《旋風のルスト 〜逆境の傭兵ライフと、無頼英傑たちの西方國境戦記〜》悪夢 ―顔の見えない聲と、逃げう―
夢を見ていた。い頃の私、
そこは白い家、そこは広い庭、一年中たくさんの草花が咲き誇っている。
純粋無垢な笑顔で白のワンピースドレス姿のい私が遊んでいた。
私は誰かと話をしていた。
『それでね、――がね、ほめてくれたの』
『そう、それはね、――がいい子だからよ』
『ほんと?』
『えぇ、お兄さまも、おじい様も、みんなあなたをしてくれているのよ』
私が話しかけていたのは一人の大人のだ。聲のニュアンスや気配から清楚で優しい雰囲気が伝わってくる。でもその人の顔は霞がかかったように見えなかった。
『お母様、あっちに行こう!』
私は笑いながら〝お母様〟の手を引いて歩き出そうとする。
あぁ、そうだ。その人とい私は家族だったのだ。無邪気に、なんの恐れもなくその人を信頼し、その人の手を握りしめていたのだ。
でも、歩き始めてしして、その人の手は私の手の中から突然にすり抜ける。まるで幻を摑んでいたかのように。
『お母様?』
私はその人を呼ぶが返事は無かった。
お母様の姿を探して私の背丈よりも高い草花の中をさまよい歩くがお母様には會えない。
見放されたかのようにその姿はどこにもなかった。
わたしは不安で泣きそうだった。世界に私一人しか居ないような気がした。
『だ、誰か! だ――――!』
別な誰かの名前を呼ぶのだが聲にすらならない。見えない手で口を抑えられている。
『―――! ―――!!』
私は悲しみよりも、恐怖に捕らわれはじめていた。見えない巨大な手で抑えられ引きずられていく。
『助けて』とぶが聲は出てこない。そのままどこか知らないところへ闇の中へと連れ去られようとしている。
抵抗する、もがく、暴れる、
だが、強烈な力の前に私にはなすすべもない。それでも奇跡的に聲が出た。
『助けて!』
いわたしはんだ。大好きだったあの人の名前を。
『―――――――さま!』
わたしは名前を呼ぶが、それは風にかき消された。
巨大な手はい私を暗がりの中に突き飛ばす。
そして私が見たは――
――橫たわり微だにしない若い男の人――
そう、その人は〝死んでいた〟
毒をあおって死んでいた。ベッドで仰向けになり白蝋のように白くなり微だにしない。
それは恐怖、何よりも怖かった。おどろき泣きびながらい私は逃げ出した。
だが黒い手が何本もびてきて捕まえようとする。
それに捕まったら最後だとわたしは悟る。
私は逃げる。
ひたすら逃げる。
あの屋敷から、
あの庭から、
逃げる逃げる逃げる――
そしてやっとの思いで逃げ込んだのは學び舎、すなわち學校だった。
そこでは屈強な兵士たちが切磋琢磨していた。
同じ屋の下で暮らしながらお互いを勵まし合って暮らしていたのだ。
私は安堵した。ここならば生きていけると確信して。
『私をここにれてください!』
その願いはけれられた。
鉄と呼ばれるダスキーグリーンの制服姿の男たちが立派な聲で私にこう答えてくれた。
『りたまえ、君に必要なことを教えてあげよう』
その人たちは、わたしをわけへだてなくけれて暖かく指導してくれたのだ。
友人もできた。先輩もできた。仲間もできた。
恐ろしい黒い手もここならばやってこない。安心して私は學問と訓練に勵んでいた。
そんな時だ。仲間が言った。
『――ってすごいよね』
『飛び級だって?』
『男ですら葉わないよ』
尊敬の聲が飛びう。稱賛の聲が聞こえる。でもそれと引き換えに私の周りに人は、しづつ居なくなっていった。
顔の見えない教が私を見下ろして告げてきた。
『君は今日から特別だ。君にしかできない授業をけてもらう』
私は優秀すぎた。私の學力と行力に誰もついて來れなくなったのだ。持て余した學校は私を特別扱いした。
いろいろな人が教えてくれた。有名な學者、偉大なる先輩、高名な戦士、
様々な人に個人教授をけていく。新たな學びの場所で、新たな友達ができたのがせめてもの幸いだった。
そして私にも、卒業の時がやってくる。
でも――
『なぜですか?』
再び私の周りから人がいなくなった。今度は教すら居なかった。
『誰か!』
私はんだが返事すら返ってこない。あのときと同じだ。いときに黒い手に捕らえられそうになったあの時と。
そして――
――ドンッ!――
目の前に黒いギロチンが突然落ちてきた。見えていたはずの私の行くべき道は閉ざされる。
私の目の前に立ちはだかったのはまたあの黒い手だった。
――諦めろ――
黒い手が示した方向に見えてきたのは〝婚禮の式典〟と
遙かに聞こえてくる〝祝福の鐘の音〟
そして、青白い幽霊のように〝婚禮の裝〟が迫ってくる。
黒い手がささやく。
――お前にはここしか生きる場所はない――
聞こえてきた不気味な聲に私は両耳をふさいで逃げ出した。
『いや!』
――お前にはもうどこにも行き場はない――
『絶対に嫌ァ!』
――諦めるのだ――
『嫌ァッ!』
泣きびながら私は必死に逃げった。
その時だった。
暖かく強い聲が聞こえた。
『お嬢様。今が好機です。お急ぎください』
それは執事、私にとって絶対的な味方だった人だ。
漆黒の燕尾服に促されて、私は暗い通路を歩いていく。その先に現れたのは一臺の馬車だった。
馬車の扉が靜かに開く。そして、車から力強い聲が聞こえてきた。
『座りなさい、周りに気づかれる前に出るぞ』
その聲に促されるように馬車に乗り込む。
黒い手の追撃を振り切り、鬱蒼とした夜の街を切り裂くように駆け抜けて、私を乗せた馬車は走り抜けた。
そして、大きな街を出て郊外に馬車はたどり著いく。
頭上は鬱蒼とした雲に塞がれており、周囲は闇夜の中だ。それでも私は馬車を降りた。
馬車の扉が馭者(ぎょしゃ)によって開けられ、一つ一つ足取りを確かめるように馬車から降りていく。
その道のりはまだ夜の闇に沈み、星明かりだけが頼りと言う心細さだ。
だがそれを打ち消し勇気を與えるように、私の脳裏にはある言葉が響いている。
かつて學び舎の顔の見えない恩師の言葉だ。
【人は時には運命に抗い、家畜のように飼いならされる安寧よりも、命がけで荒野で狩りをするような狼の如き道のりを往く事も必要だ】
私は悟った。そうだ。それが今このときなのだ。
その眼前を遙かにびていく道のりの先を見つめながら私はつぶやいた。
『私は家畜にはならない』
つぶやきは夜の闇へと靜かに響く。
『卵を産むことだけを求められる鶏のような生き方は選ばない。たとえ飢えてやせ衰えても、自らの意思で荒野を歩む狼の生き方を摑み取る』
そうだ。まさにそのために、この場所に立っているのだから。
私は別れの言葉を口にする。同じ馬車に乗って私を見送ってくれた〝あの人〟へと。
私はルタンゴトコートのシルエットに禮の言葉を述べた。
『おじい様、數々のご厚、本當にありがとうございました。それではこれにて出立させていただきます』
いよいよ、永(なが)の別れのときだ。
『達者でな』
寂しそうな聲が聞こえる。それに対して詫びる気持ちを堪えながら私は応えた。
『幾久しくお元気で』
そう言い殘し、軽く會釈をしてをひるがえして、まだ見ぬ土地へと歩きだす。
その時だ――
私の頭上を覆っていた黒雲が左右に割れる。溢れんばかりの月明かりが降り注ぎ夜道を照らす。闇に隠れていた旅路の行き先を顕(あらわ)にしながら。
『天もお前の旅立ちを祝福するか』
誰かの聲が聞こえるが、私は振り返らなかった。確かな足取りで闇夜の中の旅路をひたすらに歩いていく。
どこまでも、どこまでも、どこまでも……
そして私の姿は夜の闇の中へと掻き消えて霧散していった。
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