《悪魔の証明 R2》第30話 026 エリシナ・アスハラ
初めにいたのは私だった。
「死になさい」
臺詞の先を口走る。
を下に沈ませた。男の銃口の照準が自分へ合う前に彼の視界から消える。
次に相手の足をめがけて回し蹴りを食らわせた。
男はバランスを崩してその場に倒れ込んだ。
が地面に著地するまでに、何発か銃撃してきたがその弾はすべて明後日の方角へ飛んでいった。
その隙に先程叩き落されたサイレンサー38式を拾い上げる。
「だから、投降しなさいと言ったのよ」
男を見下ろして哀れみの聲をかけた。
銃口を大男の額に合わせる。
「おしゃべりな男って、嫌いなの」
と、続けて囁く。
それから弾を二発放った。が、男には當たらなかった。というより、男が目の前から突如消えた。
違う、私が宙に浮いているんだ。
腹部に鋭い痛みをじたとき、ようやく自分が蹴り飛ばされたことに気がついた。
まっすぐにびた男の長い足を恨めしげに見つめる。
浮いていた私のはコンクリートの壁に叩きつけられた。
こんな低い側壁にもかかわらず、海に落ちなかったことは幸運だった。
だが――この男はやばい。
心の奧底からそう思った。
地面に手をついて、すぐに立ち上がろうとした。
今撃たれたら間違いなく死ぬ。こんなところではまだ死ねない。
そう考えた瞬間、はっと瞼を大きく見開かせた。
いつの間にか、男の足が目前に迫ってきていた。
を蹴り上げられる。
今まで味わったことのないような痛みが末梢神経を襲ってきた。
だが、助かった、という思いが同時にこみ上げてくる。
今拳銃を使われていたら、完全に終わっていた。
まだ勢を立て直せば、なんとかなるはずだ。
このサイレンサー38式であいつを……このサイレンサー38式で……
え、と私の額に汗が流れる。
何でこんなに手が軽いの?
「大事な拳銃をまた落とすとは、運がなかったな」
男は鼻息を鳴らしながら言った。
こいつ、と自分の顔が蒼白になるのがわかった。
その逆に、にやりと笑うその男。次の瞬間、私の腹部にボディーブローをれてきた。
そして、男は私の苦しむ表を楽しむかのように腹部を拳で執拗に叩きつける。自らが持つ拳銃はまだ使うつもりはないらしい。
手でその攻撃を何度か振り払ったのだが、男の拳はそれを問題にもしなかった。
このままでは拳銃を使わずともやられてしまう。
気を失いそうになりながら、私はそう思った。
急いで周囲に視線を配る。
サイレンサー38式は男の背後――そのし先にあった。
今ここで向こう側に行けたら、あれを拾える。そう、この一撃さえ避けられたら。
私の意識が男の腕に集中する。
そして、最期の一撃――
男は私の顔面めがけて拳を放ってきた。
空圧を鼻先でじた私は後方にを引こうとした。が、太ももが側壁にぶつかった。
これ以上後へはいけない。
いや、と心の中で首を振った。
腰から上を曲げればかわせるはず。いて、私の――
渾の願いはそのままに伝わった。
男の拳は私の鼻先をかすめたが大きく空を切った。びきった男の腕を摑んでをれ替える。
視界が一気に開けた。
一方の大男は前へと大きくバランスを崩した。
これでサイレンサー38式を拾うことができる。
達が私の脳を高揚させた。
そうして、前にを移させようとした時だった。
私は力なくその場に立ち止まった。
目前には男の長い足。男は一旦勢を崩したように見えたが、それに乗じて回し蹴りを放っていたのだ。
なんて、なんてやつなの……
愕然としながら、男の足がゆっくりと地に下りる様を眺めた。
直立した男が私の額に拳銃を向ける。
もう、終わりね。
の力を抜いた。そして、そっと目を瞑る。妹の顔が朧げに瞼の裏に映る。
「殘念。やはり死ぬのはおまえだったな」
男は勝ち誇った口調で言った。
「そうでもないぜ」
とその時、聞き慣れた聲が私の耳にってきた。
目を開けると、そこにはクレアス・スタンフィールド、頼れる男。
ジャストタイミングで、この場に戻ってきてくれたのだ。
「遅い」
とすぐに愚癡をこぼしたが、自分の表が一気に明るくなるのが、鏡を見ていなくてもわかった。
その時には、クレアスはすでに男の額へサイレンサー38式をつきつけていた。
「ジ・エンドってやつだな」
そう呟くや否や、彼は引き金を引いた。
一瞬の無音の後、鈍い奇聲をあげる男。ふらふらと後ろに下がった。
信じられないといったじで、自分の額に空いたを両方の目で見やる。
そして、海に落ちるのを阻止しようと、側壁にふくらはぎをぶつけて自らの勢を立て直そうとした。
それは無理というものよ――
心の中でそう呟いた私は、男に哀れみの目を向けた。次の瞬間、男のが鉄橋の側壁を乗り越えた。
そのまま暗闇の海へと落ちていく。
私とクレアスは側壁からを乗り出して、拳銃を手にしたまま海の中へと沈んで行く男を見守った。
「遅い。遅過ぎるわ。クレアス・スタンフィールド」
男のが完全に浸水した後、私は嬉しまぎれの不満を口にする。
「これでも、銃聲が聞こえた後、すぐにすっ飛んできたんだぜ」
強い口調で反論してきた。
どうやら、先刻の鬱狀態から完全に元気を取り戻したらしい。
元々は危機になればなる程実力を発揮するタイプ。なので、當然といえば當然だ。
そう思った私が頬をし緩ませた瞬間、なぜかクレアスはを翻す。
「さっき寢臺車の窓にの姿が見えた」
と、告げる。
「し様子を見に行ってくる。テロリストの可能はあるが――もし一般人だとしたらあんなところにいたら危険だ」
臺詞を終えると、彼はすぐにき出した。
「ちょっと待って、私も……」
と呼びかけて、クレアスの背中を追おうとした。
だが、クレアスは振り返って、こちらに視線を送ってきた。
「いや、俺だけでいい。エリシナは六號車の方から降りてくる乗客を先導してあげてくれ」
それだけ言い殘すと、駆け足でこの場から立ち去って行った。
ふん、その様子を眺めた私は不機嫌そうに鼻を鳴らした。
寢臺車のへと消えて行くクレアスの姿を見送ることもなく、サイレンサー38式を落とした場所へと歩き出す。
そして、足を前に進めながら思う。
早くあの男の仲間を探さなければ。
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