《香滴る外資系エリートに甘く溶かされて》2-6. 遠い夏の夜の記憶
それから1ヵ月が過ぎて、ついに加賀谷さんが1人で來店した。以前話していた通り、しばらくは接待が続いて、彼の隣に座ることはあっても話をすることはほとんどなかった。接待だとどうしても仕事モードになってしまうのか、淡々とした表で仕事の話をする加賀谷さんの橫顔を靜かに眺めるばかりだった。そうこうしているうちに私のバイトも終わりに近づいて、もうこのまま何もなくてもいいかなと思い始めていた。
『來週の金曜、1人で來るね』
なのに、彼は前回の接待の帰り際に私の耳元でそう囁いた。高鳴るを抑えながら肯首すると、加賀谷さんはいつものように優しい笑みを浮かべて去っていった。奇しくも彼が1人で來ると言ったその日は私の最終出勤日で、しかも翌日は何の予定もない。
営業時間も半分ほど過ぎ、加賀谷さんが予約している時間が近づいてきた。柳さんに一言斷って、嗜みを整えるために賑やかな店を出て地下の控室に立ち寄る。キャストの私やお店の備品が置かれた雑多な空間は更室を兼ねていて、著替え用に置かれた大きな姿見の中の自分を見つめる。
肩を大膽に出したノースリーブの白いドレスは所々にレースがあしらわれていて、清廉な品の良さを演出しつつも、のラインをしっかりと浮かび上がらせている。普段は人目を引かないように隠すことが多いかなと引き締まったウエスト、程良く丸みを帯びた腰の郭を今夜は敢えて強調してみた。仕上げに高いヒールの靴に腳をり込ませた今日の私のスタイルは自分でも惚れ惚れするくらい見映えが良い。
いつもよりしっかりと施した化粧もちゃんと様になっている。深いブルーのアイシャドウと薔薇のように鮮やかな口紅で彩られた私の顔はこの上なく華やかな印象だ。この2ヶ月でメイクの腕が大幅に上がったことを実してしみじみする。しばかり化粧直しをして、最後に香水を纏った。このバイトを始めるまで香水なんて手に取ったこともなかった。自分の変化に驚く。
瑞々しい果実のような甘い香りに包まれながらお店に戻ると、想いを寄せる人がフロアへと続く扉を開けようとしているところだった。
「加賀谷さん、いらっしゃいませ」
後ろから聲をかけられるとは思っていなかったのであろうその人は、し驚いた顔でこちらを振り向いた。
「リリちゃん、こんばんは」
上品なダークブルーのスーツにを包んだ彼は今夜も輝くような笑みを湛えている。彫刻のように整ったその貌に見つめられると、もてなす側であるはずの私の方が陶然としてしまう。どんなに華やかに著飾ったところで、この人の隣に座るのは張する。まして、今夜はこのまま一緒にお店を出て、2人きりで過ごすのだと思うとどうしようもなくが火照り始めた。
***
「じゃあ、外で待ってるね」
いつものように隣に座って、取り留めもない話をしていたが2人ともどこか上の空だった。そのまま閉店時間を迎えて今に至る。
加賀谷さんが店の外に出た瞬間、一気にの力が抜けた。テーブルを片付けにやってきた柳さんにこのまま加賀谷さんとアフターに行くことを伝えると大変ニヤニヤされた。
「今日は七瀬ママお休みでしたし、改めて挨拶に來ますね。來週のどこかで営業前にお邪魔させてもらいます」
「はいよー、今までお疲れ様!この夏はリリちゃんいてくれてほんと助かったわ。加賀谷様とのアフターも楽しんで」
來週來た時に話聞くのを楽しみにしてるからね!と語尾にハートがついていそうなテンションで見送られた。ぎこちなく笑いながら私も店を出て、地下の控室へ荷を取りに行く。その足でお店がっている建の外へ出ると、加賀谷さんが待っていた。
「お待たせしました」
「リリちゃん、お疲れ様」
それじゃあ行こうか、と當たり前のように手を差しべられた。ゆっくりとその手を取って、彼と手を繋ぐ。営業中にそこそこお酒を飲んで程良く酔いが回っているのですんなり手を取ることができたが、素面だったらとんでもなく張していただろうなと頭の片隅で考える。
「まだお酒は飲める?バーに行こうかと思うんだけど」
「はい、まだ飲みたい気分なので嬉しいです」
「分かった。前に橘から勧めてもらったお店なんだけど、お灑落なカクテルとかもあるから楽しめると思うよ」
2人で夜の街を歩く。都會の燈りが煌めくその景はまるでドラマのようで、街ゆく人は誰もが楽しげな表を浮かべていた。そんな夏の夜の気配に飲み込まれた私は気が大きくなって加賀谷さんの腕にり寄った。
「っと、リリちゃん。意外と酔ってたりする?」
「いえ、まだまだ平気ですよ。ただ、なんだか楽しくなってきちゃって」
それは良かった、と私を見る加賀谷さんの目はどこか張を孕んでいるものの、らかい眼差しだった。こうして手を繋いで2人きりで歩いていることに幸せをじる。
加賀谷さんに連れてきてもらったのは15階建てのビルの最上階にある開放的な雰囲気のお店だった。しい夜景を一できるテラスが設けられたその店は、外國からのお客様が多いようで英語が飛びっている。基本的にはレストランとして営業しているお店だそうで、深夜のバータイムに差し掛かった今はカウンターで飲みをけ取って、自由に席を移して楽しむことができるらしい。
「軽食もあるみたいだし何かし食べようか」
「そうですね、お店だとお酒ばっかりでしたし軽く摘みたいです」
加賀谷さんがカウンターでアペリティフの盛り合わせとサンドイッチを注文してくれた。お酒は何にする?と聞かれて、甘いアイスティーのような味わいのカクテルの名を告げると彼は僅かに目を見開いて私の様子を窺ってきた。
「それって、アルコール強めのカクテルじゃなかったっけ?大丈夫?」
「ええ。味が好きで普段からよく飲んでます」
「……そうなんだ」
「そんな顔しないでください。友達としか飲みに行かないので他意はありませんよ」
「へぇ?」
普段の私を探るように加賀谷さんが相槌を打つ。その怪訝な顔つきが可笑しくて笑ってしまった。
「こうして男の人と2人で飲むのは初めてです」
お店を除けばですけど、と言い添えて私は一足先にカウンターを離れた。日本語がほとんど聞こえない店は、様々な合いの照明が揺らめいていることもあってまるで海外のようだ。テラス席もいいなと思ったが、外國人の集団が派手に盛り上がっているのでし離れた窓際の席に腰を下ろした。しばらくして、加賀谷さんが飲みを持って來てくれた。
「お待たせ」
「持ってきてくださってありがとうございます。加賀谷さんは……赤ワインですか?」
「そう。サンドイッチに牛が使われてるって聞いたから飲みたくなっちゃって。一口飲んでみる?」
首を傾げながらワイングラスを差し出すその仕草がかっこよくて、ついけ取ってしまった。そのまま一口飲むと、軽やかな甘味が口に広がる。
「軽めなんですね。葡萄ジュースみたい」
「そうなんだ。おすすめのやつを選んだからどんな味なのか知らなくて…ん、確かに甘いね」
グラスを持つ私の手ごと自分の方に寄せて加賀谷さんもワインに口をつけた。アルコールのせいなのか、こんなささやかなのれ合いですら妙に心地よくて、離れがたいと思ってしまう。そんなはしたないことを考えているのがバレてしまったのか、加賀谷さんは意味深な笑みを浮かべて私からワイングラスをけ取った。
それから料理が運ばれてきて、真夜中の食事とアルコールを楽しんだ。お酒が進むにつれ、気が緩んできた私はいつもより気軽に加賀谷さんに話しかける。會話が弾み、私の口調が次第に崩れていく。リリとしての仮面がしずつ剝がされ、本來の自分が曝け出されるような。そんな覚がする。
ワインを飲み干した加賀谷さんはカウンターで2杯目をお願いしてくると言って席を立った。リリちゃんの分も何か持ってくるね、と言葉を付け加えた彼も私同様ラフな雰囲気を漂わせていて、その顔に浮かぶ笑みは年のようだ。6歳も年上なはずなのに、彼が自分に近しい存在のようにじられた。
そんなことを考えながらカウンターへ向かう加賀谷さんの後姿を見つめていると、不意に聲を掛けられた。
「ねぇ、お姉さん。良かったら俺らと一緒に飲まない?」
「イケメンのお兄さんと一緒に飲んでるみたいだけど、あの人だいぶ年上でしょ?僕たちの方が歳近いし話盛り上がると思うよ」
「ほら、立って立って」
若い3人組の男は話しかけてくるなり私の腕を摑んで、自分たちのテーブルへ連れて行こうとする。どうやら大學生のようだが、に著けているものを見るに相當羽振りが良さそうだ。どこかのお坊ちゃまたちなんだろうか。いずれにせよ、彼らと飲む気は微塵もないので、私の腕を摑む手を外して丁寧にお斷りする。呆気なく斷られて癇に障ったのか、彼らは好き勝手喋り始めた。
「ちっ、つまんねぇだな。どうせヤリ捨てられんだから俺らと遊んでくれてもいいだろ」
「なー、どう見ても釣り合ってないもんな。あのイケメンと」
「そこそこ金持ってそうだし、あんなやつ遊びいくらでもできんだろ。ほら、今も聲掛けられてるじゃん」
指差された方に顔を向けると、加賀谷さんは外國人の綺麗なお姉さんたちに囲まれていた。カウンターでお酒をけ取りながら、背の高いたちと何か會話している彼の姿はとても様になっていて、がざわつく。
「あんたも綺麗だけどさ、釣り合ってないからね?俺らにしとけって」
私が今まさに考えかけていたことを言い當てられ、ぴくりと肩が強張る。その様子を見た男たちはイケるとでも勘違いしたのだろうか、今度は私の肩を抱いて強引に席から立たせようとしてきた。お店ですら誰かにこうしてにれられることはなかった。突然のことにが凍りついて抵抗できない。
「————君たち、何してるの」
恐ろしく低い聲が響く。加賀谷さんだ。テーブルにグラスを置いて、すぐに男たちから私を引き離す。そのまま彼に抱き締められた。
「この子は俺のだから。早く消えてくれる?」
先程まで年のような笑みを湛えていたその人は、怒りと執著をじさせる聲音で男たちを圧倒する。背後から凄い威圧をじるが、後ろから抱き締められているせいで彼の表は見えない。でも、軽薄な笑みを浮かべて私に絡んでいた男たちの顔が見る見るうちに引きつっていく辺り、相當怖い顔をしているのだろう。彼らはあっという間に去っていった。
ぎゅっと一層強く抱き締められて、耳元で囁かれる。
「本當は、もっと時間を掛けようと思ってたんだけど。もう無理だ」
「……加賀谷さん?」
彼はそう言うと私のを反転させた。一息吐いて、テーブルの上に置かれた白くき通ったショートカクテルを一気に飲み干すと真剣な眼差しで私の瞳を覗き込む。
「君のことが好きなんだ」
カラン、と私のグラスにっていた氷が溶けて音を立てた。
「これまでも好意は隠さなかったし、最初に會った時に一目惚れしたって伝えてたからね。そんなに驚く事じゃないと思う。ただ、君の気持ちが読めなかったから、もうししてから改めて伝えるつもりだったんだけど」
加賀谷さんの手がそっと私の頬にれた。反対の手で腰を抱かれ、しずつ彼の顔が近づいてくる。
「さっきので、もう他の男と一緒にいる君は見たくないってはっきり思っちゃった。正直、お店で他のお客さんと話してるのを見かける度に嫉妬してたんだ。でも、あの店に來る人はそういう目的じゃない人が多いでしょ?だから耐えられたんだけど、あいつらは違った。君をそういう目で見る男が俺以外にいるなんて許せない」
熱く、滾るような彼の瞳が至近距離で私を見つめる。
「今すぐにでも君を抱いて俺のものにしたい」
その言葉に目を見開く。私の表を見た加賀谷さんは一度固く目を閉じて、自嘲気味に呟いた
「……余計な事まで言って驚かせちゃったね。ごめん、気にしないで」
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