《わがまま娘はやんごとない!~年下の天才と謎を解いてたら、いつの間にか囲われてたんですけど~》終幕之話「わがまま娘の手を取りましょう」上

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【皇紀五五年六月十四日、夕暮れ】

壱子と別れて自宅に戻った平間を待っていたのは、玄関にぽつんと置かれた一枚の手紙だった。

そこには簡潔に、平間が所屬していた払魔討鬼係ふつまとうき係は解散とし、新たな出仕しゅっし先は別に用意する、との旨だった。

見覚えのあるしい筆ては、恐らく梅乃のものだろう。

翌日、平間は手紙に書かれていた部署に向かうと、気のいい中年の男が出迎えた。

男は変わった時期の移を訝しんでいたが、平間の真面目さが奏功したのか、間もなく新しい職場に溶け込むことが出來た。

は人間関係に苦労することはあっても、當たり障りのない平凡な日々を送って、三ヶ月。

ある日の夕暮れ、平間が仕事を終えて自宅に戻ると、家の中から何やら人間の気配がする。

さすがに構えて、恐る恐る平間が中をのぞくと、目に映ったのは人並み外れた巨だった。

他人の家なのに勝手にくつろいでいた彼は、平間が呆れて吐いた溜息に気付いて勢いよく起き上がり、濃い髭の間からのぞかせた口角を上げてみせる。

「よう、久しいな」

「何をしに來たんですか、

隕鉄さん」

「ずいぶんと素っ気ないではないか。せっかく我が會いに來てやったというのに」

「そんなつもりは無かったんですけど……素っ気なかったですか?」

「ああ、素っ気なかった。何か足りなさそうな、あるいは期待外れだったかのように見える」

意味ありげに目を細める隕鉄の言葉を無視して、平間は靴をぎ捨てて部屋に上がった。

平間とて、隕鉄の言葉がまったくの的外れだとは思っていない。

むしろ図星を突かれて、どう返事をするべきか口ごもってしまったのだ。

「……別に、壱子のことはどうも思っていないですよ。僕は僕で、不自由なくやっていますし」

「む、まだ我はお嬢の話などしていないぞ」

「……」

無言で荷を置いて胡坐をかいた平間は、憮然として隕鉄から目を背ける。

機嫌の悪さを隠さない平間に、隕鉄は苦笑いしながら切り出した。

「実はな、梅野殿が今夜、皇都の北西にある寺院で一夜を過ごされる」

「それが何か?」

「年に一度のな訪問ゆえ、警備が薄い。忍び込めるぞ」

「言いたいことが分からないんすが……」

「鈍いな、壱子おじょうの近況を聞きたくないか?」

平間はハッとして、心得顔で目を細める隕鉄の方を見る。

しかしすぐに目を伏せて、力なく首を振った。

「壱子が僕に用があれば、向こうから連絡を寄越すでしょう」

「その推測はおおむね間違いではない。だが、もしかしたら『連絡を寄越すことが出來ない』ということは考えられぬか」

「……? 壱子は囚とらわれているんですか?」

「それを梅野殿に聞きに行くのだ。どうだ、その気はないか」

「……気にりませんね」

「何がだ?」

隕鉄は、長いが生え揃った眉をひそめる。

しかしその表や口ぶりとは裏腹に、隕鉄の眼にはどこか楽しげなが宿っていた。

平間はどこか壱子に似たようなものをじながら、それを振り払うのように、努めて平坦な聲で言う。

「その口ぶりだと、隕鉄さんは壱子の狀況を知っているんですよね? にも関わらず、『梅野さんのもとへ忍び込ませる』という危険を僕に犯させようとしている。一見協力的だと見せかけて、隠し事をしているその姿勢が気にらないんです」

「なるほど、鈍いように見えて存外に鋭いな。お嬢の影響か?」

「かも知れませんね」

「これは參ったな、やはり噓をつくのは苦手らしい」

隕鉄は手を叩いて笑うと、照れくさそうに剃り上げた頭を掻く。

それからしばらく考え込んで、今度は真剣な顔で口を開いた。

「確かに我は事を知っている。だがそれは一部だけで、詳細は梅野殿に聞かないと分からぬ」

「だったら、分かっていることだけでも教えてください!」

「……うぅむ。そうだな、それが道理であるな……察しているだろうが、実はお嬢は今、屋敷に狀態にある」

「そんな! どうして!?」

「原因はお嬢の父、佐田さだの玄風くろかぜ。彼はこの國で最も力のある貴族の氏長うじおさだ」

そう言って隕鉄はたたずまいを直し、両の拳こぶしをついて深々と頭を下げる。

「頼む、共にお嬢を救い出してほしい」

――

【同日、夜。皇都のはずれの寺院】

初夏の夜の爽涼さが降りる白砂の庭。

それを囲うように立つ瀟灑な建に紛れて、土壁づくりの無骨な堂があった。

堂には窓が無く、のっぺりとしていて、知らぬ人が見れば「堂というよりも蔵のようだ」と思うだろう。

堂の重厚な戸をくぐった先に、黃金で箔押しされた神像と、その前にたたずむ一人の影があった。

梅乃だ。

はもともと信心深い質たちではなく、年に一度だけ一晩中堂に籠って祈るというこの風習にもあまり意味を見出していなかった。

が、それでも一族の命運が左右される大切な行事だと言われると、なんとなく背筋がびてしまうくらいには真面目な格だった。

そういうわけで、緻な刺繍がった座布団に座り、堂の奧に安置された像に向かって、梅乃は黙々と手を合わせていた。

その時、戸が開く重々しい音が靜粛を破った。

警備の兵は遠くにいるはず。

知らせだろうか?

だとしたら、何か事件でも……。

ほの暗い想像をしながら梅乃が振り向くと、そこには彼が予想だにしない顔があった。

梅乃は一瞬目を見開いたが、すぐに微笑を作る。

「……あら、お久しぶりね」

聲をかけられて、平間は無言でお辭儀をする。

梅乃は目の覚めるようなしい所作で立ち上がると、平間を堂の中へ招きれた。

堂で唯一の明かりである蝋燭ろうそくのかすかな燈りが、梅乃と平間の顔をぼんやりと照らした。

たたずまいを直した梅乃が、らかい笑みをたたえて口を開く。

「それで、今日は何の用かしら?」

「警戒したりは、しないんですね」

「もちろん警戒するわ。するべき相手に対しては、だけど。そして平間君、貴方はそうじゃない。さ、こんな寂しい場所にわざわざ來た理由を教えて頂戴な」

「その、壱子……、様のことを訊きに來ました」

平間がそういうや否や、梅乃は大げさに形のよい眉を寄せる。

「駄目よ平間君。そんな呼び方をしたら、あの子は『よそよそしい』って怒るわ」

「なら、壱子は今どこにいるんですか」

「お屋敷にいるわ。以前と変わらず。そうだ、言い忘れたことがあったわね」

そう言って、梅乃は悲しげに笑って頭を下げる。

「あの子のわがままに付き合ってくれて、本當にありがとう」

平間は梅乃の言うことがイマイチ理解しきれず、返答を迷った。

頭を下げた梅乃は、平間が何も言わないのを見て、小さく息を吐いて尋ねる。

「ところで、ここに來たのは誰の手引きかしら。一応、お忍びの參詣なのだけれど」

「……隕鉄さんです。梅野さんなら力になってくれると」

「なるほどね」

平間は隕鉄の名を出すのを一瞬だけ躊躇ったが、それが問題になるのなら上手く行くはずはない。

訳知り顔で頷いた梅乃は、品定めするように平間をじっと見る。

そうしてし考え込んでから、ゆっくりと口を開いた。

「平間君、壱子ちゃんのことはどこまで知っているの?」

「どこまで……? そういえば前に『醫事方の記録が……』と言っていたと思いますが、詳しいことは何も」

「では、どういう経緯であなたと壱子ちゃんが勝未に向かうことになったのか、その本當の理由は聞いていないと?」

「ええ」

平間はうなずきつつ、眉をひそめる。

壱子の行の裏に何か重大な理由があるのではと疑ったのだが、梅乃は吹き出すように微笑んで首を振る。

「心配しないで、勝未村へ行くこと自にそんなに深い原因があったわけじゃないの。壱子ちゃんだって、ほんの見遊山くらいのつもりだったみたい。ただ……」

「ただ?」

「その、壱子ちゃんも自分で言っていたと思うけど、あの子の思考力と記憶力は、ずば抜けている。実際、壱子ちゃんは一度読んだ本の容を忘れなかったし、その上、得た知識を組み合わせて新しい発想を作り出すことができた。私だって出來が良い方だったけど、あの子に比べたら全然ね」

そう言って、梅乃は肩をすくめて見せる。

そこには謙遜や自は無い。

本當に、単なる事実を言っているのだ。

「でも、壱子ちゃんが文字を読み始めるようになってすぐに、お父様があの子の才能に目を付けたの」

「『お父様』というのは……」

「私と壱子ちゃんの父親よ。私たちの母親は違う人だけど、それは大した問題ではないわ」

梅乃は、本當につまらないことのように素っ気なく言って、続ける。

「私たちの父・佐田玄風さだのくろかぜは、典型的な貴族なの。一族の利権と格式を守り、育てていくのが大好きでね。私が行き遅れたのだって、縁談を直前のところで何度も壊してしまうお父様が原因でもあるのよ」

「……それは、ご苦労様です」

「でもそのおで、壱子ちゃんと長く一緒にいられると考えれば悪くないわ。いや……、そうでもないか」

「すみません、壱子の話を……?」

「ああ、ごめんなさい! 私ったら、この話になるとどうしても落ち著いていられなくて」

梅乃は、蝋燭の薄明かりの中でも分かるくらいに頬を赤面させる。

その仕草には可らしさとしさが絶妙に同居していて、見ていた平間に言わせてみれば、梅乃の心配は全く無用のものであると思える。

平間の考えを知ってか知らずか、梅乃は自分の両頬を軽くたたいて、平靜を取り戻した。

「お父様の話だったわね。これは私の主観なのだけれど、覚えが良くてどんな書も一瞬で頭にれてしまい、しかもその知識を包括的に利用することができた壱子ちゃんは、お父様にとってはこの上ない利用価値のある存在だったの」

「どういうことですか?」

「んー、これは理屈で説明するより、実際にお父様が何をしたかを話すのが分かりやすいと思うわ。お父様はまず、この國の醫學に関する學知識が集約された『醫事方いじかた』に働きかけて、その知識の大部分を引き出させた。知識は蔵書って形になっていたけれど、暗號で書いてあって私にはサッパリだった」

「……でも、醫事方って皇國の機関ですよね? そんなこと可能なんですか?」

「可能だったみたい。ま、そのし前に屋敷の蔵がかなり広くなっていたから、よほど々なところに回ししたのでしょうね。ただでさえ、醫事方を牛耳っている貴族とは仲が悪いし」

呆れたように笑って、梅乃は眉を片方だけ上げてみせる。

「それで、お父様は壱子ちゃんに醫事方の蔵書を片っ端から覚えこませたの。それこそ、朝から晩までね」

「僕の覚では、それってかなり酷なことなんじゃ……。だって壱子の格を考えれば、誰かと遊んだり、どこかに行ってみたり、子供らしいことをしてみたいと思うはずです」

「そうね。でも、あの子のお母様は早くに亡くなっていたし、貴族って閉鎖的だから、対等な友達もいない。誰かに狙われるかもしれないから、気軽に外出もできなかった」

切なげに目を伏せる梅乃の言葉に、平間はハッとした。

はじめは警戒しながらも徐々に打ち解けていった沙和に、どうして壱子があんなに楽しげに接していたのか。

その沙和に死をもたらした皿江に対して、どうして壱子が嵐のような怒りと悲しみをぶつけていたのか。

おそらく、壱子にとって沙和は単なる友人ではなく、心を開くことのできる初めての対等な相手だったのではないか。

平間は不意に、の奧が熱くなるのをじた。

そこでは様々なり混じっていて、それが怒りなのか、同なのか、あるいは憐憫なのか、平間には判然としない。

突然のに戸う平間に、梅乃はほぐれるような笑顔を向ける。

「ふふ、平間君は本當にあの子と仲良くなってくれたのね」

「……どういう意味ですか?」

「あの子のことをよく理解していて、自分のことのように想ってくれているわ。でもね、壱子ちゃんも、ただ唯々諾々とお父様に従っていたわけではないのよ。あの子はお父様の言いつけを守る代わりに、一つだけ條件を出したの」

「その、條件って?」

「それはね――」

平間は思わずをこわばらせ、梅乃の言葉を待った。

「醫事方の知識を全て記憶したら、ひと月だけ自由に外の世界を見てみたい。それが壱子ちゃんの示した條件だった」

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