《沒落令嬢、貧乏騎士のメイドになります》第六十九話 アニエスを迎えに
アニエスと別れてから、早くも半年が経つ。
その間、手紙でのやりとりは頻繁に行っていた。
アニエスはベルナールの祖父カルヴィンの仕事を手伝っており、多忙な毎日を送っていると、手紙に書き綴られている。
意外なことに彼は「會いたい」などの甘い言葉は一切書かず、報告書のような淡々とした容を認したためていたのだ。
もしや、アニエスは向こうで充実した毎日を送っていて、こちらに帰りたくなくなっているのではとベルナールは不安に思い、悶々とした日々を一人で過ごしていた。
祖父と母親、そしてアニエスの三名に近況報告を送り、返信が早かったのは祖父だった。
だが、屆いたのは手紙ではなく、大きな箱。中には夜會の招待狀と手紙、それから裝がっている。
招待狀には、『仮裝パーティへのご招待』と書かれていた。二つ折りにされた招待狀を開けば、服裝指定ドレスコードとして、<いつもの自分ではない姿>と書かれていた。
カルヴィンからの手紙には、港街で夜會があるので參加をするようにという旨と、會場でお寶を見つけることはできるか? という挑戦的な一言が書かれていた。
寶が何か分からず、首を傾げる。
箱を開けてみれば、目元を覆う黒い仮面と、金の鬘、それから、一昔前の貴公子が著ているような煌びやかな正裝がっていた。
「なんだ、これは」
思わず獨り言を呟いてしまった。
仮裝パーティの開催は一か月後。今からならば、休みも申請できるだろうと考える。
ちょうど、騎士団の部も落ち著いてきた頃だったので、アニエスを迎えに行くには良い時機ではないかとも思った。
さっそく、休みの申請をすることにした。
◇◇◇
ベルナールは現在、騎士隊の教を育てる教育機関に所屬をしている。
座學が中心で、たまに護なども習う。
年齢層は高めで、四十前後くらいだろうと言われていた。
教になるには上層部の推薦狀が必要となり、若者に道理を教える者として人格を優先して選ばれる。
ベルナールのような若者が抜擢されるのは長い歴史の中でも初めてのことだった。
騎士団で起こった事件の真相を知る教や、同輩となった騎士達は溫かい態度で迎えてくれた。
おかげで、勉強に集中できる環境の中、隊五ヶ月目となったベルナールは績優秀の評価をもらっている。
上に休暇を申し出れば、大いに楽しんでくるようにと肩を強く叩かれた。
新參者にもかかわらず、快く休暇申請をけてくれたことに謝をすれば、教育者は心の余裕を作ること――即ち、休みの日も必要だと教えられる。
往復に四日、滯在二日の計六日間の休日を許可されることになった。
元上司であるラザールにも、港街へ行くことを伝えておく。
現在、仕事面での関わり合いは皆無だったが、酒を飲みに行ったり、食事に行ったりと月に何度かの付き合いがあった。
アニエスにも久々に會うことを伝えれば、ならば良い機會だと、ラザールはベルナールの手元にあったが戻るよう手配をしてくれた。
一ヶ月後。
ベルナールは半年ぶりに王都から旅立つことになった。
船は祖父が豪華客船のチケットを取っていたので、悠々自適な移時間を過ごすことになる。
だが、以前家族と過ごした時と違い、一人なのでなんとも言えない寂しさを味わっていた。
二日間、船で遊ぶことはなく、持ち込んでいた參考書を片手に、ひたすら勉強に勵むことになった。
そして、ようやくアニエスと會えると思っていたのに、迎えに來たのは母親とジジルだけで、膝から崩れ落ちそうになる。
「ベルナール、あなた今、アニエスさんが來ていないと知って、明らかにがっかりしましたね?」
「いいえ、気のせいです、母上」
「隠さなくても結構ですよ」
聞けば、祖父カルヴィンの著想で、アニエスのことは仮裝パーティでベルナールが探すようになっていることを知らされた。
手紙にあった寶とは、アニエスのことだったのだ。
「まったく、お父様もわけが分からないことをして……アニエスさんはずっと、ベルナールに會いたがっていたのに」
「そう、だったのですね」
「ええ」
手紙に書かなかっただけで、アニエスはずっとベルナールに會いたかったことを知ることができた。心のモヤモヤがしだけ晴れる。
「さて!」
母親の気合がった一言に、思いに耽っていたベルナールはビクリと肩を揺らす。
オセアンヌの目は、燃えるように熱くぎらついていた。
「ベルナール、し、髪がびすぎていますね」
「そう、でしょうか?」
言われて気付く。今まで、月に一度は散髪に通っていたことに。思い返してみれば、この五カ月間、一度も髪を切りに行っていなかった。
「それから、目の下の隈もどうにかしなくては」
「いや、これはどうにもならないでしょう」
「せっかくの夜會ですのに」
「仮面を付けるのでご心配なく」
「會場ではそうかもしれませんが、顔を見たアニエスさんが心配をするでしょう」
「それは、まあ……」
「良い顔師を知っているので、今から施をけに行きましょう」
「あ、あれはが行く場所では?」
「男も最近は來るそうです」
「いえ、私は結構――ちょ、待っ」
有無を言わさずに、ベルナールは母の手で連行されてしまった。
そして迎えた夜。
慣れない顔の施のフルコースをけたベルナールは、ぐったりしていた。
ブロンデルの配下にけた暴行より、酷い目にあったと切なげに振り返る。
祖父の用意した「これはちょっと……」と思っていた華な正裝も無理矢理著せられ、正直似合っていない金髪の鬘も被ることになった。目元は仮面で覆っているので、見た目についてはいくらか誤魔化せていると思っている。
全を鏡に映せば、いつもの自分とは違う、まったくの別人に見えた。
服裝指定はしっかりと守られていた。
だが、これではアニエスは気付かないだろうし、彼自も髪を変え、目元を隠していれば見つけることはできないのではとも思う。
憂鬱な気分のまま、夜會に挑むことになった。
◇◇◇
仮裝パーティーが行われるのは、カルヴィンの商會が保有する社場。
會場には、仮裝をした多くの人達で賑わっていた。
予想通り、男ともに似たような正裝に仮面を付けているので、誰が誰だか分からない狀態になっている。
皆、楽しそうに踴ったり、食事をしたり、會話をしたりしていた。
ほとんどの人達は、相手のことを知らない狀態で流していると聞く。
どうなっているのかと傍にいたジジルに愚癡を零せば、仮裝パーティとはそういうものだという回答が返ってきた。
「相手の分が分からないから、楽しいのです」
「アニエスを探さなければならない俺には迷な催しだがな」
「それはそれは、お気の毒に……」
どこか他人事な言い方をするので、ジロリと睨んでしまった。
ついでに、紺のドレスに仮面を付けたジジルを見て、「お前は何をしに來たんだ」と訝しむような視線を向ける。
「一応、私も招待客なんですよ。あら、うちの人」
ジジルは夫、ドミニクを発見したようで、楽しげな様子で去って行った。
その後、一人その場に取り殘されるベルナール。
人混みの中からアニエスを探さなければならず、大きな溜息を吐いてしまった。
目を凝らしたが、どのも同じに見えた。
殘る手がかりは、鼻から下の出している部分で確認するしかない。
すれ違うの口元を確認するが、それだけで判斷をするのも難しいように思えた。
口紅などを塗っているので、見た目のみの判斷は難しい。けれど、のらかさや弾力でアニエスだと判別できる――と思いかけて、急に恥を覚えた。いったい何を考えているのかと、自らの思考に呆れることになる。
ベルナールはのを見て、アニエスを探すことを諦めた。
他に何か特徴があったかと、記憶を蘇らせる。
ふと、一つだけアニエスだと判るがあったことを思い出した。
それは――元のホクロ。
皆、の辺りが大膽に開いたドレスを纏っている。似たような意匠デザインを纏っているのならば、ホクロも確認できるだろうと思った。
……いや、駄目だ。止めた方がいい。
即座に諦めたわけは、の元を見て歩けば、確実に不審者扱いをけるからだった。
時間が経つにつれ、會場の混雑は増していく。
きをするのにも困難な狀況となり、ベルナールは焦燥に苛まれていた。
アニエスがどこかで見知らぬ男に聲をかけられ、困っているのではないかと考えると、どうにも落ち著かない気分になる。
もう、名前を呼んで回るしかない――そう思っていた剎那、背後よりらかな衝撃をじる。
誰かがベルナールの背中に抱き付いてきたのだ。
腰に回された手を取る。
サファイアの指を嵌めた、白い指先の持ち主は一人しか知らない。
相手が離れるのと同時に、ベルナールはすぐに背後を振り返った。
そこには、真っすぐな黒髪を結わずに垂らし、蝶の仮面を付け、口元にホクロを描いたが佇んでいた。
の線にぴったりと沿った、紫のドレスを纏っている。その姿は艶やかで、普段の清楚な彼と同じ人には見えなかった。
「アニエス、か?」
「はい」
別人にしか見えないので、念のため確認をする。アニエスで間違いなかった。
「お前、よく俺が分かったな」
「立ち姿を見て、ベルナール様で間違いないと」
「凄いな」
軽く言葉をわしたあと、見つめ合ったまましばし時間が過ぎる。
ベルナールは目の前にいるアニエスが知らないのようで、落ち著かなかった。
仮裝を解いて、ゆっくり話をしたいと思う。
宿に移するかと提案をすれば、アニエスが一通の封筒を取り出した。
宛名はベルナールで差出人はカルヴィンであった。宛名の下に、會場で封を切るようにと書かれている。
人のない場所まで移し、手紙を開封した。
中には社場の最上階にある宿泊施設の鍵と、カルヴィンより<二人でゆっくり過ごせ>と書かれた一文が。
「上で休める場所を用意しているらしい」
「みたいですね」
「聞いていたのか?」
「はい、伺っておりました」
「だったら、お言葉に甘えるとするか」
用意された部屋に辿り著けば、ベルナールは首に巻いていたタイを緩め、鬘を取って長椅子の上に放り投げる。
でつけてあった髪のをガシガシと掻いて、元の狀態に戻した。
なんとなく豪華絢爛な部屋を居心地悪く思ったベルナールは、上著をいで、大きな出窓の縁に腰かける。
そして、ぼんやりと港街の夜景を眺めていた。
しばらく経てば、アニエスが戻って來る。
しかしながら、その姿を見て瞠目するベルナール。
「――おい!」
「はい?」
「服は、どうしてそのままなんだ!」
「え~っと、お著替えはないようで」
やって來たアニエスの姿を見て、思わず頭を抱えてしまう。
アニエスは一見して普段の彼だった。金の髪は緩く編み、品のある佇まいを見せている。
だがしかし、出の高いドレスはそのままで、視線をどこに定めていいのか悩むような恰好をしていた。
「ちょっと來い」
ベルナールはアニエスを近くに呼び寄せる。
手をばせばれる距離にまでやって來れば、手にしていた上著を肩からかけてやった。
「あ、ありがとう、ございま――」
お禮を言うためにお辭儀をしかけたアニエスのを、ベルナールはぐっと引き寄せて、優しく抱きしめる。
久々にじるらかな抱き心地と、甘い香りを堪能しながら、耳元でそっと囁いた。
「――ずっと、會いたかったんだ」
「!」
ベルナールのらしくない言葉を聞いて、アニエスはハッと息を呑む。
それから、「わたくしも」と消えりそうな聲で呟いた言葉は、最後まで言い切ることなくで塞がれてしまった。
離れ離れになっていた二人の再會は、甘いひとときで埋め盡くされた。
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