◆クロヴィス視點

鏡を見ながら久しぶりに施した偽りのやけどの痕を確認し、その上に左半分の仮面をつけた。

「クロヴィス殿下、いよいよですね」

「そうだな」

ニベルも王族の騎士だけが許されている國章りのマントを羽織り、上機嫌にニッコリ微笑んでいた。俺が婚約するまで自分はしないと謎の忠誠を捧げたニベルも、ようやく人と婚約できるから當然か。

ナディアは救世主だ。

俺だけでなく王家にとっても、アスラン子爵家にとっても、彼の臺頭は諸問題を解決するきっかけになった。小さなこともあげれば、もたらされた利益は多い。終わった後に伝え彼の価値を教えてあげよう。

今日の夜會を乗り切れば、今まで出來なかったことが一気に進められる。婚約に、結婚、そしてマスカール伯爵家に対する制裁。

橫暴な俺がナディアにだけは優しい態度を取ればおのずと特別な仲に見え、『狂犬王子の寵をけている』と周知でき、貴族たちは彼に迂闊に手を出せなくなる。

さすがに愚かなマスカール家も今後はナディアをげることは出來ないはずだ。

ようやくナディアに安寧の庭を與えられる。

「ニベル、し早いが彼を迎えに行く」

「かしこまりました」

王宮の迎えを寄越すとは伝えているが、俺が行くとは伝えていない。

驚くだろうか、喜んでくれるだろうか――と彼の反応が楽しみで、大人げなく浮足立ってしまう。こんな姿を他の貴族の前で曬せば、狂犬の名が折れてしまうな。

そう思いながら馬車に乗り込もうとしたとき、ひとりの妖が相を変えて姿を現した。

「ナディア、倒レタ！　助ケテ！」

「――は!?　倒れたとは」

「屋敷デ、本読ンデタラ急ニ……クロヴィス、助ケテッテ」

妖によるとナディアは伯爵家をきちんと警戒し、指示に従いつつも飲食には手を付けなかったという。室後、數分もしないうちに意識を失い、聲をかけても反応がないほど深い眠りについてしまったと教えられた。その間、伯爵たちは食堂で食事を摂っていた、と……

怪我や死ぬような毒で倒れたわけではなさそうだが、彼が害されたことは変わりなく、腹の底からマグマのような熱い怒りが湧いてくる。

「クロヴィス殿下、どうしますか？」

ニベルをはじめ、同行予定の腹心の騎士たち十名が殺気立ちながら指示を待っていた。

周りは本當の狂犬が彼らだということを知らない。俺が手綱を手放した瞬間、容赦なく敵を切るような奴らだ。忠誠心が強すぎるのも問題だ。

俺が冷靜さを失い、ナディアにを見せるわけにはいかない。怒りを抑え込み、落ち著いて、迅速に――

「今すぐマスカール伯爵邸に行き、ナディアの無事を確認し保護する。俺が指示するまで絶対に口も手も出すな。靜観していろ」

「はっ、仰せのままに」

メモ紙に父上への伝言を書いて、妖に渡すよう命じて馬車に乗り込んだ。

そうしてマスカール伯爵家に著くと、伯爵が直々に馬車を出迎えた。俺が直接出向いてくるとは予想していなかったのか、顔が悪い。

扉を開いた狀態で馬車に乗ったままの俺に、伯爵は平低頭で謝罪を口にした。

「大変申し訳ございません。ナディアが急に調を崩し、起きられない狀態なのです。クロヴィス殿下にご足労頂いたのにもかかわらず、娘の不徳の致すところ、父親である私が代わってお詫び申し上げます」

「娘の不徳……か。どうして倒れたか原因は分かっているのか？」

「醫者はただ寢ているだけだとしか」

噓だな。桃の髪に緑の瞳をしたの子の妖――ナディアの言っていた「パールちゃん」と思われる妖が必死に抗議のジェスチャーを送っている。

よほどナディアが倒れたことがショックなのだろう。隨分と泣き腫らした顔だ。可哀想に。

しかし第二王子だからといって証拠がない狀態で、無理やり踏み込むわけにはいかない。當主に無許可でナディアを連れ去ったら、俺とて拐扱いされてしまう。俺は良くても父上の顔にはできるだけ泥を塗らないように、ことを進めなければ。

「その醫者ヤブじゃないだろうな？　伯爵、ナディア嬢の様子を直接見せろ」

「それは……」

明らかに戸うマスカール伯爵の後ろから、ナディアの異母妹ジゼルが聲をかけてきた。

「お父様、クロヴィス殿下を屋敷にご案しましょう？　あとでお姉様が恥ずかしくないよう、きちんと整えて寢かせてありますから」

「そ、そうだな」

「クロヴィス殿下、私ジゼルがご案しますわ」

そう言ってジゼル嬢は鬱陶しい視線を向けながら、微笑んだ。

いかなる理由でも、王族のパートナーにを空ける行為は家名に傷をつける行為。だというのにコイツは余裕の態度で、平気でナディアの元に案するという。

なるほど……とんだ自信だ。なら利用させてもらおうか。

「あぁ、頼んだ。マスカール伯爵家の花よ」

手折ってやる。その毒花を――そう忌々しく思いながら口にした言葉に、ジゼル嬢は頬を染めた。

騎士を二名だけ殘し八名を引き連れ、屋敷にると二階の角部屋に案された。扉が開けられると、ベッドサイドにマスカール伯爵夫人がハンカチを握りしめ座っていた。室に気付くと慌てたように頭を垂れ、俺に場所を譲った。

椅子に座りナディアの寢顔を見下ろす。

呼吸は穏やかで、顔も悪くない。あどけない無垢な寢顔だ。このような形で彼の初めての寢顔を見るとは思わなかった。本當はもっと幸せな時間に包まれた狀態で見たかったというのに。

ベッドサイドのテーブルには水差しと小瓶が置かれ、一応看病していたアピールはしているようだ。

ナディア嬢の髪をすくいあげ、香りを嗅いだ。背後でざわつく伯爵たちの気配をじるが無視だ。

ほのかに甘い、睡眠薬として使われるアロマの香りがした。

「ナディア嬢、勝手に寢るな。起きろ、俺の貴重な善意を裏切る気か？」

濃く吸い込んでいるのか瞼ひとつかさない。

興味が失せたように手のひらから髪を落とした。

「驚かそうと思ったが、反応がないところを見ると貍寢りではなさそうだな。駄目か……」

「お姉様はとても繊細な人ですわ。遅めの社界デビューで気後れした上に、クロヴィス殿下に栄にもエスコートしていただけることに対して張してしまったに違いありません。どうかお許しくださいませ」

異母姉を思う心優しい妹を演じているようだが、本音はどうだか。

足を組み、背もたれに肘を掛け、あえてジゼル嬢にうような微笑みを向けて見せる。

「なら、伯爵家はどう埋め合わせしてくれる？」

「――！　お姉様はこのような狀態です。夜會の前に起きたとしても、まともに參加することは難しいはずですわ。殿下にこれ以上の迷をかけるわけにはいきません。欠席が妥當かと」

「で？」

「それでも、このままではクロヴィス殿下のパートナーにをあけてしまい、ご迷をおかけすることには変わりません。そこで、私がお姉様の代わりを務めるというのはどうでしょうか？　社界は経験済みですし、立派にお隣に立ってみせますわ」

このは明るい聲で、堂々とナディアの場所を奪う発言をした。