《【書籍化】捨てられ令嬢は錬金師になりました。稼いだお金で元敵國の將を購します。》天使、來りて 2

メフィストと名乗った男はで染まった手を軽く振った。

に塗れていた手は何事も無かったように綺麗になった。

「天使、じゃないわ。……あなたは、何なの?」

「天使だよ。ほら、見て。しい羽があるでしょう? 四枚羽は、上位階級の証。六枚羽は、特別階級の証。世知辛いものだよね、羽の枚數ごときで差別をけるのだから」

メフィストは、黒い羽を大きく広げてみせた。

よりも大きな黒い猛禽類のそれに似た羽だった。同じ黒い羽なら、ヘリオス君の羽の方がずっと優雅でしい。

「噓をつかないでください。あなたのような邪悪な魔力を持っているひとが天使な訳がないわ。どうして、アリザを騙したの……、どうして、酷い事を……!」

「異界の鬱々とした景を見るのに飽きてしまってね。だから、人の世界で遊ぼうかと思って。そうしたら、……我が主がいつまで遊んでいるんだと言って怒るから、異界の軍勢を呼んで、王國を滅ぼしてしまおうかなと思って。それに、アリザよりも、君で遊んだほうが楽しそうだ」

気づいたら、メフィストは私の真正面に立っていた。

息を呑んで見上げる事しかできない私の頬に、大きな手のひらがれる。

氷のように冷たい手だ。おぞましくて、気持ち悪くて、突き飛ばそうとした私の手をメフィストは片手で軽々と摑んだ。

爪が手首にぎりりと食い込んで、一筋のが腕に伝わっていく。

「アリザはすぐに私に心酔して、つまらなかった。絶に満ちた心に希を與えても何も楽しくない。私は、クロエ。君のような他人の善を信じて足掻いているものを、奈落の底に突き落とすのが好きなんだよ。実際、君はしぶとい。誰からも見捨てられて、何もかもを失っても、まだひとを守ろうとするのだから。……やはり、セレスティアの子供だ」

「お母様の事を知っているの?」

「知っているよ。よく、知っている。あれほど邪魔なものはいなかった。でも、もう死んだ。理に背き君を産んだから、死んでしまった」

「それは、どういう意味なの……?」

私を産んだせいで、お母様が死んだ?

私はメフィストを見上げる。メフィストは蠱的な微笑みを浮かべた。長い睫に縁どられた紫の瞳が私を見下ろす。

顔が、近づく。くことができない。れるかと思った瞬間、白刃が煌めいた。

「無駄口をたたくな、クロエ! これは魔だろう。耳を貸す必要はない」

ジュリアスさんの剣を、メフィストは私を摑んでいた手を離して片手でけ止める。

刃を白く染める破邪の力が、メフィストの手を焼いた。腐した甘ったるい果実のような香りが鼻につく。

「邪魔だな。……ただの人間の男の分際で。……いや、違う、か? 君は……」

「黙れ。死ね」

ジュリアスさんは剣を摑んでいるメフィストの手から、強引に剣を引き抜いた。

橫薙ぎにされた手のひらが、手のひらの中心からすっぱりと切れる。

指が飛んで転がる。は流れなかった。

その代わり、切られた手のひらから新しいが盛り上がってきて、再び手の形をかたどった。

「無意味だよ。私には勝てない。私を殺せるほどの力は、君たちには無いのだから」

「黙れ。お前は今切られた。切る事ができるのなら、叩き切っていれば、そのうち死ぬ」

素早い一撃が、メフィストのを捉える。

ばさりと羽を羽ばたかせて、メフィストは飛び上がろうとした。

けれどジュリアスさんの方が早い。矢継ぎ早に放たれる剣撃に、避けるのが一杯に見える。

メフィストの片腕が、黒い刃の形に変化した。

ジュリアスさんの剣をける音が響く。メフィストが手を突き出すと、ジュリアスさんの足元からぬるりとした質の腐した死者ののようなものがぼこぼこと現れ、ジュリアスさんの足に纏わりついてきを止めようとする。

私は魔力増幅の杖をジュリアスさんの足元へと向けた。

「神罰の雷霆!」

詠唱と共に空から鋭いが差し込む。

白い羽と共に飛來したの刃がジュリアスさんの足元の亡者の群れを焼いた。

ジュリアスさんは足元の亡者に気を取られる様子はない。私がジュリアスさんを守ることを信じてくれている。私はもう一度杖を構える。

メフィストの刃がジュリアスさんのを腹を淺く裂いた。ジュリアスさんは刃の先にあるメフィストの腕を摑む。

強く引いた勢いで飛び上がり、翼の一枚を無造作に摑んだ瞬間名前を呼ばれる。

「クロエ!」

よ、闇を穿ち黎明を齎せ!」

に魔力が満ちるのが分かる。満ちた魔力が杖に吸われていくようで、足元がふらついた。

ジュリアスさんの持つ剣の刀によって形を変える。神々しく煌めく白刃に、見たことのない文字が刻まれている。

その剣で、ジュリアスさんはメフィストの羽を叩き切った。

黒い羽が飛び散る。羽の一枚が、切り離されて地に落ちた。

「貴様……!」

「羽は、再生できないらしい。自慢の羽を、全て落としてやろう」

ジュリアスさんは人の悪い笑みを浮かべた。

メフィストの背中に足をかけて、もう一枚の羽を摑むと剣を振り上げる。

「あぁ、この力……、この力は……」

メフィストはぶつぶつ呟きながら、大きく羽を羽ばたかせて空へと飛びあがる。

羽ばたきによる衝撃で、ジュリアスさんが私の元へと吹き飛ばされて、私の橫へと塀から落ちてきた貓のように軽々と著地した。

「……そうか。それが良い。……クロエ、また會おう。悲しみと絶で君の心が壊れるのを、楽しみにしているよ」

メフィストは刃に変えていた片腕を、元の形へと戻した。

「メフィスト……!」

「良いね、私の名を君が呼ぶのは、とても良い。覚えていて、クロエ。私はメフィスト。……誑かしの道化師。……悪魔と呼ばれているものだよ」

私に向かって微笑むメフィストから、ジュリアスさんが私を庇うようにして一歩前へ出る。

「飛竜で追われるのは面倒だから、君たちには相手をあげる。……それではね」

メフィストが言うと、臺座の中央の空間に大きな異界の門が現れる。

異界の門が開き、そこから現れたのは――見たことのある、顔だった。

「……お父様」

私の手から力が抜ける。

杖が、からんと音を立てて落ちた。

メフィストの笑い聲が、遠くに響いている。私はくことさえできなかった。

異界の門から現れたのは、十字架にはりつけにされたお父様だった。

お父様の姿をした別の何かだということは分かっている。

けれど、その顔はお父様のものだ。

首とを切り離されて、それぞれが十字架に鎖で巻き付けられた姿をしている。

十字架の下には沢山の人の頭蓋骨が転がり山になっている。更にその下には、芋蟲の裏側にあるような無數の足が生え、蠢いている。

お父様の顔をした何かは『クロエ、クロエ』としゃがれた聲で私の名前を呼んだ。

――お父様の最後の言葉を教えてあげましょうか。

私の頭の中に、アリザの言葉が響く。

――クロエに手を出すな、ですって!

首を切られて、処刑されたお父様。

お父様は、アリザが人ではないものに支配されている事に気付いていた。

だからアリザを娘としてれて、刺激をしないように、きっと私を守るために私につらく當たり、アリザのに巣くったメフィストを封印する方法を探していた。

それに気づかれて、処刑をされてしまった。噴水広場で首を落とされたと、――恐ろしいセイグリット公爵の娘だと私を嫌悪の表で睨む街の人たちが、私に言った。

私は弔おうともせず、悲しみもせず、淡々とその事実をれていた。

どうけ止めて良いのか分からなかった。私はお父様に嫌われていると思っていて、お父様は裏切り者だと思っていて――けれど、それは違って。

「……クロエ、見るな」

涙が流れる。

ジュリアスさんが私のを抱きしめて、視界から魔の姿を隠した。

「目を閉じていろ。お前は、あれを見るべきじゃない」

「ジュリアスさん、あれは……、あれは、異界に落ちた、お父様かもしれません……、助けないと、助けないと……!」

「もしそうだとしたら、救う方法は一つしかない。……殺すことだ」

私はジュリアスさんのに顔をりつけるようにして、首を振った。

苦しい。息が詰まる。上手く呼吸をすることができない。

「クロエ。すぐに終わる。お前は、手を出すな」

『苦しい……、痛い……、苦しい……、クロエ……』

は、お父様のそれに似た、けれど掠れてしゃがれた耳障りな聲で、私に助けを求めるようにそう繰り返した。

ジュリアスさんの言うとおりだ。

とは、異界に落ちた死者の殘滓。お父様はもう死んでしまった。

だから、生き返らせることなんてできない。私は何もできなかった。何一つ、できなかった。

せめて――目を逸らしたくない。

ジュリアスさんのが私から離れる。

落としてしまった杖を拾って、なるだけ背筋をばして真っ直ぐ立った。

お父様の顔を見上げる。鎖の巻かれた顔の隙間から、知のある瞳が私を見據えている。

頭の中に『クロエ』という聲が響いた気がした。

それは魔が発しているものではない。お父様の深く落ち著いた、気難しく堅苦しい聲だった。

ジュリアスさんが魔に向かって駆ける。

剣には、破邪の力が未だ満ちている。剣が揺れるたびに、白い羽が舞い散るのがこんな狀況なのにとても綺麗だった。

ジュリアスさんは無數に飛んでくる頭蓋骨の礫を全て切り伏せて、真っ直ぐに魔へと駆ける。

地を蹴って飛び上がると、十字架の一番上から真っ二つに魔を切り裂いた。

側から弾け飛ぶようにして、その姿を崩していく。

崩れた鎖から解放されたお父様の手が私にびる。

『クロエ、すまない』

はっきりと、お父様は言った。

私は流れ落ちる涙を袖でごしごしと拭い、嗚咽を堪えるためにを噛んだ。

泣いたって、んだって、何も変わったりはしない。

私を気遣ってくれたジュリアスさんの気持を考えれば、ここで悲しみに打ちひしがれるのは違うとじる。

が消滅したと同時に、不格好なオブジェと化していた城の、巨大な手で出來た足場が揺れて崩れていく。

ジュリアスさんは私の元へ走ると、私を拾い上げて「ヘリオス!」と呼んだ。

空から落ちるように飛來したヘリオス君へと、足場が完全に崩れる前に飛び移る。

アリザのが、地面へと落ちていく。

ジュリアスさんの腕の中から、私はアリザに手をばした。

ヘリオス君が私の気持を察してくれたように、落下するアリザの用に足で摑んで、再び空高く舞い上がった。

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