《スカイリア〜七つの迷宮と記憶を巡る旅〜》第35話 姉の心、弟知らず

家に帰り著き、日が暮れる前にアリュプ達を畜舎へ追い立て柵をかける。

俺達が放牧している間、畜舎は姉ちゃんが掃除や藁のれ替えをしてくれていた。

「ただいま」

「あ、おかえりなさい。なーくんがいてくれるとお仕事が楽だねえ。

フウカちゃん。今日は中腹の湖までいったのよね。きれいだったでしょ?」

「うん、花がたくさんあっていいところだった。また行きたい」

「そう、よかったわぁ。ここに來たら一度は見ておきたいものね。さ、二人は休むといいよ。お母さんがお茶を淹れてくれるから」

「うん、そうさせてもらうよ。ちょっと疲れたしね」

王冠《ケテル》の訓練で無駄に練気を消耗したせいだ。

「アリュプたち、もうし見ててもいい?」

「フウカちゃんはとっても元気がいいのね。いいよ。私が案してあげる」

姉ちゃんはフウカを連れて畜舎を案し始めた。

フウカはあれだけ歩き回ったのにやはり疲れた気配がない。

俺は素直に家のほうで休むことにした。

階段を上り扉を開けて中にり、居間の長椅子に寢そべった。

「おかえんなさいナトリ。まあ、疲れたのかい? 中央に行ってが鈍ったかね」

「そんなことないよ。山で無駄に力使っちゃったんだ。そのせいさ」

おばさんがやってきてミルクティーを淹れてくれる。

長椅子に座り直し、カップを手にとって飲む。

適度な甘さが疲れたに染みる。

「あの子、隨分素直なんだねえ。都會っ子はもっと気難しいと思ってたんだけどさ」

「フウカは王都出じゃなさそうだけどね」

「本當に面倒見るつもりなのかい?」

「うん。そうするって決めたから。何もわからないのに放り出すなんてかわいそうだろ」

「まああんたらしいよ。メフィーを拾ってきた時を思い出すね」

「…………」

「ちょいと、泣いてんの?」

今は亡きメフィストフェレス。俺の親友。

子供の頃、草原を探検していた時に足を怪我してうずくまっていた小さな犬を見つけた。

俺を見てか弱く鳴くことしかできず、それはまるで助けを求めているみたいに見えたものだ。

こんな俺でも何かを助けることができるかもしれない。

そう思って、放って置けなかった俺はその子犬を家に連れて帰り、面倒を見るから飼わせてほしいと言い張った。

まだ存命だったおじさんはアリュプ達にちょっかいを出すと難を示したが俺は譲らなかった。

ちゃんと躾をするからと無理を言って、実際その通りに育てた。

怪我はよくなったけど、し歩くのが下手な奴だった。

立って歩けるようになってからは俺の良き相棒として、一緒に島を探検して歩いた。

森で一緒にモンスターを追い払ったり、二人で野山を駆け回ったり、メフィストフェレスとの思い出は盡きない。

長生きはできなかったけど、あいつはいつでも俺の心の中で生き続けている。

この島でたった一人の俺の友達だ。

「……うん、ちょっと思い出して」

メフィストフェレスのらしい顔を思い出すと今でも涙がこみ上げ、思わずホロリと來てしまう。

「にしても何故あんなおかしな名前にしたんだい? 可哀想だと思ったもんだけど譲らなかったじゃないか。ええと……メフィ……なんだっけ?」

「メフィストフェレスだよ! 名前くらい覚えてくれてもよかったじゃないか!」

ぐいっと涙を拭って反論する。

俺以外に名前を覚えられてない。クレッカの人間は冷だ。

呼びづらい、覚えられないということで、ランドウォーカー家では専らメフィストフェレスはアメリア姉ちゃんがつけた稱メフィーで通っていた。

誰も本名を呼んでくれなかった。嘆かわしいことだ。

「どうしてそんなとんちきな名前をつけようと思ったのさ」

「かっこいい響きだと思ったからだよ」

「…………」

俺はあれ以來、アリュプ達の名付けもさせてもらえなかった。

メフィストフェレスは自分の名前を気にってたはずだ。そんなに変か?

「そういえば、メリーに縁談があったんだよ」

「え゛?!」

話の流れをばっさり切ってグレイスおばさんはとんでもないことを言い出した。

しかし、よく考えてみれば當たり前。

四つ上のアメリア姉ちゃんだってお年頃だ。

牧場の一人娘だから跡取りが必要になる。

どこかの次男、三男坊あたりが婿りするにはもってこいなわけだ。

おまけに姉ちゃんは世話焼きで気立ても良い。

町の汗臭い男共が放っておくわけはない。

姉ちゃんが結婚、か。

「それで相手は?」

「ブレンナーのとこのイヴァさ」

「はあああ?!」

思わず長椅子から転げ落ちた。

あいつが俺の兄貴? 冗談はよせ。

「う、噓だ、姉ちゃんがイヴァの奴なんかと。冗談だよね、おばさん?!」

「頑丈そうだし、町の連中の中じゃ有株だとは思うよ?」

「うわあああああああ」

俺は頭を抱えて床を転げ回る。

おばさんが俺を見下ろして言った。

「どうしたのナトリ。この世の終わりみたいな顔して」

「これは夢だ……! そうに違いない!」

あの、あったかくて優しくて、太みたいに優しく包み込んでくれておまけに人な姉ちゃんが、イヴァのような力が強いだけの暴者と結婚するなんて。信じたくない。

「ま、メリーは気にらないみたいでばっさり斷ったようだけどねえ」

おばさんは何故かニヤニヤとしながら流し目をくれて言った。

「……! そ、そうなんだ。當然だ。絶っっ対に釣り合わない。びっくりさせないでよおばさん」

あんな奴を兄と認めるくらいなら俺はもう二度とクレッカの土を踏まない覚悟を固める。

「なぁナトリや。あんたとメリーは姉弟だけどは繋がってない。メリーもあたしも、あんたがここを継いでくれるなら喜ぶけど?」

「それってどういう……い、いや。だってさ、アメリア姉ちゃんは、俺の姉ちゃんだし」

「そうかい。……まあ、やらなきゃならないことがあるっていうなら仕方ないわな。あんたにとってクレッカが辛いってのもあるだろうしね。あの子のこと、好いてるのかい」

グレイスおばさんは基本遠慮などしない。

聞きたいことはずばずば聞いてくるし、言いたいことはがんがん言う人だ。

的確に、聞かれると困るところを突いてくることだって多い。

「……わからないよ。どっちかっていうとフウカのことは妹みたいに思ってる。年はそんなに離れてないと思うけど見てて危なっかしいっていうか、とにかく今は放っておけないんだ」

おばさんは黙って俺の目を見て話を聞いていたが、ため息を吐いて言う。

「いいかいナトリ。あんたはそういうのに疎いだろうからこれだけは覚えときな。はいつまでも待っちゃくれないよ。

いつまでもふらふら〜っとしてると、ようやく覚悟が決まった時にはもう目の前からはいなくなってる。そんなもんだ」

「うん……?」

言いたいことはなんとなくわかる。

だけど、その言葉が的に何を指しているのかはよくわからなかった。

いつまでも所帯を持たずにふらふらしてると婚期を逃すぞって言いたいのか?

元より俺なんかに縁談なんてあるはずないじゃないか。

こんな希代の出來損ないと、一だれが結婚してくれるっていうんだよ。

玄関の階段を二人の足音と話し聲が上がってくるのが聞こえる。

フウカは気のすむまで牧場を見て回ったみたいだ。

「まあいいんじゃないかい。今はあんたの好きなようにやってみなよ」

おばさんは口元だけを曲げてほんのしだけ笑った。

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