《高校生である私が請け負うには重過ぎる》第20話 五つ星
「……………………遅い」
山くんが夕食の買い出しに出て行ってからもうすぐ一時間半が経過しようとしていた。
ここら辺にはスーパーなりコンビニエンスストアなり徒歩で行っても往復で二十分以のところに點在している筈なので、買いをする時間を含めても三十分から四十五分くらいで終わらせられる計算なのだけれど、彼はそれよりも倍くらいの時間が掛かっていた。
こんなこと言っては何だけど、私はいい加減待ち草臥くたびれた。絶対に外に出るなと言われてたけれど、今すぐにでもここを出て行き、スーパーというスーパーを捜し盡していきたいというのが今の私の正直な心である。
でもそれはもちろん出來ない。彼は、私がこの部屋で留守番をしていると言うのに、鍵を掛けて持って行ってしまったからだ。警戒心が強すぎる。草食もびっくりだ。
なので今私は普段なら勉強をしている時間なのだけれど、生憎參考書などは自宅に置いてあるので、することがなく暇を持て余している狀態である。
にしても本當に遅い。遅すぎる。兎と亀の競爭の途中で余裕をこいて眠ってしまった兎でもたかが知れている。お腹も空き始めて思考がだんだん回らなくなってきた。
せめて遅れている理由くらい連絡をれてほしいものだ。
ここで私は、ずっとソファに腰掛けていた為、おが々痛くなってきた。なので私はし気が引けるけれど、気になっていたことがあったのでソファから腰を上げこの部屋を観察してみることにした。
先ほども言ったとは思うけれど、この部屋には本當に生活がない。微塵も。微細も。
必要だと思われるもの以外はなく、ここで暮らしていける程度の家しか置かれていない。ベッド、ソファ、電気スタンド、ローテーブル、電子レンジ、あとは備え付けであろうクローゼットと食棚、冷蔵庫。主なものはこれだけ。それ以外はない。
俗に言う、彼はミニマリストなのだろうか。
時計やテレビなど一般家庭に置かれていそうなものがないので、時間が分からない。目覚まし時計すらない。彼は朝どのようにして起きているのだろう。時計? 彼だったら有り得なくないかもしれない。……羨ましい。
一通り部屋を観察し終えると、部屋の鍵がガチャリと解かれ、ゆっくりと開かれた。
大きな買い袋を片手に彼が帰ってきたのだ。
「山くん、お帰りなさい。隨分と長い買いだったようだけれど、どこまで買いに出掛けてたのかな?」
「白臣がこの町に來ているってことをアンタから聞いたからな。まだここら辺をウロウロしているかもしれない。慎重に事を進めていたら時間が掛かってしまった。だが、おで見つかることなく買いを済ませることが出來た」
「そうだったんだ。もう、余りに遅かったから心配してたんだから」
「ま、萬が一見つかってしまったとしても全力を出せば逃げれないことはないがな」
足音一つ立てずにこれだけ近づいてこれるのだ。彼の腳力ならば有り得ないことでない。
「いい加減腹が空いただろう? 待たせてしまった分、味い飯作ってやろう」
だからもうしばらく待ってろ、と彼はクローゼットから黒のエプロンを取り出し、に付けそう言った。どうでもいいことだけれど、帽子とフードを被ったままのエプロン姿の彼は何だかとてもマッドでシュールだった。こんな料理人がいるお店には行きたくない。
「やっぱり一人暮らしだから自炊とかするんだ?」
「あまりしない。だからこうやって食材買いに行ったのだ。料理の出來はあまり期待するんじゃないぞ。ちゃんとした形で料理するのは六年振りだからな」
「六年 うう……、でもせっかく作ってくれるんだからどんなでもありがたく頂くよ」
六年は流石に作りなさすぎではないか? それだけのブランクを積んでしまっては例えどのような料理人でも腕が落ちてしまう。私はハッキリ不安でしょうがなかった。というか気持ちが言葉の調子に出ていたと思う。フォローが下手過ぎる。
そんな私の気持ちとは裏腹に彼は著々と準備を進めていく。先ず彼はスーパーのレジ袋から買ってきた食材を取り出す。取り出した食材は以下の通り。
鶏、玉蔥、缶詰の玉蜀黍とうもろこし、レンジで溫めて作るご飯、卵、トマトケチャップ、市販のデミグラスソース。
これらの食材から連想できる料理は一つしかない。
彼はオムライスを作ろうとしていた。
誰でも知っている一般的な日本料理ではあるけれど、いざ作ろうと思っても中々上手く作ることが出來ないのがこの料理。それを六年のブランクを積んでいる怪しい風貌のマッドな料理人が作ろうとしているのだ。
もうどのような狀態で料理が出てくるのか想像できるけれどあまり想像などしたくない。彼に対しても失禮な気がするから。
一通り材料を揃えると彼は早速下拵えを開始する。
まな板と包丁で材料を次々と切っていく。
後ろ姿でしか確認できないけれど包丁捌きは思ったよりはぎこちなくない。むしろとてもスムーズで素早い。
六年間のブランクなどじさせないきだ。
あっという間に全ての食材を切り終えるとお次はフライパンでの調理開始。
切り終えた食材、レンジであらかじめ溫めておいたご飯の順に炒めていく。
彼がフライパンを振ると食材たちがまるで踴っているかのようだ。一つ一つがとても生き生きして見えたのだ。
良きところでケチャップを投し、あっという間に白のご飯が真っ赤に満遍なく染まった。
彼は持っていた木ベラを菜箸に持ち替え、いよいよオムレツ作りだ。
オムライスには必要不可欠なオムレツ、調理技が要求されるこの工程をどう彼は支配するのか、いつの間にか私は彼の一挙手一投足に目が離せないでいた。
といた卵を投! そして間髪れず一気にかき回す!
ある程度混ぜたら彼は火を止めた!
余熱だけで卵に熱を通している!
楕円形に形を整えると出來上がったオムレツを盛りつけたケチャップライスの上に——ライドオン……!
出來上がった料理をテーブルに持ってくると、彼はナイフを取り出し、縦向きに薙いだ。
「完だ……」
「おお……!」
上に乗っていた良い焼きのオムレツに切れ込みがり、左右に向かってズルリと流れ落ちトロトロの半狀態になったオムレツがケチャップライスを優しく包み込んだ。そして仕上げにデミグラスソースを掛けて、見事なオムライスが完した。
「さあ、食べるのだ。紅茶の時にも言ったが熱いものは熱いうちが命だ。冷めるとどんな豪勢な宮廷料理であろうとマズくなってしまうからな」
「…………」
また私は見惚れてしまっていた。目の前にある料理に。淺學なことにこの料理に対する景を表す言葉を殘念ながら私は持ち合わせていない。
常套句しか出てこないけれど、こんなオムライスはお店でしか見たことがなかった。六年間料理をしていないという彼の言葉が謙遜を通り越してもはや皮に聞こえてくるくらいの出來だった。
まさに玉に瑕が一つもっていない、完璧だった。卵だけに……(何を言っているんだ私は。柄にもない)。
「おい、どうした? 阿呆みたいに口あんぐり開けて」
「え? ああ! ごめんなさい、はしたなかったね。それじゃあ、い、戴きます!」
そんなあられもない姿を曬していたなんて、咄嗟に口を覆てしまった。どんな顔をしていただろう。想像に難くないけれどなるべく想像したくない。非常に恥ずかしい。
私はそんな恥ずかしさを紛らわすようにスプーンを取り上げオムライスを掻き込む様に食べた。結局あられもない姿になってしまっていた。
けれどそんな風に食べていてもオムライスの味はしっかりと自分舌に伝わっていた。このままお店に出しても良いぐらいの文句の付けどころのない味だった。
「おいおい、そんなに腹が空いてたのか? フフフ、良い食べっぷりだな」
「……味しい。山くん、あなたって本當に何でも出來るんだね。完璧だよ」
「フッ……、完璧……か」
私は褒めたつもりだったのだけれど、何故か彼は怪訝そうに聲のトーンを落とした。癖でする鼻笑いも心なしか、哀愁が漂っていた。
「流石に六年という年月は長すぎた。前作った時よりも出來が悪い。卵をフライパンから上げるのが零・五秒遅かったし、ソースも出來合いのもんだしな。失敗作とも言えるこの料理を褒めるなんて、よっぽど私に気にられたいんだな。必死さが丸見えだ」
「そそ、そんな言い方しなくてもいいんじゃない? 私は本當に味しいと思って言った訳だし、それに失敗作って……。あなたがプライドが凄く高いのは分かるけれど、もうし人の言葉というか稱賛の聲を素直に聞きれた方がいいと思うよ」
「フン、聞きれたところで何だと言うんだ?
上辺だけの社辭令など聞いて嬉しいのか? よく人は褒めればびるとなどというが私はそうは思わぬ。人がびるのは等しく自分自がいかに努力をしているかだ。しかし、表面だけの努力だけでは人はいつまで経っても先に進めない——停滯してしまうのだ。だからで、見えないところで、分からないところで、褒められもせず、人は努力するのだ。私はそうやって生きてきた。
そしてこれからも生きて行くのだ。アンタみたいに周りの奴らから慕われたりチヤホヤされてきた甘ったれた人生とは違うのだよ」
彼は語気を荒げてそう言った。その威圧にも似た彼の態度に気圧されそうだったけれど私にも伝えたいことがあった。の鼓が激しく脈打つほど揺をしていたけれど、私はそれを必死に隠し、平靜を裝い、彼にこう伝えた。
「あなたの意見は間違っていないと思う。だからあなたの意見を否定するつもりはないよ。だけど聞いてほしい。人は褒めればびるっていうのはね、言い方を変えれば、褒められるからこそ頑張ることが出來るって言い方も出來ない?」
「どういうことだ?」
「私もそうなんだけれど、人って褒められると嬉しいじゃない? だからまた褒められたくって勉強なり仕事なり頑張る。良い結果が出るとまた褒められる。だけど良い結果ばかりじゃなくて、勿論悪い結果になっちゃうことだってあるわけで。そんな時は山くんが言ったようにで、皆が分からないところで、見えないところで努力をするんだよ。確かにその時の努力は誰にも褒められたりはしないけれど、自分で自分を褒めることが出來るんだよ。私、よく頑張ったなぁって。違う? 私の言う事、間違ってる?」
「…………」
彼は先ほどの憤り方が噓のように黙り込んでしまった。何かを考え込むように。そして彼は自分の分のオムライスの皿を手に取り、皿を口に付け思い切り掻き込んだ。
まさに數十秒ほどの出來事。九割方皿の上に殘っていたオムライスがあっという間に無くなった。見ている限りではほとんど咀嚼していなかったと思う。に悪い。
そして彼は自分の分の皿とスプーンをシンクに雑に浸け、私の方を見ずにこう言った。
「助手の分際で俺に意見しようとは、百年どころか死んでまた人間に生まれ変わってそれからまた百年生きようと早い! いいだろう、そこまで言うのなら試してやろう。明日の朝飯は、あんたが作れ 」
「……ええぇぇ 」
まったく意味が解らなかった。一どういう思考を巡らせればそういう結論に至ったのだろう。私が明日朝飯を作る? いや、別に構いませんけれど……。
「アンタだって料理の一回や二回くらいしたことあるだろう? 話を聞いた限りではアンタはどうやら褒められてびるタイプの人間らしいな。いくら委員長さんと言えど、料理なんて最初から出來た訳ではないだろう? 褒められて褒めまくられて褒めちぎられまくってされた料理の腕前、見せてもらおうではないか?」
「何でそうなるの 私が言いたかったのはそういう事じゃなくて……」
「何だ? あれだけの持論を語っておいて証明が出來ぬと抜かすか? 口だけなら幾らでも出任せなり出鱈目なり言う事が出來るのだぞ、委員長さん?」
彼は明らかに挑発していた。よくあるいじめっ子がするような稚な挑発だった。別に彼のこの挑発を聞き流しても良かったと思うのだけど、私は彼にそのことを証明しなければならなかった。人は褒められてびるのだと言うことを。
それに私にだってプライドくらいある。口だけだと思われたらたまったものではない。ここは敢えて、態と、仕方なく、彼の挑発に乗ってみようと思った。
「うん、分かった。明日は腕に縒りをかけて朝飯作ってあげるよ。至らないところもあるかもしれないけれど、宜しくね」
「フッ! 々頑張ることだな。私に一言「味い」と言わしめただけでもの字と言えような」
どこの食家ですかあなたは。とにかく彼の舌を満足させることが出來るかどうかはさて置き、明日の朝私は彼に人は褒められればびると言うことをちょっと、いやかなり変わった形ではあるけれど、朝飯を作るという形で証明することになった。
自分でをもって験するべきだとは思ったけれど彼は一度やると言い出したらやる人だ。例え犯罪だろうと、大罪だろうと。言っても無駄だと言うことは最初から分かっていた。
「というわけで、さっさと食ってしまえ。片付けが終わぬ」
と言われ私は視線を落とすと、すっかり冷めてしまったオムライスがまだ七割方殘っていた。
「ああ、ごめんなさい! ちょっと無理をしてでも食べるよ。……でも山くん、最後に一つだけ訊いていいかな?」
「何だ?」
「何で、數ある料理の中で夕食はオムライスにしたの?」
うーん……と考える仕草をした後、思い出したかのように、こう言った。
「嫌いだったか? はだいたい好きだろう? オムライス」
……好きだけれど、その偏見はどうかと思った私であった。
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