《【書籍化決定】白い結婚、最高です。》39.オニオングラタンスープ
夜會が中止となり、多くの貴族がロシャワール邸を後にする。
その中でも私たちは、大いに目立っていた。
突き刺さるような視線。どこからか聞こえてくるひそひそ聲。
私はその辺に転がっている小石。何も見えないし、聞こえない……
自分にそう暗示をかけながら、気恥ずかしさに耐える。
「どうしたんだ、オラリア公。隨分と目立つことをしているじゃないか」
ロシャワール侯爵が話しかけて來たのは、ユリウスが馬車に乗ろうとしていた時だった。
「ああ……アニスが怪我をしてしまったんだ」
「なるほど、そういうことか。てっきり仲の良さを見せつけているのかと思ったよ」
ロシャワール侯爵は納得した様子で、何度か頷きながら笑った。
そして私の顔を覗き込む。
「君の踴りは素晴らしかったよ。あの場で一番輝いていた」
うーん、お世辭が上手い方だ。
「それじゃあ、お大事に」
気遣いの言葉を殘して、ロシャワール侯爵は屋敷へ戻って行った。
これから々と事後処理をしなければならないのに、わざわざ私たちを見送りに來てくれたらしい。
彼の優しさが嬉しい反面、申し訳なさがある。
私ののせいで、こんな大事になってしまうなんて……
ユリウスが私を見下ろしながら穏やかに、はっきりと言う。
「アニス、君が気にする必要なんてない」
「ユリウス様……」
「さあ、乗るぞ」
ユリウスはそう告げると、私をキャビンにそっと下ろした。
結局応接間からここまで、ずっと私を抱き抱えていたが、疲れているようには全然見えない。
息も一切れていないし、もしかしたら日頃からを鍛えているのかな。
そんなことを考えながら窓の外へ視線を移すと、真っ黒な夜空で無數のの粒が煌めいていた。
「おかえりなさいませ、ユリウス様。アニス様」
オラリア邸に到著して、マリーが出迎えてくれた。が、不思議そうに首を傾げている。
「……いつの間にか隨分と仲良くなられたようですね」
「違うんです、マリーさん。これには事がありまして……」
ユリウスが私を抱えて、馬車から降りて來たのだ。誤解するのも無理はなかった。
私が慌てて説明しようとした時だった。
ぐぅぅ~、と間抜けな音が鳴り響く。その音の発生源は、私のお腹だった。
「…………」
「…………」
ユリウスとマリーが私を見る。
そういえば夜會では何も食べていなかった……
「アニス様。簡単なものであればすぐにお食事をご用意できますが、如何なさいますか?」
このままだと、空腹で眠れそうになかったのでありがたい。
私は顔を赤く染めながら、マリーの申し出にコクコクと何度も頷くのだった。
自室でソファーに座りながら、待つこと十數分。マリーが「失禮します」と言いながら、ワゴンを押してって來た。
何故か彼の後ろには、ユリウスの姿もある。
「オニオングラタンスープです」
玉ねぎの甘い匂いと、バターのまろやかな匂い。
茶いスープを覆い隠すように載せられた二切れのパンと、そこに散らされたシュレッドチーズ。
が溫かい食べを求めていた私にとって、理想のメニューだ。
私が目を輝かせている間に、マリーは二人分のスープと金のカトラリーを、テーブルに用意した。
……二人分?
「では、ごゆっくりお召し上がりください」
私の疑問を他所に、マリーは自分の仕事は終わったとばかりに部屋を後にした。
自分の主を置き去りにして。
ちょっと、マリーさん。大事な忘れが殘っているんですが……?
私が戸っていると、ユリウスが向かい側のソファーに腰を下ろした。
「え?」
「私も何かを口にれたいと、さっきから思っていたところでね」
だけど、何故私の部屋で……?
目を瞬かせながらユリウスを眺めていると、彼はスプーン片手に私を一瞥した。
「これは作りたてが一番味しいと、マリーが言っていたんだ。だから、冷めないうちに食べてしまおう」
「は、はい……」
私もスプーンを手に取って、まずは琥珀のスープだけ掬って飲んでみた。
炒めて甘くなった玉ねぎの風味と、バターの濃厚なコクをじる。
とろりと溶けたチーズを纏ったパンには、そのスープがたっぷりと染み込み、チーズの塩気との相抜群だ。
味しいし、とっても溫まる。
幸せをじながら食べ進めていると、「アニス」とユリウスに名前を呼ばれた。
彼は視線をスープに向けながらも、手のきを止めている。
「……すまなかった」
そして唐突に謝られた。
えっ、何に対する謝罪?
目を丸くする私に、ユリウスは言葉を続ける。
「君がマリカード伯爵子息に突き飛ばされた時、助けるのが間に合わなかった」
「そんな……ユリウス様は何も悪くありませんよ」
「しかし私と君は、形だけとはいえ夫婦だ。妻の危機を救ってやれないとは……」
「だったら、また私が危ない目に遭ったら……その時は必ず助けてください」
まあ、今夜みたいなことなんて早々起こらないと思うが。
私が笑いながら言うと、ユリウスはし照れた様子で、
「……ああ、分かった。約束しよう」
とだけ、私に告げた。
そしてまたスープを食べ始める。
その様子を見て、私はどうしてユリウスがここにいるのか、分かったような気がした。
この人は謝りたくて、そのタイミングをずっと計っていたのだろう。
律儀で優しくて、不用な人だ。私は茶く染まったパンをスプーンで掬いながら、頬を緩めた。
「そういえば……ユリウス様、ソフィアに抱き著かれたり、私を抱き上げたりしてましたよね」
手を握るだけで大変な思いをしていたのに、あんなに著して大丈夫だったのだろうか。
するとユリウスは顎をりながら、「うーん……」と小さく唸った。
「それが不思議なことに、手の震えも悸もなかったんだ」
「……克服したんですかね?」
試しに、いきなり手を握ってみる。
するとユリウスの目が大きく見開かれ、全が高速で震え出した。殘像が見える。
「すみません」と言って手を離すと、震えはピタッと止まった。
やっぱりダメか……予告なしは、さらにダメージが大きい。
すると、スプーンで宙に円を小さく描きながら、ユリウスが言う。
「まあ、あの時は君を助けなければと必死だったからだろうな」
「私を……?」
「さて、私は食べ終わったことだしそろそろ行くよ。今夜中に片付けたい仕事があるんだ」
「今からですか?」
壁の時計を見ると、あと數分で日付が変わろうとしていた。
ワーカーホリックという言葉が脳裏に浮かぶ中、自分の食を持ってユリウスが立ち上がる。
「……ユリウス様」
「ん?」
「今夜の夜會、々ありましたけど……楽しかったです」
令嬢たちの冷ややかな視線と心ない言葉、踴る時は玉ねぎとなり、妹夫婦の襲撃に遭って怪我までした。
生まれて初めてのパーティーとしては、なかなかハードだったと思う。なのに思い返せば、不思議と笑みが零れる。
私の言葉に、ユリウスはらかく微笑みながら、
「私もだよ。ありがとう、アニス」
と穏やかな聲でお禮を言って、部屋を後にした。
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