《不用なし方》第33話
「どうかした?」
優希の様子がおかしいことに気付いた大沼が尋ねる。
「……なにかを思い出しそうになって倒れたって知ったら、亜の母親はアイツの自由を奪うかもしれない」
素直に一番の不安を口にする優希の様子には表を和らげた。兄が本心を語り、相談できる相手がいるということが分かってホッとしたからだ。
「彼はあんたよりも自分の母親のことを知ってるんだから心配要らないわよ。それよりも、顔見るの久しぶりでしょ? し傍に付いとけば?」
大沼が右手の親指で背後の閉じられたカーテンを差す。
「……いいのか?」
「バレなきゃ大丈夫でしょ」
誰にとは言わないし訊かない。
大沼に背を押され、優希はそっとカーテンを捲った。顔の悪い亜が苦しそうに眉間に皺を刻みながら眠っている。
傍にある丸椅子に腰を下ろして優しく彼の眉間をでると、彼の表が心なしか穏やかになった気がした。
亜の手を掬い上げて自分の手で包み込むと、意識のない彼の手を病室で握っていたことを思い出す。
祈るように両手で彼の手を握りしめてただ願っていた時間は生きた心地がしなかった。
自分のいい加減な言が招いた結果で、責任は間違いなく自分にある。亜には一ヨクトの落ち度もない。本來ならば自分が撥ねられるべきだったのだ。
後悔しても時間は戻らない。ならば、自分はできる限りの協力をしようと思った。
彼の母親の希が"見舞いにこないでほしい、會わないでほしい、接しないでほしい"というものであったとしても。
簡単なことだと思っていた。自分が遠くから見守ることは止められなかったのだから耐えられる、と。
しかし……一週間が過ぎ、一ヶ月が過ぎ……自分の考えが甘かったと痛することになる。
今までの距離が近すぎたせいかもしれない。彼は優希の生活の一部だった。
マンションにはいつも彼がいた。食事を作るだけでなく、選択や掃除までしてくれていた。どの部屋にいても彼の痕跡をじ取ることができてしまう。
さらに、深い関係になってから、こんなに彼のにれない日はなかった。
れたい……抱きしめたい……。そんな気持ちが溢れ出してくる。ではないと共に。
自分でも酷いことをしたと思う。あんな忌まわしい記憶など思い出さなくていい。
 でも……あわよくば新たに今の"松澤 優希"を知ってほしいと願ってしまう自分がいる。救いようがない馬鹿だ。
人間というのは張りな生きだと思う。願いがひとつ葉うとそれ以上をみたくなる。
亜の母親の希を聞いてやりたいと思ってはいるけれど……すべてを葉えるのは難しそうだ。
自分の中に押し込めようとしてもできない想いを優希は自分でも持て余していた。
「……亜」
蚊の鳴くような聲で彼を呼ぶ。
聞こえてほしい。けれど、聞かれたくない。そんな相反する気持ちを抱えながら、優希は彼の髪を梳き、頬をでた。
「あ、あの車……おばさんだ」
の聲が聞こえて優希の手が震えた。
を隠した方がいいと分かっているのになかなか傍を離れられない。
「兄ちゃん、おばさんが……」
「今いく」
名殘惜しく思いながらゆっくりと腰を上げる。その拍子にポケットに突っ込んでいた攜帯電話が床にり落ちた。
ハッとして亜の顔を見たけれど、彼の目は開いていない。をで下ろしながら攜帯電話を拾い上げる。
ふと、ぶら下がっているストラップに眼をやると、それを外して彼の手に握らせた。
「……むかし、お前がくれたやつ」
小さく呟いて、そっと彼の額にを落とす。
「また、な」
カーテンを捲ると、隣の休憩室に繋がる扉の前でが待機していた。
「岡部」
「任せろ、適當に口裏合わせとく」
優希がに腕を引っ張られて隣の部屋に姿を消すと、一分と経たないうちに慌ただしい足音が聞こえてきた。
「すみません、栗林ですっ、亜は……?!」
ノックもなく大きな音を立てて扉を開けた亜の母親は肩で息をしながら室を見渡した。
「栗林さんのお母さまですか? 私、大學で非常勤醫師をしている大沼と申します」
大沼は穏やかな笑みを浮かべながら亜の母親に自己紹介をした。優希のお見舞いに通っていた亜とは面識があったけれど、幸いにも彼の母親とは初対面だ。
「は……母です。あの、亜は……」
「眠っています。睡眠不足もあったのでしょうね」
大沼は閉じられたカーテンに近付くと、靜かに開けて彼の母親を招く。運ばれてきたときに目の下の隈には気付いていたので、彼が普段あまり眠れていないというのは間違いない。
「あの、倒れたって……」
「……ん」
どう答えようかと考えている大沼の耳に小さな聲が聞こえた。
「栗林さん?」
大沼がベッド脇から聲を掛ける。それに反応するように彼の瞼がゆっくりと持ち上がった。
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