《【書籍化】誰にもされないので床を磨いていたらそこが聖域化した令嬢の話【コミカライズ】》されて育った妹の心が折れる時
「――マーブル侯爵夫人よ。話し合おうではないか」
正面の扉越しに語り掛ける陛下を見守っていると、先ほどからずっとうずくまったままのフィオナがぽつりと零した。
「……お母様、どうしてこんな事をしてしまったのかしら」
「もう、マーブル侯爵家は終わりだと……察していたのかもしれないわね」
「終わり……? どうして!?」
「私が家を出たから」
「分からないわ。お姉様。どうしてお姉様が家を出た事がおうちの終わりになるの……?」
「々あったのよ。……これが終わったら、きちんと話をしましょう?」
ぐすぐすと鼻をすするフィオナの隣にしゃがみ込んで、目元をハンカチで拭ってやる。
ハンカチが真っ黒になった。
清楚で可いキャラの義妹は、意外と化粧が濃かったのだと知った。
正面扉が開き、り口の見張り役二人――消臭と爪とぎがじろりと陛下を睨む。
でも次の瞬間には恐怖に引きつったような顔になり、かなくなった。
きっと威圧でが竦んでいるのだろう。
額には脂汗が浮かんでいる。
「……貴方が王様?」
お義母様の聲だ。
私が居る場所からは見えないけれど、奧の方から聲が響く。
「いかにも。まずは要求を聞こう。言ってみなさい」
「要求……? そんなの決まってる! 私達を全員、國外まで安全に送り屆けて!」
「ほう。それだけかね?」
「勿論他にもあるわよ! 金貨を千枚用意して。あと、人質がもう一人くらいしいわね。そうだわ、準聖を一人寄越して頂戴」
私の隣でお義母様の聲を聞いているフィオナの目に再び涙が浮かぶ。
無理も無い。
この子はずっと、自分の家は溫かくて幸せな理想の家庭だと思っていたのだ。
ついさっきまで當たり前のように存在していた“溫かくて幸せな家庭”が、底から崩れていく。
私も、あのお義母様にこんな一面があったなんて家を出なければ気付けなかった。
「……なるほど。では、金貨と準聖、それと馬車を用意させるとしよう。し待ってくれるかな?」
「早くしなさいよ!」
陛下は振り返り、片手を上げた。
その合図をけて衛兵數人がばたばたと王宮に向かって駆けて行く。
しの待ち時間(という(てい)の時間稼ぎ)が発生し、お義母様はイライラした様子でもう一つの要求を出してきた。
「そうだわ。王様。ここにステラを連れて來て頂戴。銀髪の方の子」
「……何故?」
「王様には関係ないの。個人的に気にらないだけ。どうせ近くに居るんでしょう? 出て來なさいよ、ステラ」
呼び掛けられた。
――私はずっと、家で辛く當たられていたのはお父様と自分の関係が原因だとばかり思っていた。
でもそれは事の一面でしか無かったのだ。っこには、この人の影響が多くあったのかもしれない。
この人が全てを手にれるには、私の存在が邪魔だったのだ。
近くに居ても家を出ても目障りな存在。
さぞ憎かった事だろう。
私は立ち上がり、神殿の正面扉に向かって歩き出した。
すると、ドレスの裾をつんと引っ張られて振り返る。
「お義姉様……」
不安そうなフィオナ。
「大丈夫よ。話をして來るだけ。……お義母様とは、一度話をしたいと思っていたの」
裾が靜かに離された。
神殿に足を踏みれ、陛下の後ろで一度立ち止まる。
威圧でけない……。
それに気付いた陛下は威圧を緩めてくださったようだ。
けるようになって、もう一歩前に出る。
お義母様はもうかつらを著けておらず元の黒髪になっていて、私の姿を見るなり口元に笑みを浮かべ水晶に手を乗せた。
苛立っているようで、指先でトントンと水晶を叩いている。
「……よくも陥れてくれたわね」
「陥れたのではありません。貴が自滅したのです。お心當たり、ありますでしょう?」
「ふん。王族に取りった瞬間口ごたえするようになっちゃってさ。いいご分よね。家出をしても結局良いところに収まっちゃうんだから。……嫌になるわ。穢れた子のくせに」
「穢れてなどいません。お母様は……穢されてなどいなかったのです。全て、思い込みと言いがかりです。訂正して下さい」
「どっちでも良いわ。もう侯爵家に未練は無いもの。せめてフィオナだけでも王族に嫁がせてから出國しようと思っていたけど……こうなったらおしまいね。フィオナも連れて行こうかしら」
その言葉に馭者が反応した。
「お、おい……。約束が違うぞ」
「いいじゃない。若い娘が居た方が貴方達も楽しいでしょう?」
「それはそうなんだが! でも、あんな贅沢に浸りきったお嬢様なんか連れて行けるか! アンタだけでも不安なのに。ましてアンタの実の娘だろう? 遊ぶにしては悪趣味が過ぎる」
「案外潔癖なのね。嫌いじゃないわよ、そういうとこ」
彼は見た事のないような妖艶な笑みを浮かべて、こちらを向いた。
笑顔は一瞬で消えて憎悪のこもった目だけが殘る。
「……そういえば、貴。スキルを手にれたのね。浄化の聖が現れたって噂を聞いて、貴だとばかり思っていたけど。なぁに、さっきの攻撃。あれは風だったわよね。風使いのスキル? ふっ、結局聖じゃなかったなんて、貴も大した事が無かったのね。しスッとしたわ。……ねえ、ちょっとこっちに來なさいよ。王様はいいの。貴だけ」
きかけた時、陛下が手で制した。
「何故近付く必要がある?」
「ただの駆け引きよ。この水晶を床に落とすのが先か、それともステラがこっちに來るのが先か。試してみたいだけ」
そう言いながら水晶をつっと指先ででる。
私は陛下の腕を押しのけて、前に出た。
「ステラ嬢……」
「大丈夫です。陛下」
私よりも水晶の方が大事だ。
それに、もうすぐ殿下がここに來てくれるはず。殿下が居ると思えば、私は何も怖くない。
神殿の真ん中の通路を進むと、カツ、カツ、と殿下に頂いた靴の踵の音が響いた。
それだけで勇気が湧いてくる。
でも、お義母様に近付くにつれて私は奇妙な違和を抱き始めた。
――おかしい。
あの水晶……何の力も持っていないじがする……?
不思議に思っていると、お義母様は腕組みしつつ腕をトントンと指先で叩きながら私の背後に目線をやり、ふっと片方の口角を上げて僅かに頷いた。
何をする気かしら。
警戒した瞬間、後ろから陛下の大聲が響く。
「ステラ嬢! 伏せろ!」
咄嗟に床に伏せたけれど間に合わなかった。
頬を何かが掠めて痛みが走る。神殿の白い床に鮮が散った。
私のだ。次の瞬間目の前にあった水晶が砕け散る。
何が起きたのか分からず、を反してきらきらる無數の破片が空中を舞うのを、呆然と見上げた。
「なんて事を……!」
陛下の聲。
破片と一緒にクロスボウの矢が床に落ちる。
どうやら背後から撃たれたらしい。
「あーあ。水晶が割れちゃったわねぇ。貴が避けたせいよ。ちょっと腕を狙っただけなのに。どうするの? これ」
くすくすと笑っている。
信じられない思いでお義母様を見上げた。
「――最高だわ。私、ずっと貴のそういう顔が見たかったの。貞淑な貴婦人を演じるの、本當に辛かった」
笑う彼の背後の扉が靜かに開き、殿下が現れた。
気配に気付いた馭者がナイフを構える。
ナイフがボロボロと崩れ落ちて、お義母様も異変に気付いて振り返った。
「なっ!? 何よアンタ!? まだ神が殘ってたの!?」
馭者が悲鳴を上げて崩れ落ちる。
バキバキと音を立てて手足が様々な方向に曲がっていき、恐怖の表で後ずさるお義母様の指も同じように変形し始めた。
「い、痛い痛い痛いっ!! やめてぇっ!」
悲鳴が上がると同時に兵士達がなだれ込んで來て、消臭と爪とぎは床に引き倒された。
殿下はそれを確認して、へたり込んだお義母様の髪のを片手で摑む。
「お前。こんな事をしておいて、逃げられると本気で思っていたのか?」
その間に彼の腳も変形していっているようだ。足元からパキパキと音がして、獣のような悲鳴が上がる。
「じょ、冗談よ! あの水晶は偽! すり替えたの! 本はちゃんと隠してあるから大丈夫!」
「知ってる。見張りが持ってたから」
「じゃあ何で……!」
「當然だろ。お前が散々痛めつけてきたステラは、俺の大事な人なんだよ」
殿下は冷たく言い放ち、髪のから手を離してごしごしと拭った。
そして気まずそうな顔で私のところに歩いて來て、床に膝をつき、おずおずと手を差し出してくる。
「ごめん……。遅くなった」
頬にれられて、ピリッとした痛みをじた。きっと傷を治して下さったのだ。
殿下のお顔を見ていると、どうしてか涙があふれてくる。何か言いたいのに、がいっぱいで言葉が一つも出て來ない。
「まだどこか痛む?」
首をぶんぶん振ると、腕の中に閉じ込められた。
ぎゅうと抱きしめられて、心の底から安心する。
「ごめんね、ステラ」
また首を橫に振った。が震えて聲が出ないので、返事の代わりに両腕を殿下のお背中に回す。
――良かった。
本當に、良かった。
一味は縄でぐるぐる巻きにされた。
王宮の地下牢まで歩かせるために殿下が腳を治すと、二人ともこの世の終わりのような悲鳴を上げる。
「くそっ……! マリアンヌ、なんであの時撃たせたんだよ! 偽の水晶を置いておけば來年まですり替えはバレないって言ったのはお前だろ!? 壊すような事しなきゃ逃げられたのに!」
「どうしても見たかったのよ……あのの娘が絶する顔が」
「それだけのためにあんな事を!? どうかしてるよ、お前!」
仲間同士で罵り合いながら引き立てられて行く。
その時ふと、お義母様の歩いた跡に黒い砂のようなものが落ちているのに気が付いた。
――これ、瘴気石のだわ!
ゾワッとして彼の後ろ姿を見る。
彼も足元に砂のをじたようで、下を見てから後ろを振り向き、空虛な目でぽつりと呟いた。
「ああ……。呪いのをれた袋、破れちゃったのね。何かに使おうと思って持って來たけど……嫌ね。どおりでが重いはずだわ……。……そう、あの、こうやって死んでいったのね。……ふふっ。娘は風使いで大した事無いし。結局準聖になれたフィオナの方が上だった。いい気味」
歪んでいる、としか思えない笑顔だった。
私は思わず杖で床を突き、浄化と掃除を同時に発した。彼ごと浄化したい気持ちだった。
私を中心に聖域が広がっていく。
床の痕は消え去り、瘴気石の黒い砂は明な砂に代わり、天に向かっての霧雨が立ち昇る。
その様子を、お義母様は唖然として見ていた。
「お義母様。ご覧になりましたか? これが浄化です」
貴も浄化されればいいのに、と言いたかったけれど、言いすぎな気もしてやめておいた。
それでも煽りとしては十分だったようで、彼の目に憎悪のが戻って來る。
「浄化……!? やっぱりお前が聖だったの!? 嫌! そんなの許さない! 絶対に許さない!」
びながら縄を引っ張られて、出て行った。
神長とおじさん神の縄と猿轡を外し、事件はひとまずの解決となった。
割れた偽水晶は関係者を調べるための資料として回収され、そしてお義母様が落として私が浄化した明な砂は殿下が再構築で一つの塊にした。
力を失い、抜け殻のようになった浄化石。
それはやや大きい砂粒ほどで、なんとなく、の量から予想するサイズよりもずいぶん小さい気がした。
「……小さいな」
「殿下もそう思われますか。私もそう思っておりました」
「なんでだろうな。不思議だ。……今度管理所に行った時に確かめてみよう」
「はい」
見張りが持っていたという本の水晶がった革袋を抱え、疲れた顔の陛下と虛ろな目のフィオナを連れて王宮に戻る。
陛下は夜會に顔を出さなければならず「すぐに戻る」と言い殘して、慌てた様子の宰相によって大広間へ連れられて行った。
「やあ、セシル殿下。災難でしたね」
人々が慌ただしくき回る中、聲をかけて來た人が居る。
鑑定のデューイ様だ。
「デューイ兄。どうしてここに?」
「パーティ會場は苦手なので抜け出して來ました。……というのもあるのですが、事を知っていた者として顛末が気になって仕方なくて。……おや? もしやそちらのお方が例の義妹さんですか?」
野次馬を隠しもせずにデューイ様はフィオナの顔を覗き込む。
フィオナは無反応だ。私は首肯して、訊ねる。
「デューイ様はこの子とは初対面なのですか?」
王太子殿下の側近と、準聖のフィオナ。
一度くらいは顔を合わせた事がありそうだけど……。
私の質問にデューイ様は答えた。
「はい。どういう訳かこれが初対面ですね。もしかしたらすれ違った事くらいはあったかもしれませんが……。まあ、私は社の場が苦手ですし、今になって思えばマーブル侯爵も私を避けていた節がありましたから。きっとご令嬢もなるべく私と會わせないように計らっていたのでしょう」
話しながらデューイ様はじっとフィオナを見つめ、フィオナも視線をけてピクリと肩を揺らす。
……もしかして、スキルを使っている?
「あの、デューイ様」
「――おや。これはこれは……。大変な事だ」
私が止める前にデューイ様は目を逸らした。
大変な事って何かしら……。
聞きたい。でもそれって良くない。
「デューイ兄……。そんなんだから侯爵に避けられるんだろ。頼まれた時以外はやめなよ」
「そうですね。深淵を覗いてしまうと命に関わる事もありますからね。これが深淵とまでは申しませんが、見なかった事にしましょう。――では、私はこれで帰ります。またお會いする日を楽しみにしていますよ」
禮を取り、デューイ様は風のように去って行った。
「何が見えたんだろうな……」
「いけませんよ、殿下。興味本位の詮索はいけません」
「分かってるよ」
そうしていると今度は騎士がやって來た。
王妃様付きの騎士だそうだ。
彼はフィオナを迎えに來たとおっしゃる。
これから処遇が決まるまでの間、フィオナもお父様もここ王宮で見張り付きでするらしい。
騎士に先導され、トボトボと大人しくついて行くフィオナだったけれど、數歩歩いてぴたりと足を止め、振り返らないまま話しかけてきた。
「あの……。お姉様」
「なあに?」
「さっき、お母様がね、連れて行かれる時……わたし、お母様って呼んだんです。目が合ったんです。なのに……すぐ逸らされてしまったの。すごく冷たい目だった。……お母様、本當はわたしの事なんてどうでも良かったのかな」
フィオナはあの僅かな時間で心がり切れてしまったようだ。
無邪気でされるの顔は鳴りを潛め、別人のようにひっそりとした聲で話す。
「あの人の気持ちは私には分からないけど……大事には思っていたはずよ。そうでないなら私と同じのかつらを著けてまで、貴の婚約のために夜會に乗り込んで來なかった」
「わたしの婚約のためだったのかしら……。ううん。違う気がする。お母様の一番の狙いはスキルの水晶を持って逃げる事だったのよ。そうでないならあんな男達と組んだりしない」
そんな事は無いと思うけど……。
私にはあの人ののなんて分からない。でも、娘を大事に思う気持ちも水晶を持って逃げようとした気持ちも、どちらも本當だったんじゃないかなと思う。
捕縛されて連行される姿なんて、娘には見られたくなかったはず。
だから無視したのよ、きっと。
騎士の後をついて行くフィオナの後ろ姿を見ながら、そんな事を考えた。
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