《売れ殘り同士、結婚します!》3話 甘い夜
「──しずく」
「……冬馬」
「待たせたか?悪いな、遅くなった」
「ううん。私もさっき來たところ」
金曜日の夜。
私はそわそわしながら、待ち合わせの駅前で冬馬を出迎えた。
寒い中走ってきたのだろうか、今日も端正なその顔にはしばかりの汗が滲んでいる。
「本當に待ち合わせここで良かったのか?……つってもお前の職場どこか知らないけどさ。わざわざ俺に合わせてくれなくていいのに」
私の職場を知らない冬馬は、汗を拭きながら困ったように前髪を後ろに流した。
「それがね?私の職場、冬馬の職場のすぐ近くだったの」
「え?」
「にじいろ保育園って聞いたことない?」
「にじいろ保育園……?いや、名前まではさすがに」
「そっか、でもすぐそこなんだよ」
住所を告げながらスマートフォンの地図アプリで場所を示すと、
「うわ、マジですぐそこじゃん。え、たまに事務所の前で子どもの聲するなって思ってたけど、あれってもしかしてしずくのところの園児?」
「うん、多分そうだと思う。お散歩中の子どもたちの聲かな」
「マジか、全然知らなかった……」
と驚きをあらわにする。
「私も。冬馬の名刺に書いてある住所見てびっくりしたの。すごい偶然だよね」
「だな。本當すげぇ」
もっと気まずくなるかと思っていたけれど、意外と會話は弾んでいて今まで通りの私たちだった。
「店予約してるんだ。そろそろ行こう」
「わかった」
頷くと、冬馬は駅の改札は通らずに表でタクシーを拾う。
「ほら、行くぞ」
「う、うん」
促されるままにタクシーに乗り込むと、冬馬が隣に座った。
運転手の男に告げた行き先は、私でも知っている有名なフレンチレストラン。
それに驚きつつも、冬馬は平然としているから何も言わずに視線を正面に戻す。
さすがに仕事著では來られないと思って著替えを持って出勤したのは正解だったようだ。
園を出る直前に落ち著いたネイビーのロングスカートに著替えてきて良かった。さすがに安のデニムとパーカーではフレンチレストランには行けまい。
これにヒールを履いてくれば良かったと若干の後悔が募る。
街中に進むにつれて、窓の向こうの景は明るく賑やかに変わっていく。
どのお店を見ても、今時期はハロウィーン一で辺りがオレンジと白と黒でいっぱいだ。
保育園でも今月末に子どもたちとハロウィーンの仮裝をするため、それの參考になりそうなものはないかと見回してしまう。
完全な職業病だな……なんて思って、窓に映る自分の表を見つめて呆れた。
「どうした?」
「ううん。ああいうハロウィーンの見てると、どうしても仕事のこと考えちゃって」
「あぁ……保育園はそういうイベントごと大切にするだろうしな」
「うん。特にうちの園は行事多いし、そういうイベントはきっちり全部楽しむタイプだから」
「準備したり働く方はたまったもんじゃないな」
「まぁね。でも子どもたちが楽しみにしてるから、私たちも頑張るしかないよ」
それに、どれだけ忙しくて準備が大変でも、當日子どもたちの笑顔を見れば疲れなんてどこかに飛んでいく。
待遇だとか離職率だとか、保育士不足だとか。巷でいろいろ言われることもあるし私も思うところはあるけれど、それでも毎日が充実している。
周りに恵まれているのもあるけれど、私は保育士を辭めたいと思ったことは一度も無い。
「……しずくはやっぱり保育士が天職だよな」
「ふふっ、私もそう思うよ」
保育士以上にやりたいと思う仕事も無いし、そもそもこれ以外、私にできる気がしない。
冬馬の言う通り、私にとっては保育士が天職だ。
レストラン前でタクシーから降りようとすると、冷たい風がスカートをひらりと揺らした。
「ほら」
「ありがと」
すっと差しべてくれた手を借りて立ち上がると、そのまま離されるかと思いきや、繋がれたまま歩き出す。
「……冬馬?」
「ん?どうした?」
「……ううん、なんでもない」
當たり前のように繋がれた手は、とても溫かくてらかい。
それに自然と鼓を早めながらも、冬馬についていくようにお店の扉をくぐった。
案されたのは、夜景がとてもきれいに見える個室。
「すごい……綺麗。でもよく予約取れたね。このお店、今すっごく人気で予約取れないって聞いたよ」
「どうにかな。しずくはこういうところ好きだろうと思って。……周りに人がいたら話せることも話せなくなるだろ。しずくとゆっくり話したいと思ってたから。しずくも俺に聞きたいことあるだろ?」
「……うん」
予約時にコース料理を注文してくれていたらしく、飲みだけ注文するとすぐに前菜が運ばれてきた。
次々と出てくる料理のおいしさに、一口食べるごとに顔が綻ぶ。
「ここ、味いだろ?」
「うん!すっごいおいしい。連れてきてくれてありがとう」
見た目もしいから目で見ても楽しくて、食べながらずっとにやけていた気がする。
食べ終わると、お互い本題にるためか口數が極端に減った。
「……この間の話だけど」
きた、と思った時、ワイングラスをそっとテーブルの上に置いた。
「うん」
膝を手を置いて平然を裝っているけれど、心ではものすごく心臓がバクバクしていた。
「俺はお前をからかったつもりもないし、酔った勢いであんなこと言ったわけじゃないから」
「……」
一人で悶々と考えていたことを先に否定されてしまって、ごくりと唾を飲み込む。
「俺は本気だよ」
「……」
「この間のバーでも、今も。俺は本気で、しずくと結婚したいと思ってプロポーズしてる」
「冬馬……」
この間も、今日も。
その瞳を見れば、冬馬が言っているのが冗談じゃなくて本気だというのは嫌でも伝わる。
力強くて、意志がこもっていて。
噓なんかじゃない。本気で、プロポーズしてくれている。
でも、だからこそ。
「……私」
私は不安でたまらないんだ。
「うん」
「あの約束をした時、まさかこうやって三十歳の歳に再會するなんて思わなかった」
「……うん」
「だから、まだ頭の整理がついてなくて……。あんな約束、ただの口約束だって思ってたの。まさか再會するわけない。あんなの冬馬はすぐ忘れちゃうんだろうなって。そう思ってた」
「うん。普通はそうだよな。俺もまさか再會すると思ってなかったから」
「そ、それに……」
「ん?」
「……夫婦になるってことは……さ」
「うん」
「ただ一緒に住むだけじゃないよね?」
「どういう意味?」
眉を顰める冬馬に、私はみなまで言わなければダメか、と恥に耐えて言葉を紡ぐ。
「私、結婚するなら、ちゃんとされたい。大事にしたいし大事にされたい。必要とされたい」
「あぁ。そうだな」
「ただ一緒に暮らすだけじゃなくて、相談したり甘えたりもしたい」
「うん」
「……それに、子どももほしい」
「俺も。同意見」
「授かりものだからわからないけど、できれば二人か三人はほしいと思ってる」
「あぁ」
「……意味わかってる?」
「ん?」
きょとんとした冬馬には、やはり濁さずにハッキリ伝えなければダメらしい。
「冬馬は……今さら私に……その、……できるの?」
「……は?」
何言ってんだこいつ、とでも言いたげな表に、私は顔を真っ赤に染め上げる。
だって、結婚するってそういうことでしょ……!?
子どもを産むってそういうことでしょ……!?
ただ一緒に住んで、一緒にご飯食べて、とかじゃないでしょ!?
結婚したら勝手に子どもがお腹にやってくるわけじゃないんだから。
家政婦みたいにはなりたくないし、ただ子どもを産んで育てるだけの人間にもなりたくない。
しされたいし、助け合って苦楽を共にしたいし、一緒に子どもの長を見守りたいし、幸せを分かち合いたい。
「キスとか……その先とか……今さら、私とできる……?」
というものを數年してこなかった私には、自分のに自信も無いしとてもハードルが高い問題なのだけれど。
真っ赤になりながら俯いていると、正面からクスクスと笑う聲が聞こえた。
「……冬馬?」
「んだよ、そんなこと心配してんの?」
「そっ、そんなことって……私にとっては重要なことなの!」
「悪い悪いっ……お前の口からそんな言葉が出るとはっ……そうだよな、うん。結婚するってなったら、やっぱりそうなるよな」
「……」
じとりと視線を投げかけると、先ほどとは違って今度は包み込むような優しい笑顔を見せた。
「やっぱお前、かわんねぇな」
「……」
「昔っから可かったけど、今もやっぱ可いわ」
「なっ……」
急に何言ってるの……!?
"可い"なんて、冬馬から初めて言われて狼狽える。
高校時代も一度も冬馬からそんなこと言われたことないのに、急に一何をっ……。
「……じゃあさ、今から試してみるか」
「……え?な、にを……?」
表がコロコロ変わる冬馬は、今度はにやりと何かを企んでいるかのように笑った。
「俺がお前にするかどうか。確かに結婚するならの相も大切だしな。しずく、明日仕事は?」
「や、すみだけど……」
「ん。じゃあ行こう」
「え……?え?」
「ほら、行くぞ」
「ちょ、まっ……」
立ち上がった冬馬は、なんだかとても嬉しそうに私の元へ來て同じように立ち上がらせる。
そのまま手を握り、個室を出てお店を出ていく。
「ちょっと……!お會計は?」
「んなのとっくに払い終わってるから気にすんな。ほら、タクシー乗るぞ」
「えぇ……!?」
いつ払ったのだろう。全くわからない。
急展開に頭がパニックになりながらも、來た時と同じようにタクシーに乗り込んだ私たち。
著いた先は、とても綺麗なマンション。
エントランスを潛って、エレベーターに向かう途中にコンシェルジュらしき男に頭を下げた冬馬を見て、ようやくここが冬馬の自宅だと気が付く。
「茅ヶ崎様、おかえりなさいませ」
「どうも」
「こ、こんばんは……」
様付けで呼ばれていることに驚きつつ、無言で素通りするのも気が引けた私はたどたどしく挨拶を返し、穏やかな微笑みを背にエレベーターに乗り込む。
ぐんぐん上昇するエレベーター。それに比例するかのように、私の心臓の鼓もどんどん速くなっているよう。
きゅっと握られた手のひらが熱くて、それは私の張のせいなのか冬馬の溫なのかはわからない。
全が心臓になったかのように、耳元で脈打つ音が永遠に鳴り続いていた。
それを止めるかのように響き渡る、到著を知らせる軽やかな音。
その音のおかげでし冷靜になった私は、手を引かれるままにエレベーターをおりて左側の突き當たりへ向かう。
これ以上著いていったら、もう引き返せない。けれど。
"1002"と記載された部屋の鍵を開けた冬馬は、
「って」
とらかく笑う。
それに頷いて、私は扉をくぐっていった。
広い玄関から一直線に廊下が続いていた。
その左右にはいくつか扉があり、突き當たり正面にも扉がある。
おそらくあれがリビングだろう。
促されるままに「お邪魔します……」と靴をいだ。
予想通り案された突き當たりの扉の向こう、パチンという音と共にダウンライトが明るく全を照らす。
白と薄いグレーで纏められたインテリアは、清潔もじさせつつ開放があった。
部屋の広さも関係していると思うけれど、驚くほどに掃除が行き屆いていてとても綺麗。
あまりを置いていないのもその所以だろう。
「適當に座ってて。あー……コーラとウーロン茶とカフェオレとホットミルクとココアならどれがいい?」
「えっと……ホットミルクで」
「ん。はちみつたっぷりでいいな?」
「うん」
私がはちみつが好きだと覚えてくれていたのだろうか。それだけで嬉しいと同時にむずい気持ちになる。
部屋の中央にあるグレーのふかふかのソファに腰掛けて部屋をキョロキョロと見回しているうちに、目の前のローテーブルにホットミルクが置かれた。
隣にはカフェオレを持った冬馬が座り、二人でマグカップをそっと持つ。
湯気がふわりと揺れて、とても熱そう。
何度か息を吹きかけて冷まし、ゆっくりと一口飲んだ。
「……おいしい」
優しい甘さがに染み渡り、張していたと頭が落ち著いて行くような気がした。
「……落ち著いた?」
全てお見通しだったのだろうか。穏やかな冬馬の顔を見たら、恥ずかしいやら悔しいやら。
でも図星だからホットミルクを飲みつつ目を逸らしながら頷くと、私の肩を抱くようにして引き寄せられた。
コテン、と冬馬の肩に私の頭が乗る。
ホットミルクが溢れないように慌ててバランスをとった。
……せっかく落ち著いたのに、こんなのまた張しちゃうよ。
「……冬馬?」
たまらず名前を呼ぶと、
「ん?どうした?」
とカフェオレを一口飲んだ後に心底嬉しそうな聲が帰ってくる。
そういえば冬馬も見かけによらず甘黨でブラックコーヒーなんて全然飲めなかったなあ、と思う。
昔、高校の自販売機で並んで甘いジュースを買っていたことを思い出した。
今もミルクとお砂糖たっぷりのカフェオレを飲んでいるのかと思うと、どうしようもなく懐かしくて。
冬馬は私に"変わっていない"と言ったけれど、それは冬馬も同じだ。
弁護士なんてすごいお堅いお仕事をしていて、なんだか遠い存在のように思えてしまっていたけれど。
冬馬自は、あの頃のまま何も変わらない。
私の手の中にあるホットミルクみたいに、優しくて、甘くて、たまらなく溫かい。
紛れもなく、私がよく知る茅ヶ崎 冬馬だ。
「……ううん、なんでもない」
この空間が心地良くて、もうしこのままでもいいかな、なんて。
「変なやつだな」
なんだか無に人しくなって、冬馬に甘えてみたくなった。このの高鳴りにを任せてみるのも、悪くないんじゃないかなと思う。
笑っている冬馬の顔をじっと見つめる。
「……しずく」
気が付けば、マグカップが冬馬の手でローテーブルに移されていて。手持ち無沙汰になった私の手が、冬馬のそれで包み込まれた。
「……冬馬?」
ゆっくりと引き寄せられて、冬馬の顔がしずつ近づいてくる。
その真剣な眼差しを見つめていると、心臓がバクバクと音を立てて手が震えてしまう。
「……さっきも言ったけど。俺は、ふざけてあんな約束したわけじゃないし、半端な気持ちでお前にプロポーズしたわけじゃない」
「……え?」
「からかってるわけでも、面白がってるわけでもない。本気で言ってる」
「……うん、わかってる」
さっきも聞いたし、冬馬の表を見ればそれが本気なことくらいわかる。
……だって冬馬は昔から、真面目な話をする時はちゃんと目を見てくれるから。
今もそう。じっと私を見つめてくれる雙眼が、その言葉が噓じゃないって教えてくれている。
「しずく」
「……はい」
「あの約束をした時から。……いや、それよりずっと前から。ずっと昔から、お前が好きだ。俺と結婚してほしい」
の奧底から、言葉にできないが湧き上がってくる。
……私のことが、好き?
ついさっき、冬馬の言葉が噓じゃないってわかってるなんて言ったのに。
そんな、夢みたいな言葉を信じるには、頭が追いつかなくて。
あの頃から?さらに前から?だとしたら、一何年……?
「……と、うま……それって、ほんとう……?」
震える聲に、冬馬が小さく笑った。
「本當。噓だったら、あんな約束しない。噓だったら、再會しても聲掛けねぇ。こんな風にプロポーズなんてしねぇよ」
「っ……」
湧き上がってきたが、涙となって目に滲む。
瞬きをすると一雫こぼれ落ちていき、冬馬がそれを指で掬う。
驚きと、戸いと、嬉しさと。
一言では言い表せられない。
「あの頃は言えなかった。言えるわけないと思ってた。だけど、どうしてもお前を諦められなかった。……あんな約束して縛り付けるようなこと言って、ごめん」
「冬馬……」
そのまま、冬馬は私の頰に手を添えて。
角度を変えて、れるだけのキスをした。
が離れるのが、こんなにも名殘惜しいと思ったのは初めてかもしれない。
「……しずく、嫌だったら今言って。今なら、まだ止められる」
五センチほどの距離で、冬馬の掠れた聲が耳に響く。
おしそうに頰をでる冬馬の右手に、そっと自分の左手を重ね合わせる。
「しずく?……っ」
空いた右手で、冬馬の後頭部を引き寄せた。
今度は私からした、れるだけのキス。
不用で、震えていて。不慣れなのがまるわかりな、不恰好なキス。
下手くそって笑われるかもしれない。高校生かって馬鹿にされるかもしれない。
だけど、それでも冬馬ともっとキスをしたかった。
それを合図にしたかのように、冬馬は一度私の目を見つめる。
獣のように熱さを帯びたその視線が、"もう容赦しない"と言っているように見えて。
無意識にごくりと唾を飲み込んだ。
「んっ……と、まっ……」
先ほどまでの優しくれるだけのものとは違って、まるで食べられるかのような獰猛なキスが私に降り注ぐ。
の隙間から舌がり込み、口を荒々しく犯していく。
次第に頭がぼーっとしてきて、冬馬に縋り付くようにスーツの袖をぎゅっと摑んだ。
熱く混ざり合う呼吸と共に、押し倒される。
「……とーま……」
「ん?」
「……ここじゃ、イヤ。ベッドがいい……」
「っ……あんま煽んな……」
一気に余裕を無くしたように、私のを持ち上げてリビングを出る。
ホットミルクが冷めちゃうとか、もうちょっと飲みたかったな、とか。
寢室であろう部屋に移する途中に考えていたら、
「ホットミルクならまた作ってやるから」
私の頭の中が読めるのか?
そう思いたくなるほどに私のことをわかっている冬馬の首に、そっと両腕を回してを委ねる。
広いクイーンサイズのベッドに優しく置かれて、るように私の上からまたキスをする冬馬。
邪魔だと言わんばかりに緩めたネクタイ。その向こうで二つボタンが空いたワイシャツ。そこから覗く首筋には、うっすらと汗が滲んでいた。
溢れ出る気ささに、頭がくらくらしそうだった。
「しずく」
冬馬のこんなに甘い聲も、こんなに熱的な視線も、私は知らない。
でも知らないからこそ、その甘い聲で冬馬に名前を呼ばれるだけで、が熱くなる。
見つめられるだけで、が疼く。
「しずく」
「……冬馬」
降り注ぐキスを、自ら求めてしまっている私がいた。
その日、私はずっと甘く鳴き続けていて。
意識を飛ばす寸前。
「しずく……────好きだ」
突き抜けるような刺激と共に、そんな狂おしいほどに甘い言葉が聞こえた気がした。
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