《悪魔の証明 R2》第33話 028 アカギ・エフ・セイレイ
引き金にかけた男の指がかすかにいた。
銃口が空気を吸い込む様子を見た僕の頬は恐怖に引き攣る。
その次の瞬間、意外なことに男はショットガンの切っ先を僕から外した。
「くな」
野太い聲で誰かの行を制止する。
「スピキオさん、こっちに來たらだめだ」
男に歩み寄ろうとしていたその誰か――スピキオに向かって、僕はんだ。
助け出そうとしてくれていたのだろうが、きっとこの男の前では無駄な行に終わる。
案の定、男に聲をかけられたスピキオの足はその場で止まった。
スピキオの顔を注視する。
いくらスピキオさんでもこの狀況ではさぞかし顔が蒼白になっているに違いない。
そう思ったからだ。
だが、結論から先に言うと、その僕の推測は完全に間違っていた。
スピキオの表は平靜そのものだった。
「忠告しておこう。君は今、大きな間違いを犯している」
ふっと失笑をらしてから、言う。
「俺が間違いを犯している……だと。何を言っているんだ、おまえは」
男は呆れ聲を出した。
「間違いは間違いさ。よかれと思ってやったことが、実は自分に悲慘な結末をもたらした例というのは過去より枚挙にいとまがない。君が今やろうとしていることは、ファシズムを滅ぼそうとして、さらに彼らにとっての巨悪である――共産主義を世にはびこらせてしまった第二次世界大戦の死せる敗者フランクリン・ルーズベルトと同じようなものさ。もっとも、元々、ルーズベルト自がコミンテルンであったという噂はあるから、ある意味彼は勝者かもしれないが――ああ、申し訳ない。これはし線しすぎたかな。要は、今君はその類いの間違いを犯そうとしている。そう私は忠告しているのだ」
理解不能な報をえながら、スピキオは獨白した。
男の口から吐息がれる。
「……何を言ってるのか、まったくわからん。偉そうに講釈をたれているが、俺のには何も響いてこないぞ。第二次世界大戦なんて、いったい、いつの時代の話をしている。そんな愚かな時代の話と、今おまえと俺が置かれている狀況に、何の関連があるというのだ」
「何の関連もないさ」
スピキオは自らの言い分を否定する。
その後、おもむろにスーツの襟へと手を持っていく。
すかさず男はガチャリとショットガンを握り締める手に力をれた。
「まあ、待て。これを見せるだけだ」
そうスピキオは斷りをれると、元から白いを抜き出した。
例の白い仮面――
なぜ、そんなが今必要なのだろうか。
し考えたが、正解は浮かんでこなかった。
そんな疑問をよそに、スピキオは白い仮面を顔の前にかざす。
「これに見覚えがあるだろう」
と、男に語りかけた。
「トゥルーマン教団……」
正解を呟きはしたが、すぐに男は眉間に皺を寄せる。
それがいったいどうしたんだとでも言いたそうな顔をしていた。
「おや? その様子じゃ、君は何も聞かされてないようだね」白い仮面の隙間からにやりと歪ませた口を覗かせたかと思うと、次の瞬間スピキオは言う。「――私は君の味方だ。だから、君は私を撃つべきではない。君としても仲間を撃つ気はないだろう。なぜ、私が君の味方だと言えるのか。それは後で君のリーダーに確かめるといい。ARKとトゥルーマン教団は表裏一。切っても切れない関係なんだよ。ムジナ……同じのムジナってやつだ」
衝撃の告白だった。だが、すぐに首を橫に振る。
スピキオさんがショットガン男の味方……ありえない。
そんな馬鹿なことがあるはずがない。ありえるはずがないんだ。
ので何度も零す。
だが、本當にありえないことなのだろうか。
先ほどから常に思っていた疑問が頭を過る。
心はそれを否定しようとするが、僕の前頭葉がそれを拒絶していた。
まずもって、なぜスピキオは僕を連れ立って六號車から外に出ようと決めたのだろうか。
一見すると、僕だけは救おうとしているように思えた。
確かにスピキオが僕を連れ出してくれたおかげで、乗客たちに紛れてショットガン男に殺されずに済んだ。
だが、この自分の思い込みは、あの狀況にそぐわないんじゃないだろうか。
乗客の誰がテロリストかわからない。通路に出るという危険な真似をするのは自分たちだけだ。
あの時、スピキオはそのようなことを言っていた。
おそらく、ここまでは事実だろう。
だとしたら、その乗客の誰かがもしテロリストの一味だった場合、自分たちは通路で撃ち殺されていた可能もあったはずだ。
それにもかかわらず、なぜ彼は通路に出たのだろうか。
答えはすぐに導き出された。
一刻も早く外にでなければ、他の乗客たちと同じように撃ち殺されるという確信があったからに決まっている。
そして、それから彼が行った行は正解だった。
だが、その確信はあくまで推察の域を出なかったはずだ。なぜなら、あの時點ではそれは確定事項ではなかったのだから。
もしあの時點でテロリストが萬が一にでもシートに座っていたとしたら、通路にいたスピキオのに危険が及ぶ可能はかなり高い確率であったはず。
現実には発生しなかったが、シートに座っているテロリストがいきなり拳銃をぶっ放してくる可能もあった。
テロリストに詳しそうなスピキオともなると、なおさらそう考えてたはずだ。
となると、その場合どうやってスピキオは自分のを守ろうとしていたのだろうか。
ああ、と僕はすぐにその方法を思いついた。
スピキオが自分のを守るための方法とは、拳銃から弾が放たれる瞬間、近くにいる誰かを盾にして自分の代わりにすることだ。
簡単だが、これが功する可能は極めて高い。
頭の良いスピキオらしく、なんとも合理的で非な作戦だと僕は思った。
その人が兇弾に倒れた後、騒ぎが起こってパニックになる。
すると一目散に他の乗客は出口へと向かおうとするだろう。
だが、乗客が立ちあがった時點で通路にいるのはスピキオのみだ。つまり、パニックに巻き込まれず、一番最初に外へ出ることができるのは彼だけということだ。
しかも、パニックになればなるほど、テロリストは最も先にいるスピキオを撃つことが難しくなる。
こうなると、彼はいとも簡単にその場から逃げることができるだろう。
実行に移されなかったとはいえ、スピキオの的確かつ狡猾な戦略に、思わず敬服しそうになった。
そして、この戦略の要となるスピキオの近くにいたその人。その人は都合良くスピキオに寄り添って歩行していたわけではなかった。
スピキオ本人が、意図してわざわざシートから連れ出したのだ。
そう、その彼が利用したその人とは――僕、自分の他において誰もいない。
いつから僕を盾にすることを決めていたのか定かではないが、おそらく列車の破がARKの仕業だとスピキオが思った時のことだろう。
いや、とすぐに首を橫に振った。
そもそも、初対面にもかかわらず、どこの馬の骨ともわからない僕に接してきたのは、いつかこういうことに巻き込まれるかもしれない。そうスピキオは思っていたのだろう。
年になからず発生するこの種の鉄道破テロ事件を思えば、一種の保険として世間知らずの年と仲良くするくらい、彼にとって何でもないことのはずだ。
吐息をついてから、僕はスピキオの仮面を見やった。
そして、トゥルーマン教団とARKが裏でつながっていることを示唆するスピキオの文言。
男は怪しんでいるようだがまだ弾を発していない。
ということは、そういったことはありうると彼も直しているのかもしれない。
テロリストの心中を察するのもおかしな話だが、その男の気持ちはよくわかった。
スピキオの言霊には、何か人を信頼させる魔力のようなものがあるのだ。
だが、事実そうだとして、トゥルーマン教団を辭めたとわざわざ僕に伝えてきたことに関しては、どう考えたらいいのだろうか。
今思えば、あれはわざわざ自分がテロリストの一味だと自白しているようなものだ。
明らかに赤の他人にあのようなことを伝えるのはおかしい。
それにスピキオはトゥルーマン教団に対してただならぬを抱いている様子だった。
あれは噓だったのだろうか。
トゥルーマン教団の所行を告発するとまで僕に言ったのに。
いや、違う。
僕はスピキオの臺詞を思い出した。
余興――そう、ただの余興だったんだ。
「俺にそれを信じろと言うのか?」
そう斷定づけた瞬間、男は尋ねた。
「ルールその一、乗客にARKと名乗らなければならない……これで十分かな?」
スピキオが訊き返す。
「……おまえみたいな優男が、俺たちの仲間とは、到底信じられん」
そう言いながらも、男は多納得した表を見せた。
ルール? 何のことだ?
一方の僕は首を捻った。
「無理もない。人は概ね、自分の目の前にあるものは見えないものだ」
スピキオはやや格言めいた臺詞を述べた。
「……まあいい。おまえの処分は後で決めるとしよう。とりあえず小僧。おまえ、死ねよ」
言葉を切るや否や、男はショットガンの銃口を僕に向けた。
何かをぼうとしたが、口はパクパクするだけで、聲を発するところまでには至らなかった。
ならば、と走り出そうとするが、は固まったままかない。
蛇に睨まれた蛙とはまさしくこのことだった。
どうしようもなくなった僕は空を見上げた。
なぜ空を見ようと思ったのか、自分でも理解できない。
おそらく、人生の最後に、地獄を思わせる燃え盛った鉄橋を目にするくらいなら、天國に最も近いと思われる青い空を眼におさめたくなったのだろう。
だが、無にも空は暗闇に包まれていた。
そして、束の間の時間を経た後、ショットガンの奏でる轟音がその空に向かって鳴り響いた。
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