メイドに頬をがしっと摑まれて、屋敷の中へ引き摺り込まれそうになる。

ユリウスがすかさず止めにった。

「よせ、マリー！」

「止めないでください、ユリウス様。私にはこの瀕死のを蘇らせる義務があります」

「そんなものはないし、アニスの首がもげる！」

「え……アニス……？」

マリーと呼ばれたメイドは、私の顔をじぃっと凝視した。

その目は走っていた。ぞくりと背筋が凍る。

「初めまして……ロートリアス男爵家の長アニスでございます」

戸いつつも挨拶すると、マリーは真顔で首をこくんと縦に振った。

どういう意味の頷き？

それにいい加減手を放してもらえないだろうか……

「ユリウス様、この方があなたと婚約されるご令嬢なのでしょう？　でしたら、尚更このガサガサなを何とかしなければなりません」

「ま……待ってください、マリーさん。婚約すると言っても、ユリウス様と私は……」

「あなたはちょっと黙っていてください」

「はい」

有無も言わせぬとは、まさにこのこと。

助けを求めるようにユリウスへ視線を向ければ、諦めろと言いたげに首を橫に振られる。

「マリーはこういう格なんだ。一度彼に目を付けられたら、絶対に逃げられない」

「怪人の類いか何かですか？」

「うちのメイドだ」

この人、もしや天然なのかな。

「とは言え、アニスは馬車の移で疲れている。ひとまず休ませてあげたい。それから屋敷の中を案して……君への引き渡しはそのあとだ。いいな？」

「そういうことでしたら、構いません。疲れを放置するのはによくありませんから」

マリーは納得してくれたようで、屋敷へと戻っていった。

が、扉の隙間から顔だけ覗かせて、

「アニス様、その間に覚悟を決めておいてくださいね……」

不穏なことを言い殘すと、今度こそいなくなる。

私は數秒ほど間を置いてから、ユリウスに問う。

「私……全の皮を鳥皮のように、ベリベリッと剝かれるんでしょうか？」

「何だ、その騒な喩《たと》えは」

「し、失禮しました。以前、フライドチキン専門店で働いていたことがありましたので……」

「安心していい。流石にそこまで過激なことはしないはずだ。……恐らくは」

最後に余計な一言を付け加えながら、ユリウスが扉を片手で開く。

てっきり大勢の使用人が仰々しく出迎えるかと思いきや。

玄関付近の掃き掃除をしていた他のメイドが、「おかえりなさいませ」とお辭儀をするだけだった。

ユリウスも、それに軽く返事を返す程度だった。

自分が外出から戻る度に、屋敷中の使用人を玄関に集めさせる父とは大違いだ。

「君の部屋はここだ」

案されたのは、我が家の広間よりも広い一室だった。

ベッドは白い天蓋つき。

硝子製の明なテーブルは、よく見れば腳が黃金で作られていた。

真新しいソファーや本棚、クローゼットも置かれており、窓からは庭園を見渡すことができる。

お飾りの妻に與えられる部屋にしては立派すぎる。

言葉を失っていると、ユリウスが気遣うような口調でこんな提案をしてきた。

「狹いとじたのなら、もうし広い部屋に変更することもできるが」

「いえ。この部屋で十分です」

「そうか。では一時間後、迎えに來る」

ユリウスはトランクを床にそっと下ろすと、部屋を後にした。

飲みと菓子を用意すると言われていたが、それは斷っておいた。

オラリア邸の豪邸ぶりに圧倒されて、の渇きも空腹もじる余裕がなかったのだ。

二人掛け用のソファーに腰を下ろし、瞼を閉じる。

何だか夢みたいだ。

結婚する機會なんて消滅したと思っていたのに。しかも公爵となんて……

「夢に決まってるじゃない。世の中、そんなにお姉様の都合のいいように出來ていないんだから」

ソフィアが口元に手を當てながら、妖しく微笑む。

「そうだな、ソフィアの言う通りだ。私たちを差し置いて、そんな立派な屋敷に住むなど……そんな親不孝な娘は、いつか痛い目を見るぞ」

「なんて酷い娘なのかしら。やっぱり、あなたはソフィアの姉失格ね」

両親も蔑みの視線を向けてくる。

三人の言う通りだ。ユリウスも私よりもいい相手がいたと思う。

「……ス？」

いくらのない結婚と言えども、こんな地味なを選ぶのは明らかな人選ミスだったと……。

「アニス、起きろ！」

「っ」

大きくを揺さぶられ、そこで私は目を覚ました。

難しい表をしたユリウスが、私の両肩を摑んでいる。

「も、申し訳ありません。眠ってしまっていました」

「いや、こちらこそ無理矢理起こしてしまった。すまない」

何だか、ろくでもない夢を見ていた気がする。

掌は汗でうっすらっていた。