《スカイリア〜七つの迷宮と記憶を巡る旅〜》第24話 歌聲は夜を裂いて
クレイル、何を——。
荒い呼吸をつきながら杖を構えるクレイルを見上げた。
「すまんなナトリ」
クレイルは構えた杖をの前で水平に掲げ短く詠唱する。
「心火より鍛えし灼炎の刃、『火剣《メルカムド》』」
杖に翳した右手に沿うように、チリチリと空気の震える音と共に杖の先端から真っ赤な火柱が迸る。炎が灼熱の刃を形作る。
杖を跳ね上げ右手に持ち替え、後方に引き絞るようにクレイルがこちらに一歩踏み込んだ。
次の瞬間まるで鞘に収めた剣を抜刀するかの如く、灼熱の剣を橫一文字に目にも止まらぬ速度で薙ぎ払った。俺はくこともできず咄嗟に目を瞑る。
が熱気に包まれ、俺はすぐに目を開けた。
すぐ目の前に影があった。いや、影に実なんかないのだからこれは別の何かだ。その姿は朧げに揺らぎ、次第にはっきりとそのシルエットを明らかにした。
人型で、に沿う細の鎧に全を包んでいるような姿。背中から染み出した闇そのもののような真っ黒い翼。
全鎧の影の腹部を両斷するように真橫に赤い軌跡が描かれている。俺の頭上を通過した、クレイルの火剣《メルカムド》はこいつを斬りふせるために放ったものだった。
影は上半と下半に分斷されてぼとりと通路に崩れ落ちる。すぐに燃える斷面から黒い霧のようなものが吹き出し、瞬く間にその姿は掻き消えていった。
「が……!」
気がつくとすぐ側にフウカがいて俺の傷口を覗き込んでいる。クレイルもすぐに駆けつけてくれた。
「アカン。フウカちゃん、すぐ船室へ運ぶで!」
「う、うん!」
クレイルに擔がれて俺たちは船室へ戻って來た。ベッドに寢かせられ、クレイルは自室から手當するための道を持ってくるといって慌てて出て行った。フウカが涙に濡れた顔で俺を覗き込んでいる。
「ごめん……、また怪我しちゃったな」
「ナ、ナトリ……」
折角今までの傷を癒せると思ったのにもうこれだ。って確認しただけだが、脇腹が抉れてかなり無殘な狀態になっている。見るのが恐ろしい。全に向けてじわりじわりと広がるように激熱を伴う痛みがを犯し始めている。
汗と悪寒が止まらない。浮遊船じゃ治療院にも行けない。
「フウカ、止を……」
無駄とわかっていても処置を頼む。手をばし、寢臺に付けられた薄い仕切り布をひっぱって強引にちぎる。
フウカの顔を見るが、彼は震えて涙をこぼすばかりだ。
……やばい。意識が混濁し始めた。ああ、こんなにあっさり死ぬのか、俺……。
呼吸が荒くなる。だめだ。意識を手放しちゃいけない。
「ナトリ……いやだよ……いや。死んじゃいやぁ」
「……大丈夫だ。おれは、大丈……」
愕然とするフウカを見、顔を歪めて笑顔を作る。彼の背中に手を當てて優しくさする。ちゃんと笑えているか……? 強がるのが今の俺の一杯だ。なんてけない。この子を不安にさせることだけは……。
「守る」
「……?」
「ナトリを死なせない」
フウカの震えは止まっていた。そして強い意志をめたような表を俺に向ける。
「フウ、カ」
橫たわる俺を覗き込む彼の薄紅の瞳が明るく輝き始めた。これは……あの時と同じ。
フウカは俺の脇腹を見ると、で濡れるのも構わず傷口に両の手を當てた。
「う゛うっ!!」
鋭い痛みが走るが奧歯を噛み締めて堪える。その直後、傷口にほのかな溫かみをじた。
フウカが手を當てた傷口の辺りがを放っている。彼の瞳の薄紅の輝きが一気に増し、発も強くなる。痛みが引いていく代わりに溫かみと心地よさがに染み渡っていく。これは波導の……?
「ナトリ! 生きとるかァ!」
バン、と音を立てて扉を蹴破る勢いでクレイルが戻って來た。ベッドの隣、フウカの橫に來ると彼の手元に見るようにきを止めた。
フウカは他のことは目にらないといった様子でじない。真剣な眼差しで傷口を見る彼の、涙に濡れた頬を一筋の汗が伝った。
「こいつァ一……」
しばらくしてとフウカの瞳の輝きは収まった。そして俺のを支配していた灼け付くような痛みもすっかり引いている。の奧にわずかな疼きが殘る程度だ。
傷はフウカの波導によってほとんど塞がり、怪我をしてから數日は経ったかのような狀態までに回復していた。驚異的な回復力だ……。
俺は自分の大量の出で染まった赤いシーツの上に起き上がった。
「お、おい……。傷が……」
「フウカ。君はこうしていつも俺を救ってくれてたんだな……」
「よかった。ナトリ……よかった」
変だとは思っていた。致命傷にしては治りが早すぎた。この一週間で負った怪我は毎回見た目に反してやたらと軽かった。
それは全て、フウカの波導のおかげだったんだ。こうして致命的な損傷がまるでなかったように、一瞬にして消えてしまったのを目の當たりにしてようやく気がつく。
きっとフウカが傷に、俺にれていてくれたから。床にへたり込んだフウカに深く謝する。
「今のは一なんなんや……。治癒波導か? いや、幾ら何でも治り速すぎやろ。封《シェイル》とも治癒《エイジア》ともちゃう。もっと高位の……?」
「やっぱりすごいよ、フウカの波導は」
「ナトリを死なせたくない、なんとかしなきゃって思ったらできたの」
「詠唱もせず覚だけでか。まさか治癒系統のアイン・ソピアルか?」
クレイルは何か混しているように見えた。
「それよりクレイル、さっきの奴!」
「お、おう……。それや」
傷を負う前、俺がフウカに気づき駆け寄ろうとしたその時、クレイルは風吹きすさぶ船舷通路で僅かにフィルの流れに違和をじたらしい。だが確信は持てず様子を見た。
直前まで俺がしゃがみこんでいた場所を破壊が襲い、俺はその余波を食らって吹き飛ばされた。
俺がフウカに駆け寄らずじっとしていれば命はなかっただろう。
船舷通路でクレイルが謝ったのはその危機を察知しきれなかった事に対してだった。何もない場所で破壊が起きたことでクレイルの疑念は確信に変わり、通路上の空間一帯に目星を付け火の波導で薙ぎ払ったわけだ。
そして何もないと思われた空間から突如現れた影。船を破壊し、俺を攻撃しようとしたものの正はあの不気味な翼を持つ化けだった。
「やっぱり変だ」
「おう。はっきりとは言えんが……」
クレイルも違和をじ始めている。一度狀況を整理する必要がある。
「あのボロ艇、やっぱりおかしいぞ」
「お前はどこが変だと思うとるんや?」
「々おかしいさ。こっちの攻撃は當たらないのに向こうはこっちに當てられる。もし実のない幽霊船なら、向こうの攻撃だって當たらないはずだろ?」
「せやな。アレは実際に俺らを襲いに來とる。霞のような実のない幽霊やなく、現実に影響を及ぼしとる」
「フィルタンクが破損してるし、推進機関が駆してる気配もない。あんな狀態で飛べるはずないんだ」
「しかし実際に空を飛んで攻撃しよる。タチの悪ィ悪夢みてえだぜ」
「霊じゃないとしたらなんだと思う?」
「他に考えられんのは……何らかの波導生か、エルヒム(神)の類い……。だがエルヒムが人間に害意を持って襲いかかるなんちゅうのは有り得ん話やし」
「さっきクレイルが波導で攻撃した時に見たんだ。雲に隠れて見づらかったけど、火焔《ロギアス》はあの艇をすり抜けてた。吸収されたとかじゃなくそもそも當たってなかったんじゃないかな」
クレイルは関心したように目を開く。
「ほォ、よう見とるやないか。つーことはだ。波導生だろうがエルヒムだろうが、生きとる以上波導との干渉は避けられん。全く干渉ない時點でその説は否定できるな。アレはもっと別の何かや」
「ああ……。絶対何かがおかしい」
「しかしそんなことがあり得るんか。幽霊でも波導生命でもねえなんてよ……」
それを考える上で無視できない存在はさっき襲ってきた「影」だ。
クレイルが仕留めるまで、奴は夜闇に姿を眩ましていた……。今も斷続的に船を攻撃する破壊の音は聞こえて來る。同じようなのが複數いたっておかしくない。
「あの影と黒い艇は無関係じゃない。姿を隠して船を攻撃するため、俺たちの注意を後方に向けるための……かな」
あの影の正がわかれば、艇の謎も解けるような気がする。
「やっぱり回りくどいな」
「うん」
「士にはな、いくつかの質型があるんや。中でも知型のタイプは周囲のフィルの流れをじ取ることができる」
「フィルを……」
「せや。殘念ながら俺は鈍い方やが、協會の連中の中にはそこそこ鋭い奴もおるはずや」
「にもかかわず、船を取り巻いてるはずの『影』に誰も気づかない……?」
俺とクレイルは暫し黙りこくって敵の正について考えを巡らす。
「ねえナトリ、ずっと聞こえるこの聲、なんなんだろうね」
「聲?」
「うん。やっぱり幽霊の聲……?」
「…………」
聲? そんなもの——いや。砲撃音を聞いて船舷通路へ飛び出したとき、俺も確かに聞いた。歌うような不気味で掠れた聲を。あれきり聞こえなくなったけど、フウカにはそれが聞こえているということか?
「フウカ、本當に聞こえるの?」
「うん。ずっと鳴ってる」
「なあクレイル。歌みたいなものを聴かなかったか。威嚇砲撃が始まった前後とかに」
「あー……、そういやな。なんや俺もドヘタクソな歌聞いたな。呑気に誰が歌っとるんや思うたが。やがそんなもん今は聞こえへんぞ」
フウカにだけ聞こえるのか。俺とクレイルどころか、ガルガンティア協會の面々にも聞こえていないようだし。
そしてそれは今も鳴り続けているという。
見えない敵、矛盾した存在、聞こえない歌聲。これらが意味すること。この迫した狀況を打開するためできること……。
「………………」
俺たちが生き殘るためにできること。フウカが癒してくれた脇腹をさすって確かめる。鈍い痺れは殘るが、くことはできそうだ。塗れの寢臺から立ち上がる。
「クレイル、後部甲板へ行こう」
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