フウカのための生活必需品を買い揃えていたらすっかりアパートへ戻るのが遅くなってしまった。

結局、師匠の家にフウカを預けにいくのはやめた。部屋に帰ってプリヴェーラの件について彼と相談しようと思ったからだ。

が落ちて人通りはなく、街頭だけがまばらに路地を照らす寂しい通りを二人で歩いていた。俺は聲を潛めて隣を歩くフウカに語りかける。

「フウカ。そのまま聞いてくれ……」

「どうしたの？」

「俺たちの後をずっとついてきてる奴がいる」

「えっ？」

「振り返らないで」

「あ……、ごめん」

追跡者に気がついたのは市街地から離れ、アパートに向かう人通りのない住宅地にってからだ。向こうは気取られても構わないのか、まっすぐ俺たちの後を一定の距離を保ってついてくる。

単に進む方向が同じ、とは思えなかった。そいつの格好は見るからに人目を憚っていた。ローブをまとい顔も目深に下ろしたフードでよくわからない。明らかに正を隠したい奴の格好だ。

こんなのをアパートまで連れて行くわけにはいかない。すでに家とは違う方向、再び繁華街へと戻る道を選んで進んでいる。

一何者だ。俺達の格好を見て竊盜を働く気にはならないはず。でなければ狙いはフウカか。

このところ五番街では二人の行方不明者が出ていた。先日の廃墟街の事件で実行犯の犯罪組織は壊滅し、事件は終わったと勝手に思っていたけど、まだ殘黨がいたとしたら。

さらに不吉なのは、こちらが二人連れにも関わらずバレるのを気にせず尾けてきていることだ。俺がドドだと知ってるとは思えない。だが、そうでなくともこの追跡者が複數人を同時に相手をしても問題がないくらい腕に自信のある奴だということは察せられる。

くそっ。なんでこんな目にばかり會う。服の下に冷汗を滲ませながらどうするべきか考える。怪しげな人には違いない。だったら、人目の多い場所に逃げなくては。大通りや、治安部隊の詰所を目指す。

しかしそんなことは向こうも承知の上だろう。きっと俺たちがそこにたどり著く前に用事を済ませられる算段があるということ。だったらもう、死に狂いで追跡者の手から逃れるしかないじゃないか。

「……フウカ、合図をしたら全速力で飛んでくれ。なるべく自然に手を握る。それが合図だ。頼めるか」

「……わかった。思いっきりいくね」

またもやフウカ頼みになってしまうけど、今はとにかく相手の意表を突かなければ突破は難しいだろう。彼の飛力に賭けるしかない。

歩きながら俺はフウカを見つめる。彼も俺を見る。差し迫る危機に今すぐ逃げ出したい気分だけど、無理やり笑顔を作って親しさを裝う。焦るな。そのまま自然に手をばし、フウカの手に絡める。今だ。

フウカが返事の代わりにぐっと握った手に力をれて、一歩をし深めに踏み込む。次の一歩で彼は地面を離れた。地面と平行に風が巻き起こり、俺のはフウカに引っぱられて路地の石畳の上を空しながら徐々に高度を上げて行く。

フウカはさらに空を蹴って高度を稼ぐ。この先に見える大通りの明かりの中まで一気に飛ぶ。連なる民家の屋を飛び越えた。

屋の大棟を超えた時だった。等間隔で突き立った煙突の影からぬっと何者かが飛び出す。不意を食った俺たちがそれの接近に気づいた時には、薄汚れたボロいローブにを包んだ刺客は俺たちの間近に迫っていた。

そいつは腕をばし、飛ぶ俺の足を捕まえ、そのままぐんと振り回した。

繋いだ手を離した俺ははたき落とされるように屋瓦に叩きつけられた。

「が、あっ！！」

「きゃあっ！」

屋の傾斜に沿ってが転がる。お、落ちる！　偶然摑んだ凹凸に手をかけて落下を止め、すぐに上を起こす。上を見上げると布で顔を覆った人が屋の大棟に足を乗せて俺を見下ろしていた。

フウカもし離れて屋に降り立った。怪我はなさそうだ。

「逃げろフウカ！」

彼に向かってぶ。奴らの狙いはフウカだ。俺がいなければより早く逃げられるし助けも呼べる。

「逃がしゃしないよ」

前を向こうとしたフウカを遮るように、屋の上にもう一人の人が音を立てて著地した。俺たちを後ろから尾けてきた方か。離れてもよく聞こえるその聲音はのものだった。

行く手を完全に遮られた。前方にも協力者が潛んでいたなんて。甘かったと奧歯を噛みしめる。

「なんなんだコイツらは……」

「やっと見つけた」

の方がフードをたくし上げて素顔を曬す。風に靡く素の抜けた長髪、の赤黒い瞳。

若いのユリクセス。は鋭い目つきでフウカを睨みながら問いかける。

「つい最近同胞に會っただろう？」

「なんのことだ」

「お前には聞いてない。、お前が答えな」

フウカは口を閉じてユリクセスのことをじっと見つめていた。

「コバルト。こいつで間違いないか」

「ああ。薄紅の目に橙の髪。こんな目立つ見間違いようがねえ」

は俺の前にいる男に確認をとる。フウカのことを知っている。ということはやっぱりこいつらは廃墟街のユリクセスの殘黨……。しかし何故フウカを探していた？

「仲間の仇だ。償ってもらう」

「仇……？　ちょっと待て、その子は関係ないって！」

は初めてこっちを向いた。その暗いの雙眸は強烈な怒気を含んでいた。

「お前も関係者か」

「……そうだ。お前らユリクセスだろ。仲間の細目の男に足を刺された。でもあいつらを殺したのは俺たちじゃない。お前らが攫った子達まで殺す理由がないだろ！」

「ではお前達でなければ誰だ」

「モンスターの仕業だ。突然現れてあそこにいた三人を皆殺しにした！」

は無言で俺を睨みつけたままだ。もう一人の男が聲を荒げた。

「テキトー抜かして切り抜けようってか？　王都にモンスターがいるわけがねえ。新聞にもそんなこと書いてねえぞ。第一てめえは襲われていないじゃねえか。やったのはおめえらだろ」

こいつらフウカが本當に自分達の仲間を殺したと思って探し回ってたのか。……酷い誤解だ。

新聞にあった治安當局の見解には犯罪組織の仲間割れ、などと書かれていたが、奴らにしてみればの潔白は証明されている。

最悪の狀況だ。俺たちは思っていた以上に危険な領域に足を踏みれてしまっていたのだと、今更自覚して俺は青ざめた。

「殺す」

がぼそりと呟いてフウカに向き直り一歩踏み出す。フウカは顔に恐怖を浮かべて後ずさった。

「フウカ！」

立ち上がりながら彼の元に駆け寄ろうとするが、上から一息に跳躍し距離を詰めてきた男の拳が俺の腹を下から突き上げた。

「がはあっ！」

倒れ込んで再び屋を転がる。咳き込みながらフウカが駆け寄ってくるのを見た。

「ナトリ！」

「ノロいな。こいつてんで弱ぇぜ。本當にブラークをやったのかよ？」

勢を立て直そうとする俺にフウカが寄り添ってくる。彼の顔は不安で覆われている。二人が俺たちを挾み込むように近づいてくる。……く、逃げられる気がしない。

「ただ殺すだけじゃ収まりがつかねえ。仲間の分まで存分にいたぶってやるから覚悟しろ」

「はぁ、はぁ……」

痛む腹を抱えてフウカを守るようにの後ろへと庇う。吐き気を飲み込んで寄ってくる二人を互に睨む。

「お前ら……フウカが何をしたってんだよ……。頼むから話を聞いてくれ」

「ああ、聞いてやるさ。痛めつけたあとでたっぷりとな」

そう言っては腰から目にも留まらぬ速さで刃渡りの長いナイフを引き抜いて振り下ろしてきた。

反応する暇さえ與えない素早い作。肩口めがけて降ってくる兇刃の揺らめきを俺は目で追うことしかできなかった。避け――――。

「だめっ！」

ギインッ！

痛みを覚悟したが刃がに到達することはなかった。ナイフは何か質なものに當たって目の前で停止した。空中にうっすらと、き通る壁のようなものが見える。はその目に驚きをわにした。

これは、波導……？

「この……！」

後ろに庇ったフウカを振り返る。彼はユリクセスのを険しい目つきで見上げていた。その薄紅の瞳が闇の中で明るく強い輝きを放っている。この波導障壁は、彼が発生させているのか。

「フウカ……？」