《わがまま娘はやんごとない!~年下の天才と謎を解いてたら、いつの間にか囲われてたんですけど~》十七話「先立つ者を見送りましょう」上

それから數日は、これまでの快晴が噓のような土砂降りの雨が続いた。

雨が降り始めた最初の二日間、平間たちは宿舎の中で壱子の持ってきた文書を漁ったり、皿江に手渡されていた村の記録をもう一度詳しく読んでみたりしていた。

しかし三日目に、壱子が

「飽きた。森に行くぞ」

と言い始めると、同じく退屈していた沙和も同調し始めた。

しぶしぶ平間や隕鉄も一緒に森へ向かうと、続いた雨で道中の川は茶く濁り、ごうごうと音を立てて流れていた。

地面もぬかるんでいて、十歩も進まないうちに足先を不愉快なが襲った。

これには言いだしっぺの壱子も閉口して顔をしかめ、窟の前の滝も実にたくましいものに様変わりしていたことから、この日は何もせず、濡れただけで終わった。

その日に収穫があったとするなら『あの滝は普段なら十分に窟のり口を覆い隠す能力を持っているだろう』と分かったことと、その日の風呂が格別に心地よいものだったということだけだった。

雨が降り始めて四日目。

曇天の中から久しぶりに顔をのぞかせた太に、壱子は素直にその顔を輝かせた。

壱子を中心に喜び勇んで森へと向かった四人だったが、「ヌエビトの畑」はこそぎ作が持ち去られ、それらしい植の名殘すら見出せずに日が暮れていった。

その翌日も晴れたが、同じく特筆すべき果を殘すことは出來なかった。

――

【皇紀五五年三月十二日、朝】

佐田壱子さだのいちこは、この日の自の行をその生涯にわたって悔やむことになる。

この日は晴天で、平間や壱子は當然、森に向かうものと思っていた。

が、隕鉄は朝食の席でこう言ったのだ。

「食材が、底を突きかけている」

「……ああ、完全に忘れていました」

その言葉はなんの噓偽りも無く、平間は食材のことなど考えてもいなかった。

それはヌエビトや森の窟のことを考えていたせいでもあるが、それ以上に、先日「ヌエビトの畑」で壱子が放った問いかけが頭の隅にずっとを張っていたからだ。

『もし私が家や分を捨て、ただの壱子になれば……その時お主は、応えてくれるのか?』

壱子は今まで、冗談めかしてそういうことを言うことはあった。

あったが、あの時の壱子はまっすぐに平間の目を見つめて、それが冗談ではないかと言う疑念を抱かせる隙さえ見せなかった。

(何を考えているんだ、本當に……)

平間は沙和や隕鉄にこのことを相談しようかとも思ったが、沙和は変なからかわれ方をされる気がする上に、壱子の出自のことは緒にしていた。

かと言って隕鉄に話すわけにもいかなかった。

平間と隕鉄の立場を考えると、なかなかその踏ん切りがつかなかったからだ。

「買い出しに行くしかないだろうな」

隕鉄の言葉に、考えごとをしていた平間はハッと我に帰った。

もともと今日まで平間たちが食べていたものは、隕鉄が用意していた食材を料理したものだ。

この勝未村まで、隕鉄の巨軀と怪力で運び込まれた食料は大量と言うべきものだったが、大の大人が三人と、の大きさからは想像もつかないほどよく食べる壱子が相手だ。

逆に、ここまでよく持ったと言うべきだろう。

平間はぼうっとしていたことを覆い隠すように、積極的に口を開く。

「では、買い出しに行きますか。またあの泥まみれの森にはあまりりたくないですし、気分転換することで何か新しい発想が出てくるかもしれません。どう、壱子?」

「ん? まあ、そうじゃな、悪くないと思う。というか、食べるものが無くなったら私が一番困ってしまうじゃろう。今日は買い出しにするか。ところで――」

壱子は言いかけて、ちらと沙和のほうを見た。

「沙和、どうやら調が優れないように見えるが、大丈夫か?」

「大丈夫だよ~。ちょっと熱っぽくて、ぼうっとするだけだから。最近雨だったし、が冷えて調を崩したんだと思う」

「そうか……慣れない生活で疲れも溜まって風邪をひいてしまったのかも知れぬな。では、今日はここで休んでおくといい。買出しのついでに滋養じようの付くものを買ってこよう」

「ありがとう。ごめんね。壱子ちゃんが選んで買ってくれるなら安心できるよ……調理するのは、まだあんまり安心できないけど」

「む、そっちの方はまだ練習中じゃ……」

鼻聲の沙和が言うのは、昨日壱子が「今日は私が米を炊くから、平間も沙和も隕鉄も口出ししないで見ていてくれ」と言ったが、盛大に失敗して焦げたお粥のようなものを生してしまったことを指しているのだろう。

それを揶揄されてふくれる壱子は、しかし心配そうに沙和を見た。

――

【同日、晝前】

「壱子、沙和さんは……」

「ツツガムシ病ではないか、と言いたいのじゃろ?」

遮るように言う壱子に、平間はうなずいた。

平間と壱子は、勝未からほど近い街道沿いの宿場町へ向かっていた。

隕鉄は壱子が何かを頼んでいて、今日は別行だ。

「確かに、ツツガムシ病は熱を出す病やまいじゃ。しかし、その心配はあまり無い」

「どうして?」

「良くぞ聞いてくれた」

くいっと口角を上げ、壱子は人差し指を立ててみせる。

「勝未村に來てから、私はたびたび沙和と一緒に風呂にっておったじゃろう?」

「ああ、沙和さんの提案でそうしていたね。壱子は嫌がるのかと思ったらすんなりれていたから、意外だった。あ、もしかして壱子って一人じゃお風呂にれないとか?」

「そんなわけあるか、たわけ! 風呂くらい、一人でれるぞ……たぶん」

「じゃあ、お屋敷じゃ侍の人にを洗ってもらっていたの?」

「うむ、そうじゃな。もしやお主、私のを想像して……って、そんなことはどうでも良い! なぜ沙和がツツガムシ病ではないかということじゃ!」

自分でボケておきながら話を切り上げた壱子は、さらに続けた。

「私が沙和と風呂にることを承諾したのは、互いに毎日ツツガムシに噛まれた跡が無いか確認するためじゃ」

「だったら、沙和さんに噛み跡は……!?」

「無かった。そして沙和もそれを分かっておる。だから私は『風邪じゃ』と言ったし、沙和もそうだと思ったのじゃ」

「なるほど、てっきり一人ではお風呂にれないのかと思ったけど、それだけじゃ無かったわけだ」

「だから一人でれると言っておるじゃろうに! ……まあ良い、さっさと行って沙和の看病をしてやらねばな」

「いつの間にか、壱子は沙和さんにべったりだよね」

「それはそうじゃろう。沙和はいい奴じゃ」

しもよどむこと無く、壱子が言う。

「たしかにそうだね。よし、先を急ごうか」

そう言って、平間は足を速める。

が、壱子は付いてくる素振りを見せない。

何事かと思い振り向くと、壱子は浮かない顔をして俯いていた。

「……どうかした?」

「その……數日前に私が森で言ったこと、覚えておるか?」

漠然とした問いかけだったが、平間には壱子の言いたいことがすぐに分かった。

「それって、『壱子が分を捨てたら』って話?」

「そうじゃ。そのことなのじゃが……忘れてくれ。疲れが溜まっていたのかな、私らしくも無いことを言ってしまった。お主も戸ったじゃろう? いら、お主のことじゃ、そんなことも無いのかな」

冗談めかして笑う壱子だが、その言葉にはいつものような覇気がない。

あの時と同じだ、と平間は思った。

今度は間違えるわけには行かない。

幸い、正しい選択肢なら見えている。

「いや、すごく戸った。それどころか、ここ數日はそのことばっかり考えてたよ」

「それは、まことか? だとしたら、申し訳ないことをした。すまぬ」

壱子は詫びつつも、その表は心なしか明るくなった気がする。

ホッとで下ろした平間は、この機を逃すまいとしてさらに言った。

「いやいや、僕の答え方が悪かったんだ。壱子が謝ることじゃない。それに――」

「それに?」

平間はこれを言うべきか、迷った。

いや、言うべきなのだろうが、平間自の中にいる何かが邪魔をしているのだ。

それは名づけるなら、謙遜だとか、遠慮とか、その手の名前がつけられる後ろ暗いだ。

まっすぐに平間の目を見て次の言葉を待っている壱子を見ていると、そのがむくむくと膨らんでいく。

やはり目の前に立っているこのは、平間個人が応えるには、あまりに大きく、しかった。

平間の「言わねば」と言う思いは、巨大化したそのによって、折れた。

「いや、なんでもない」

「……そうか。では行こうか」

そう言って歩き出す壱子の後姿は、その小柄な背丈以上に小さく見えた。

また間違えた。

そんな罪悪で、平間は窒息しそうになる。

(でも、どうしようもないじゃないか)

壱子の「私が分を捨てたら、お主は私に応えてくれるのか」と言う問いかけは、つまりそういう意味なのだろう。

しかし、それは平間が答えるには余りに重い問いかけだ。

(いや、壱子にとってもそうだったのか……?)

そう思うと、平間を襲う息苦しさはいっそう強くなっていった。

――

その日の夕方。

平間と壱子は無事に買出しを終えて、勝未村にある宿舎に戻った。

隕鉄はまだ戻っていないようで、平間はこの後に食事の支度をしようか、それともやり無くなってきた薪まきを割ろうか、なんていうことをぼんやりと考えていた。

「平間、沙和の様子を見てくる!」

「分かった、寢ているかもしれないから靜かにね」

「む、子供でもあるまいし、それくらいは弁わきまえておるぞ」

「はいはい、じゃあ行ってきて」

「うむ! 存分に看病してやるぞ」

壱子は元気よく返事をすると、すばやく草履をいで揃え、沙和のいる奧の部屋に向かった。

急いでいる時も、ちゃんと履きはそろえるのか、と平間は壱子の育ちのよさに心する。

ふとその時、平間を得の知れない違和が襲った。

その正を探ろうとするが、それはすぐに立ち消えてしまう。

「……まあいいか、買ってきたものを整理しよう」

そう呟いて、平間は買ってきた食糧や紙などを臺所や広間に運びれていく。

それがほとんど終わり、平間が一息つこうとしたその時、壱子があわただしく臺所に下りてきた。

「平間、大変じゃ!」

「どうかしたの?」

「そ、それが……」

口をかしているうちに、壱子の目には涙がみるみる溜まっていく。

これは、ただことではない。

唐突に湧いて出た平間の直は、間もなく的中した。

「沙和が、沙和が……どこにもいないのじゃ!!」

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