「新見アナのスキャンダル、ネット記事結構出てますよね」

柚子が発作を起こして番組を休んだ日の翌日、〈とろたま〉の閉店作業をしながら、麻が言った。詩乃は、ちらりと、小さなすりガラスからホールの掃除をしている麻に目をやった。その目線の鋭さに、自分と麻のまかないを作っていた清彥は、小さな焦りを覚えた。

「メディアもネタがないんだろ」

麻に聞こえる大きな聲で清彥が言った。

「店長もチェック済みですか」

こいつ本當にやりにくいなと、清彥は余った野菜や類をぶち込んだ小鍋のスープを混ぜた。

「どっちが勝つんですかね、婚約してるキャリアウーマンと、新見アナと」

「どっちでもいいよ」

面倒くさそうに、詩乃が言った。

「初の人のそういう話は、複雑ですか？」

麻は、誰もいないホールに聲を響かせた。

「心配だね」

詩乃はそう言って、タオルで手を拭いた。

ホールの片付けが終わった麻はキッチンにやってきた。

「社長が相手じゃ分が悪いですよ」

麻は、冗談半分に詩乃にそう言った。

いつもよりも割増しで麻の態度には棘がある。清彥は、二人に挾まれて、気が気ではなかった。つい最近までは、二人とも付き合っちゃえばいいだろ、とそう思っていた清彥だったが、今は、二人は水と油かもしれないと考えを改めていた。

「社長じゃなくてＣＥＯでしょ」

「どっちでも同じようなものですよ」

ピピピ、ピピピとタイマーが鳴った。

清彥はパスタを引き上げ、フライパンにれた。卵黃を量のミルクで解いたを、その上から加える。

「今日はカルボナーラですか。味しそう」

「旨いよこれ。――詩乃も食ってけよ」

「すみません、今日はちょっと」

そうか、と清彥は応えた。

「水上さんって、普段何してるんですか。今日とかも、帰った後」

清彥は、麻が詩乃の小説の事を知らないのを意外に思った。付き合っていないにしろ、二人で食事に行くくらいの関係にはなっているのだから、小説のことくらい、麻はもう知っているものだとばかり思っていた。

「酒飲んで寢るかな」

「えぇ、じゃあ食べてけばいいじゃないですか。作るの店長ですけど」

「酒飲みながら考えたいこともあるんだよ」

「何ですか。新見アナのことですか？」

図星を突かれ、詩乃は押し黙った。

柚子がネット記事で取り上げられているのを見て、詩乃はすぐに、その大本の雑誌を買った。この一週間、柚子の記事は、すでに何度も読み返して、その文中に出てくる単語や固有名詞を、全て説明できるくらいに調べつくしていた。

今、詩乃の中にあるのは、柚子の調の事だった。今週月曜日から、柚子は出演していた全ての番組を休んでいる。テレビ城東はそれを、調不良と説明している。雑誌のゴシップが原因で謹慎させられているのならまだ良いが、テレビ局のコメントの通り、本當に調不良だとしたら、本當に心配だ。そう思って詩乃は、本當の所を、ネットの報を漁って今日も調べようとしていた。

「え、ホントにそうなんですか！？」

詩乃の沈黙に対して、麻はさっそく突っ込んだ。

「ちょっとやめてくださいよ。引いちゃいますよ、それ」

清彥は麻に、それ以上何か言うなと、視線を向けたが麻は気づかなかった。

「……まぁ別に、誰かにわかってもらおうなんて思ってないよ」

詩乃はそう言うと、早々に片付けの殘りを終わらせて、一人先に上がった。

詩乃が店を出た後、清彥と麻は、テーブルに向かい合って座った。

「水上さんって、よくわからないですよね」

カルボナーラを食べながら、麻が言った。

「いや俺は、わかる気がするけどな」

「え、ホントですか？　――結構クラですよね」

「……お前はさ、結局あいつのこと好きなの？」

「なんですか急に！　そんなわけないじゃないですか。付き合っても、旨味無さそうだし。會話も、全然弾まないんですよ？」

「まぁ……わからないかもな、お前じゃ」

「なんですか、それ」

麻は、むすっと剝れた。

いつもなら麻は、清彥に反撃したいときは、結婚や同棲の話題を振る。しかし近頃清彥は結婚を決めたので、麻も、その話を武にはできなくなった。

「あとお前、さっき、社長が相手じゃ分が悪いとか、そんなこと言ったろ」

「はい。え、だって、そうじゃないですか」

「は殘酷だねぇ」

「……何ですか今日。というか、店長って、隨分水上さんの肩持ちますよね。男の友ってやつですか？」

こいつも今日は隨分憎まれ口をたたくなと、清彥は思った。

「――あいつは孤獨なんだよ。若いうちに両親無くして、親の殘した借金のために地方出て働いて――そういう奴の気持ち、お前想像できないだろ？」

「え、ちょっと待ってください……そうなんですか？　でも水上さん、家族とは音信不通だけど、會おうと思えばいつでも會えるって言ってましたよ」

清彥はし考えてから応えた。

「會おうと思えばいつでも會える、か……。前川、お前相手に詩乃が、両親のこととか、借金のこととか、話すと思うか？」

そう言われて、ズキンと麻のは痛んだ。

「まぁ、どうでもいいか、社長でもない三十路フリーター男の話なんて」

「そういう言い方しなくてもいいじゃないですか。私が悪かったですよ」

そう言って麻は、スープを掬った。

清彥も、パスタを丸めて口にれた。咀嚼しながら、こうやって自分はだんだん、若い従業員から煙たがられる存在になっていくんだろうなと、清彥はそんな事を考えていた。自分で作ったパスタの味は、あまりよくわからなかった。

スタジオでパニック発作を起こしてから一週間、柚子は自宅療養をしていたが、その期間が、さらに一週間びた。それに伴って、柚子の療養中は、ナレーションの番組は代役のアナウンサーが起用されることになった。〈晝いち！〉はしかし、柚子の代役はたてず、柚子がサブＭＣにっていた日は、メインＭＣの奈と、サブＭＣの一人が、ダブルメインＭＣというような形で、対応していくことになった。

十二月十七日の月曜日、〈晝いち！〉の放送が終わり、放送後ミーティングも終わった後、奈と莉玖の二人は、アナウンス室の隣の休憩室で一緒になった。莉玖は砂糖いっぱいのカフェオレを作り、奈は末青を湯で溶かし、かき混ぜた。

「――新見さんいないと、ほんっと毒強いですね」

奈は、莉玖に言った。

柚子がサブＭＣを擔當していた月曜日、水曜日、木曜日は、柚子の復帰まではダブルＭＣになる。月曜日は、莉玖がＭＣのもう一人で、先週は柚子が倒れたその日だったので莉玖も番組を回すことに徹したが、今日は、本番中、奈は隨分莉玖にいじられた。

「臺本だよ」

「アドリブでしたよ！」

莉玖は微笑を浮かべ、紙コップにふちにをつけた。

「はぁ。新見さん、早く帰ってこないかなぁ……」

そう呟いて青を啜る奈を、莉玖は湯気の隙間から見やった。

「このまま休んでくれた方が都合がいいって聲もあるけどな」

莉玖がそう言うと、奈は髪を逆立てんばかりに、表を怒らせた。

「――俺が思ってるわけじゃないよ。そういう聲があるって話、それとなく池も聞いてるだろ？」

「オミさん、ぶっちゃけていいですか」

莉玖は、部屋の扉が閉まっているのを振り向いて確認してから言った。

「どうぞ」

「私、今一番のストレスは、そういう事言ってる玉無し野郎と一緒に仕事しなきゃいけないってことです」

奈のあんまりな発言に、莉玖は咽た。

柚子が出演している各番組の公式サイト上には、柚子が健康上の理由で暫く番組を休むという旨が発表されている。「番組関係者一同、新見アナウンサーの復帰を心より願っています」というような文言が添えられて。