベートな事は聞きづらいとためらっていたが……マユと腹を割って話をしよう。

マユに昔、何があったのか。

今、何を思っているのか。

これから、どうしたいのか。

そして……そして……あわよくば、俺の気持ちをマユに伝えて………。

よし! そうと決まれば善は急げ。

うだうだ考えてる間に結構な時間が経っているし、そろそろ戻るか……。

「――――ロロロロォォ…………………」

「……ん?」

意を決して、モヤっとした心境を吹き飛ばすように力強く踵を返した瞬間。

不意に、未だかつて聞いたことのない音が聞こえ、後方の薄暗がりに向けてジッと目を凝らす。

「ゥロロロロロロロォォォ……」

何だ……?

低音のトロンボーンみたいな……。

いや、これは……。

「鳴き聲……魔…………か?」

ズルッズルッとい地面をる音と共にゆっくりと姿が明らかになるのを見て、ようやく俺は正に気づいた。

徐々に鮮明な郭を帯びていく、その姿は……二層に來てから何度も目にした巨大カマキリ、スペリオルマンティスだ。

……何だよ、ビビらせやがって……。

油斷はできないが、俺一人でも問題なく倒せる。

そう思って張を解いた俺は、カマキリの後ろから現れたものを見てギョッと目を見張った。

「な……んだ、コイツ…………」

カマキリの背中を突き破って、何かが生えている。

というか……でかい!

二メートル近いカマキリよりも一回りでかい、ハエトリグサを思わせる暗い紫褐の植が、傘のように頭上で揺れている。

その重量をじさせる頼りない足取りで、ふらつきながら地面をって近づくカマキリ。

よく見ると様子がおかしい。

……いや、すでにおかしいのは分かっているのだが、をかけておかしい。

カマキリは不自然な方向に傾けた頭を小刻みに震わせながら、普段なら常に臨戦態勢で構えている鎌狀の手をだらりと下げている。

背中の植に、生気を吸われているような……られているような……そんなじだ。

「ウロロロロロロロロロロロロロォォオォッ」

長細いの先端にぶら下がる二枚貝のような葉がパカッと開き、粘が垂れる牙狀になった葉の先端から不快な低音が響く。

「……変な鳴き聲は、この植か。見たことねーぞ……つーか」

俺は攻略本に記載してある魔を隅々までチェックした。

しかし、こんな奴の報はどこにも書いていなかった。

の知れない恐怖をじながら、俺は素早くステータスを見る。

「パラサイト……ヘルズスネア……。やっぱ知らねーな……」

どうする……逃げるか?

部屋までは近いし、正の分からない魔を相手にするのは危険だ。

無理に戦う必要は全くない……が……。

「……きはトロいし、カマキリは死んだも同然みたいな狀態だし……わけ分かんねーが余裕で倒せそうだな。よし……!」

相変わらず鈍いきで這い寄るカマキリと植を前に、冷靜さを取り戻した俺は鉈を力強く握って突進した。

まずは、ひょろひょろのを斬り落とす――――!

「ウロロロロロロロロロロロロロロロロロロッッ!!」

「――――なッ!?」

板についてきた鋭い振りでを切斷する、その直前。

突然、目にも止まらぬ速さで葉がき、口のように開いた葉がさらに大きく、天井まで屆きそうなほど縦に割れ――そして――――。

ばくっっ!!

驚愕に直する俺は、息が詰まる異臭を放つ暗黒に頭から飲み込まれた。

視界は閉ざされ、がふっと宙に浮く覚に襲われる。

「くっ……そ、飲まれた……! こんの……出せ、この野郎っ!!」

滅茶苦茶に鉈を振り回すが、なぜか空を切るばかり。

じたばたと手を、足をかすが、なぜか空を切るばかり。

冷たいも、悪臭も、いつの間にかなくなり……無重力空間に放り出されたような、不思議な浮遊だけが殘った。

「どうなって…………ッうわああああああああああっっ!!?」

忙しなく鼓する心臓の音に焦る気持ちを募らせていると……またも不意に、上から押しつぶされるように重力が戻り――落下した。

…………落下? どこに? 何で?

俺、食われてた……よな?

さっきの妙な覚は、一……。

「んごっふ!!」

俺は絶の途中でい何かにを強打すると、勢いそのままにコロコロコロコロとどこかへ転がっていった。

何回転したのか皆目見當もつかないが、ようやくきが止まり、地面にうつ伏せで倒れているという現狀を把握してホッとをなで下ろす。

とにかく、理解不能な窮地からはした……。

止まり方が、壁に後頭部を強打するという悲劇であったこともギリギリ許せるくらい安心した。

…………ん?

何か……こんなこと、前にもあったような…………。

気のせいか…………?

「いてててて……何だったんだ、ったく……」

いや、待て! 魔は――――!?

「…………あれ? いない…………?」

すぐさま立ち上がり、鉈を構え直して辺りを見回すが……パラサイトヘルズスネアもスペリオルマンティスも、どこにもいない。

狹い通路には、パチパチと靜かにぜる篝火の他に、何もない。

「…………え? ええ? っていうか……は?」

なおも注意を払い続ける俺は、ある違和に気づいた。

……いや、そんな馬鹿な。

そんなわけない……落ち著け。

あり得ない……きっと気のせいだ。

常識的に考えろ……馬鹿馬鹿しい。

でも…………だけど…………しかし…………。

「……………………ここは……どこだ…………?」

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