空に無數の星が瞬いていた。夜風に乗った若草の匂いが鼻をくすぐる。頬をでる夜風が心地よくて、俺は目を閉じる。そしてまたすぐに開けた。

「起きた？」

の顔が視界に飛び込んでくる。顔を向けると膝をついて橫から俺を覗き込んでいる彼がいた。橙の前髪が白い額をる。俺の右手は彼の両手に握られていた。

「ぁ……あれ？」

えーっと、何が、どうなった？　たしか雄牛頭の怪を星骸《スターアーク》の杖で吹き飛ばして、あいつは空の彼方へ落ちていって……、記憶しているのはそこまでだ。俺は下草の上にがばりと起き上がる。

「痛ってぇ！」

「急にかない方がいいと思う」

「それはわかってるんだけど……！」

全をちくちくと苛む痛みをじる。真っ先に頭に浮かぶのは出の激しかった右足だ。おそるおそる右膝を曲げるようにかしてみる。一応は、く。

しかしさっきよりも痛みが引いているのはやばい気がする。もう痛みすらじないのか……？

止のために巻きつけた袖のおかげなのか、出は止まっている気がする。まさか、が壊死し始めて覚がなくなっているとかじゃないよな。恐ろしい想像に震いしながら傍のに尋ねる。

「俺……、どれくらい気を失ってた？」

「そんなに長い間じゃなかったよ」

辺りを見回せばもうすっかり暗い。俺は下草の生える庭園の廃墟のようなところに寢ていた。彼がここまで俺を運んでくれたのか。

「もしかして、ここまで連れてきてくれたの？　大変だったんじゃないか」

「ふふん、どうってことないよ」

はどこか得意げに頬を膨らませて笑う。その顔を見ていたら、張が緩んで思わず俺もし笑った。

「んん？」

彼の表は目まぐるしく変化するので見ていて飽きない。

「なんでもない。君の顔が面白かっただけ」

も俺につられたのかころころと笑い出した。とても笑っていられる狀況ではないのだが、笑い出したくもなるくらい今は命を拾ったことが嬉しかった。

「あー、それと……そろそろ離してくれる？」

「あ、ごめん」

は俺の手をずっと握っていてくれたようだ。汗ばんできてしまったので離してもらいたかったが、本當はし嬉しかった。気絶している俺をずっと看ていてくれたんだろうか。

「ありがとう。助かったよ」

「私の方こそ。キミのおだね。ありがと、私を助けに來てくれて」

彼は花開くような可憐な笑みで禮を言う。

本當は彼だけでもあいつらから逃げられたのではないかと思う。むしろ俺は足手まといでしかなかったような……。いや、今は考えるのを止そう。

もうしここで和んでいたい気分だが、怪我が心配になってきた。の方は目立った傷はなさそうだけど、こっちは後癥が殘ってもおかしくないレベルだ。助けられてその上さらにけないが、俺は廃墟街のり口まで手を貸してくれないかと彼に頼み込んだ。

埠頭で煙を上げていた空機を回収し、それを引っ張りながらなんとか廃墟街の崩れた塀まで戻ってきた。途中、あのユリクセス(北部人)の集団の死のことが頭を過ぎったが、疲れがピークに達しかけていてとても治安部隊の詰所に報告に行く余力はなかった。

「すっかり夜になっちゃったな。俺は診療所に行こうと思ってるけど、その後でよければ家まで送るよ。家はどの辺りなの？」

「え？」

「え？」

不意を突かれたようなの返事に思わずこちらから聞き返した。彼は首を捻って何事か思案している。

「うーん……わかんない」

「わかんないって、自分の家が？」

「そう」

「だいたいどの辺りとか」

「それも」

「大きい？　それとも小さい？」

「わからない」

家の場所がわからない？ そんなことってあるのか。首を捻るのは俺の方だった。あ、もしかして家出中かなにかで、気まずくて帰れないからって噓をついてる？

「えーっと……、じゃあどこかへ行く途中だったとかかな」

「ううん」

「……街をふらふらしてただけ？」

「うん。多分」

彼の応答はどうにも要領を得ない。

事について深く聞かない方がいいような気がしてきた。あまり答えたくなさそうだし、彼の方にもきっと家庭の事とかがあるんだろう。

「君、もしかして……、行くところがないの？」

はその問いに対して素直に首肯した。

……困った。日も沈んで人通りもなく、時間も遅くなりつつある。危ない目にあったばかりだし、この子をこのままほっぽり出すのは気が引ける。

「行くところがないなら、うちに寄っていく？」

「いいの？」

「片付いてないし、かなり狹いけど……」

「行く」

は行くアテがないと言う。なりゆきで家に連れて行くことになってしまった……。ともあれ俺たちは二人で診療所へ向かった。

最寄りの診療所は既に営業時間外だった。扉を叩いて醫者を呼び出すと、初老の男醫師が怪訝な顔を覗かせた。に染まった右足を見せると彼は驚き、俺たちを院に呼びれて時間外にも関わらず診察してくれた。

右足の刺し傷を見た醫者は、しかしあまり深刻な顔にはならなかった。彼が言うには、出は多く見えるがそこまで深い傷ではなく、ちゃんと消毒して傷口を保護しておけば大丈夫だろうとのことだった。

あれだけ深く刺されたのだ。痛みも尋常ではなかったし、歩けなくなることも覚悟していた俺は大事でなくて安堵した。と二人で細かい傷の手當てをけた後、診療代を払い病院を後にした。

「ふぅ……よかった。普通にもっとやばい怪我だと思ってた」

「よかったね」

張もようやくほぐれて、空機を引きずりながら二人並んでとぼとぼと俺のアパートを目指した。徒歩で帰ると廃墟街周辺からアパートまではし距離がある。できるだけ明るい道を選びながら、ぽつぽつとと話をして歩く。

「お腹が空いてて、つい売りを食べちゃったんだよね……」

「それでおっちゃんに怒られてたんだな」

なるほど。まあそりゃ怒られても仕方ない。彼はお金も持ってないみたいだし。そこであのユリクセスの男が出てきて話をつけ、彼を廃墟街へったわけか。

「そういえば名乗ってなかったね。俺はナトリって言うんだ。君の名前聞いてもいい？」

「ナト、リ？」

「そう。ナトリ・ランドウォーカー。よろしく」

「私はフウカだよ」

フウカはそう言って無邪気ににこっと笑った。