デートの約束の日、私は落ち著かず何度も鏡を覗き込んでいた。

「平民ってどんな髪型と化粧をするのかしら」

「大丈夫、ナディア、可イヨ」

「本當？　服はこの服で大丈夫かな？」

服裝は緑の屋敷に出仕したばかりのときに著ていた掃除用のワンピースを指定され、その中でも生地の傷んでいないものを選んだけれども、メイドより質素な服で恥ずかしくないかしらと心配にもなる。

正直、初めての街へのお出かけが楽しみで浮かれてしまっている。

お父様たちが街へお忍びで出かけるとき、ジゼルがはしゃいでいる姿を見ているだけだった。

ずっと羨ましいと思っていたところに行けると思うと、どうしてもじっとしていられない。

するとコンコンと扉がノックされる。開ければ妖がお迎えに來てくれていた。

「パールちゃん、今日もお留守番？　一緒に行こう？」

パールちゃんも屋敷の外に出たことがないはずだ。そう思ってってみるが、彼は首を橫に振った。

「行カナイ。クロヴィス様ト、デートノ邪魔デキナイ」

「そうだったわ……デートだったわ」

このままではクロヴィス殿下のことを好きになってしまう――と考えないようにしていたけれど、外出の目的がデートだということを思い出し顔に熱が集まってしまった。

「ナディア、クロヴィス待ッテル」

「う、うん」

妖に催促され、顔を手で仰ぎながら裏門の馬車のところまで駆けて行った。

平民の街に行くのでいつもより質素な馬車で、馭者席に座るアスラン卿も私服姿だ。

いつものように穏やかな表で挨拶をわせば、気持ちも落ち著いてくる。

けれど、馬車の中で待っていた彼の姿を見たら、顔を冷やそうとした努力は簡単に水の泡と化した。

「おはよう。やはり何を著ても可いじゃないか」

「は、はひ!?」

開口一番にクロヴィス殿下に甘く褒められ、思わず聲が裏返ってしまった。

覚悟しておけよとは言われたけれど、數日何もなかったので油斷していたわ。狂犬と呼ばれているのが信じられないくらい、噂と人が違う。

いつもと同じように隣に座るが、質素な馬車だからし狹いせいで足同士がれてしまっている。

黙っていたら意識しすぎて、これまでの時間稼ぎが無駄になってしまいそうだ。

「クロヴィス殿下はそのままのお姿で街に出られるのですか？」

彼の服裝は私に負けないくらい質素でシンプル。

けれども淡い金の髪と偽の傷を施していない整った素顔を見れば、どんな服裝をしていても高貴な人にしか見えない。

「これを被るつもりだ」

そう言って正面の席に置いてあった鞄から藍の先に癖の付いたカツラを取り出し、頭に被ってサッと整えた。髪と髪型が違うだけで全く印象が変わってしまった。

「髪も違うし、傷もない。顔も笑っていたら、誰も俺が狂犬王子だなんて思いもしないさ」

「ずっと笑っているおつもりですか？　大変ではありませんか？」

ずっと演技で表を作ることが負擔になりそうで、心配したのだけれど……

「今日はデートなんだ。勝手に笑顔になるというものだ」

上機嫌で返されてしまい、私のはまたもきつく締め付けられる。

これ以上言葉をわせば、黙っているよりも心臓に悪そうだ。街に著くまで、私は窓から景を眺めて、足から伝わる溫もりから意識を逸らそうと努めた。

屋敷から街までは王宮へ行くよりも近く、馬車という室から早く解放されてをで下ろした。

まだ手なら大丈夫……そう思ってクロヴィス殿下の手を借りて馬車を降りれば、騒がしい人波の景に息を飲んだ。

通りには屋だけのテントがとりどりで並び、目の屆かない先まで人がいる。今日は快晴で、太の明るさのせいもあって熱気が強く伝わってくる。

「これが街ですか？」

「ここは店街だ。怪しいものや紛いも多いが商品の種類が富で安い。新鮮な食材も流通していて、市場の機能もはたしているところだ。ここはお忍び初心者には難易度が高いから、今日はこっちの商店街の方へ行くぞ」

クロヴィス様が私の肩をそっと抱くようにして、人の群れから守るように通りを橫斷していく。

ひとつ奧の通りにると大小様々な石造りの建が並んでいる場所に出た。店街ほどではなくても人は多く、けれども先ほどよりも落ち著いた雰囲気だった。

「ナディア、見たいものやしいものは考えてきたか？」

貴族だと隠すためだけれど、敬稱がないだけで耳がくすぐったい。

「はい。お菓子作りの道を売っているお店はあるでしょうか？　アスラン夫人とクッキーの型の種類を増やしたいと話していたんです。なので見てみたいなと思いまして」

「分かった。こっちだ」

クロヴィス殿下の手が肩から離れると私の指に絡められ、歩き出す。

「あ、あの」

「人同士に見せていた方が人に絡まれにくいし、何かあったときに守りやすい」

「……わかりました」

安全のためなら仕方ないと、恥ずかしいけれど従うことにした。

案されたキッチン雑貨店は調理から食まで取り扱う大きなお店だった。目的のクッキー型もたくさん種類があって目移りしてしまう。

「可い……」

特にの型がたくさんあって迷ってしまう。アイシングでデコレーションをしたい、とアスラン夫人にお願いすれば教えてくれるだろうか。

たくさん並べたらお皿の上で可らしい園も作れそう。

それを食べるのは妖だけでなく、クロヴィス殿下やアスラン卿、他の護衛騎士たちもいる。失禮だけれど、凜々しい殿方が可らしいクッキーを摘まむ姿は微笑ましい時間になるだろう。

「ふふ」

「何を想像しているんだ？」

「これでクッキーを作って皆様とお茶會が出來たら素敵だなと」

「なら全部買おう」

「え？」

私が驚いている間にクロヴィス殿下は店員に聲をかけ、全種ひとつずつ注文してしまった。

しかも費用はクロヴィス殿下持ちだ。

「私が払います」

「館の廚房で使い、俺の口にるのなら俺が払って當然だ。他に使いそうなものがあれば気にせず買え。高級な寶石じゃないんだ。この店ごと買ってもなんら懐は痛まない」

「さすがですね」

「その代わり、きちんと作って食べさせてくれよ？」

純粋にお菓子を楽しみにする無邪気な笑顔は、王子ではなく普通の青年のようだ。

本當にはじめからこの調子で私は大丈夫かしら……顔が熱いのは良すぎる天気のせいだと思いたい。