《白雪姫の継母に転生してしまいましたが、これって悪役令嬢ものですか?》第6話 涸れ井戸
あれからどれくらいの時間が経ったんだろう。いつの間にか、辺りは真っ暗になっていた。
上を向くと、丸く切り取られた夜空が見える。
ここは涸れ井戸の中みたいだ。の側面は石壁になっていて、上のり口まではとても遠い。下からではよくわからないけれど、たぶん人の背丈の二倍はありそうだ。
男の子は私のひざを枕にし、すやすやと穏やかな寢息を立てていた。
私はきっと、頭を打って気を失っていたんだろう。私のが男の子のクッションになったならよかったけれど……。
でも、ここからどうやって出ればいいんだろう。
「誰かいませんかー!?」
のり口に向かってんでみた。
だめだ、自分の聲がこだまするだけで、周囲の森はひっそりと靜まりかえっている。
自力で壁を上るのは?
男の子の頭をそっと下へ下ろし、立ち上がって壁に爪を立ててみる。
しばらく試してみたけれど、石造りの壁に指が引っかかる深さの隙間はなく、結局爪を痛めただけだった。
魔法の小枝は地下牢に落としてきてしまったらしい。
そうだ、魔法――。
南京錠を魔法で解錠するところを、兵士に見られてしまった。
せっかくミラーが魔法の存在を隠そうとしてくれていたのに。私のせいで全部、水の泡だ。
なんてことをしてしまったんだろう。
ここで寢ている男の子だって、私が余計なことをしなければ、今頃家に帰れていたかもしれないのに……。
自分の淺はかさと無力さに打ちひしがれる。
星空を見上げ、こみ上げそうになるものをこらえた。
そういえば白雪姫の悪い魔は、最後どうなるんだっけ?
崖から落ちて死んでしまうんだっけ。今の狀況はそれに近い気がする……。
真っ赤に焼けた鉄の靴を履かされて、踴りながら死ぬっていうパターンの話もあったっけ。そこまでの狂気は想像できないけれど……。
なんにしろ、みじめに死ぬのには変わりない。それが私の運命?
男の子がもぞもぞと寢返りを打ち、細くかすれた聲でつぶやいた。
「……ママぁ……」
私の運命に巻き込まれ、この子まで死なせてしまったらどうしよう。
そう思ったらもうダメだった。こらえていた涙があふれてしまう。
「ごめん……ごめんね……」
男の子の小さく冷えた手を、私はそっと握った。
その時、涸れ井戸の外で何かが刻むリズムを聞いた気がした。
私ははっと耳をそばだてる。
あれは木々を揺らす風の音じゃない、聞いたことのある音だ。の鼓のように打つ振、あれは――。
「――あっ」
馬のひづめの音だ。
誰かの馬が近づいてくる。
それからすぐ近くで馬のいななきが響いて……。
「助けてください!! 誰かそこにいるんですか!?」
ぶとすぐさま返事があった。
「レディ・ソシエ! どこなんだ!?」
「ここです! 涸れ井戸の中に!」
が躍った。
聲の主は顔を見なくてもわかる。フリオ王だ!
  のり口から彼の顔がのぞいた。
月を背にしているその顔は、まるで後が差して見える。
「おお……、こんなところにいたのか!」
王が口元をほころばす。なんともいえない笑顔だった。
ずいぶん長い時間、探してくれていたんだろう。顔の側面を濡らす汗が、月明かりでキラキラと輝いていた。
「すぐ縄を取ってくる!」
王の顔がり口から消え、しして涸れ井戸の中に縄が投げ込まれる。
「ねえ起きて、出られるよ!」
私は男の子を起こし、寢ぼけ眼の彼と一緒に縄につかまった。
子どもを支えて上手く上れるだろうか。
ところが私たちが上っていくより先に、フリオ王が縄を伝って下りてくる。
そして私をそのに抱きしめた。
「無事か? レディ! それにその子は!」
「は、はい……えーと……」
抱きしめる力が強くて驚いてしまう。
同時に彼の溫と、速いの鼓が伝わってきた。王は本當に私たちのことを心配してくれていたらしい。
私はが熱くなるのをじながら、彼の汗の香りに包まれた。
悔しいけれど、フリオ王は私のヒーローだ。
この人には、私にできないことをする大きな力がある。
*
山頂の城へ戻ると、そこには男の子の家族や村の人たちが集まっていた。
早朝に出かけて行っていたミラーも戻っている。
夜の大広間。即席の謁見室で、王が謁見用の大きな椅子に腰かけた。
男の子は母親とともに、王の前へ連れていかれた。
重苦しい空気の中、フリオ王が咳払いをして口を開く。
「君はサイモンというらしいな?」
「……はい……」
男の子は母親の顔を見てから返事をした。
「王家の旗へ石を投げたとか」
その旗は今、王の隣に掲げられている。
男の子が答えないからか、晝間彼を捕まえた兵士たちが前へ出た。
「陛下、それに関しては我々が証人です」
「うむ、それで反逆の意図アリか?」
王は兵士たちを軽く手で制すと、眼鋭く男の子を見つめる。
広間の空気が張り詰める。
男の子が「違う」と言えばいいけれど……。彼はしっかりと顔を上げ、王の強い視線に耐えているみたいだ。
私が何か言うべき? でも口を挾める空気じゃない。私はみんなの後ろで気をんだ。
と、フリオ王が口元を緩める。
「反逆の意思があるなら、もっと強くならなければ私には勝てないぞ? 食べて、を鍛えて剣の腕を磨かねば」
王が側近のひとりに目を向ける。
すると彼はパンと干しの山を抱え、男の子の前に立った。
「それが罰だ。重いが家族と持って帰るといい」
男の子が反応に困ったように周りを見回す。
「王様、あっ、ありがとうございます……。寛大なお裁き、誠に痛みります……」
そう言ったのは男の子の母親だった。彼は泣いているみたいだ。
それから広間は安堵のため息に包まれた。
王が椅子から立ち上がる。
「もう夜も遅い。皆、早く帰って休むように」
自分がいると皆が解散できないと思ったのか、王はさっさと奧へ引っ込んでいく。
「あっ……」
彼にお禮を言わなければ。
私は王を追いかけた。
「お待ちください」
広間の裏の廊下で、フリオ王の大きな背中に追いつく。
彼が振り向き、私は勢い余ってそのに飛び込んだ。
ぽすっと乾いた音がして、私のは溫かなに包み込まれる。
涸れ井戸の中で抱きしめられた時と同じ匂いがした。
「どうした? レディ」
「すみません、あの……。あの男の子、サイモンを許してくださってありがとうございました……」
王は抱きしめる腕を解かない。
戸いながら見上げると、彼は笑っていた。
「助けたのは君だろう? 私は君の考えに従ったまでだ」
「それは……でも……」
確かに私はあの子を助けようとしたけれど、実際、助けられなかった。
涸れ井戸から助け出し、罪を許したのは王自だ。
「兵たちは融通が利かなかったが、君は聡明なだ。子ども相手に杓子定規な対応をして、王家と民との間にができるのを避けたかったんだろう」
言い當てられたことに驚きながら、私はコクリとうなずいた。
「それにここの者たちは、もともと君の領民だ。ならば君の意思を尊重すべきだ」
その発言からして、王が私に領地を返そうというのは本気らしい。
私は戸いながら問いかける。
「しかし私は……。どうやってそのご恩に報いれば……?」
「何、簡単なことだ」
王の手がようやく背中から離れたかと思うと、その手は私の頬を包み込んだ。
彼の顔が近づいてきて、私は思わずまぶたを伏せる。
かすかに笑うような吐息の音。
それから同士がしっとりとれ合った。
に甘酸っぱさと戸いが広がる。
私はこの王にされているんだろうか。
でもミラーの言っていた通りなら、王は魔法にかけられているだけだ。されているなんて、そんなふうにじてしまうのはおこがましい。
「もう勝手にどこへも行くなよ」
王が耳元で、切なげにささやいた。
それが魔法が作ったものだとしても、ここには確かに彼のあたたかな想いがある。
私はその想いに応えたいと思った。
ところが次の瞬間、後ろから鋭い聲が飛んでくる。
「危険ですから離れてください!」
(え――?)
王の熱が離れ、私のは衝撃に凍り付く。
駆け寄ってくる兵士たちの足音。
「そのは魔です!」
恐る恐る振り向くと、晝間の兵士が私を指さしていた――。
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