《高校生である私が請け負うには重過ぎる》第51話 仕事終わりに
「行っちゃったね。これで全て終わったけど、これで良かったのかな……」
「決して良い終わり方とは言えないが、このような任務の結末は日常茶飯事に等しい。というか後味の良い終わり方など求めるな。アンタは所詮私の助手、私の任務の手助けに集中し、そして借金である一億円を返済する事だけを考えていればいいのだ」
両肩に重くのしかからんが如しその言葉——一億円という何よりも重いその言葉は私にとっての呪いの言葉を背にけながら彼の聲を聞いていたのだけれど、コツコツと彼が靴音を立てながら近付いてきて、私の方をトンと叩いた。
「そういえば、アンタにはまだだったな」
彼はボストンバッグに手をれながらそんな事を言ってきた。
一瞬何のことかとも思ったけれど、すぐに思い出せた。
私だけ今回の依頼の山分けを貰ってなかったのだ。
瞬時にそれを理解した途端、私は無意識に両手を彼に差し出していた。
これではまるで乞いているみたいではないか。そんなに早くお金を返したいのか。私は。
「……ほら、アンタの取り分だ。今回のアンタの働きだったらそれが妥當だろう?」
一瞬彼は引いたような顔をしたけれど、あまり気にすることなく、彼はの狀態で私の両手に札束を置いた。
その金額なんと……、
「二百萬円……」
思わず出た獨り言は喜びのものではない。確かに初任給にしては破格の値段ではあったけれど、私は素直に喜べなかったのである。
何故なら、今回の山分け配分だと私が一番なかったから。
二番目にない白臣さんの半分にも満たない金額にむしろ私は納得ができなかったのだ。
たまらず私は彼に理由を問い質した。すると、
「私を欺こうとしていたらしいが、そうはいかぬぞ。アンタ、自分の役目を放っぽり出し、臆助に押し付けただろう? 通信が切れてから回復するまでの間に」
そのような行い、減給されて當然だ、と言い彼はボストンバッグのチャックを閉めたのだ。
バレていた……。上手くやり過ごせたと思っていたのだけれど。
そして、減給か……元々はどれくらいあったのだろう。彼曰く、重要な役割を與えられていたくらいだからもしかしたら二番目くらいには多い金額を貰えていたかも。
そう考えたら、惜しい事をしたものだ。
「よし、では行くぞ」
その後、私は彼の後についてアパートへと戻る——はずだったのだけれど、途中でアパートへと向かっているにしては方向が僅かに違っていたような気がしたのだ。
一どこに向かっているのだろう?
とは思いつつも、特に何も言わずについて行くと、アパートから一キロほど離れたところに位置する、寂れた公園前に著いた。
「山くん、ここに何の用が?」
ここでようやく私がここへ來たことについて問うた。すると彼は、公園の隅の方を指差した。
指先の方向に目をやると、そこには小さな屋臺が設けられていた。
「この町に來た時に偶然見つけたのだ。大きな仕事を片付けた時はここに寄ることに、私は決めたのだ。アンタの依頼終わりの時にも立ち寄ったよ」
と、足取り軽く屋臺へと近づく彼について行くと、だんだんいい匂いが漂ってきた。
こじんまりとした屋臺に大きく垂れ下がる暖簾に書かれていたのは——『おでん』の三文字。
こんなところにおでん屋臺などあっただろうか。移式というわけでもなさそうだし、私が知らなかっただけか。
「いらっしゃい……」
暖簾をくぐると、白髪混じりで壯年の男が無想に出迎えた。
寡黙なのか、それとも人見知りなのか、私たちに目を合わすことなく、注文を訊くわけでもなくおでんの鍋の火加減をじっと見ていた。
「店主、注文よろしいか? 私はこれとこれとこれを……。彼にはこれとこれ……」
と、席に座るなり山くんは店主さんにおでんの注文を行う。私の分まで勝手に。
すると店主さんは沈黙したまま、山くんが注文したを慣れた手つきで次々と菜箸でけ皿に盛っていった。
摑みにくく崩れやすそうな材をいとも容易く取り皿に盛り付けてゆくきに流石はプロの箸さばきだと見とれていると、
「あい、お待ちどう……」
山くん、そして私の目の前にお皿が置かれた。
彼は四、五品ほど頼んでいたので私より大きなお皿、私は一回り小さなお皿だった。
彼のオススメなのだろうか——こんにゃく、卵、大という、おでんといえばいうじの三品が見栄え良く盛られていた。
どれも出をよく吸い込んでいるようで、程よく茶に染まった食材たちがそれを主張していた。
「店主よ、いただくぞ」
「!」
なんと、山くんが食前の挨拶を唱えた。
私が「いただきます」を唱える前にはもう既に食べ始めているのが通例なのに、彼は丁寧にも手を合わせながら、會釈をえつつそう唱えたのだ。
その姿、まるで神仏に祈りを捧げる信心深い信仰者の如く敬虔。
店主さんがとても偉大な人なようにみえてしまう。
しかし、店主さんはそんな山くんの祈りなど全くもって意に介してないようで、彼の言葉に答えることはなく、減った分の食材を拵える作業に取り掛かっていた。
そして山くんは、背筋をピンとばし壊れでも扱うかのような箸さばきで大を取り、ふーふーと息を吹きを冷ましながら、半月切りされたそれを口の中へと運びれた。
「………………」
出が染みてらかくなった大。もう口の中にあるとは思えないのだけれど、彼は何度も何度もゆっくりと味するように噛みしめていた。
フードの下の瞼が閉じて旨みを味わっているのが伝わってくるようだ。
「うむ……やはり味い。この一口で仕事の疲れが一気に取り払われる。店主、謝するぞ」
「! お、味しい? 今山くん……味しいって言った?」
「む? ああ言ったが、それがどうした?こんなに味いものを無言を貫いて食い続ける者の方がどうかしている」
つまりは、アンタのような人間だと軽く非難され、彼は引き続いておでんの味を続けるのだった。
いや、彼は私の質問の意味が分かっていない。確かにこのおでんはとても味しいと思う。まだ一口も食べていないけど。
    味しそうな香りも漂っているし、琥珀に染まった材たちを見ればしっかりと出に使って煮えているのだと一目瞭然だった。
しかし問題はそこではない。
山くんが、ファミレスで食べるような食事では『味しい』とは言わない山くんが、それこそファミレス並に軒を連ねるおでん屋臺のおでんを食し、味しいと言ったのだ。それも高級料理を味わうかの如く心底丁寧な箸使いで一個一個材を割りながらである。
「どうした? アンタも早く食べるのだ。よそって頂いた店主に失禮であろう」
食べてみれば分かるのか……。あの山くんがここまで絶賛するのには何か深い訳があるのかもしれない。
まだ熱々の狀態であるに食べてみようではないか。
とりあえず、おでんと言えばこの切りにされた大だろう。そのまま食べるには大きいので、私も山くんに倣って四等分にしてみる。
するとどうだろう、大した力をれなくともホロっと綺麗に大は四等分に分かれたのだ。
なのに箸で摑んでも全く煮崩れする様子もない。なんと絶妙ならかさだ。
私はそのままイチョウ型になった大を口の中へと運び、一口噛み締めた。 
昆布出をベースに薄口の醤油のあっさりした味が口の中に広がった。
続けて二度、三度と噛み締めるに大は溶けるようになくなってしまった。
──味しい。
お店でおでんを食べたのは初めての経験だったけれど、お家で食べるものとはやはり味わいが段違いに違うのが分かる。
市販のものではまずこの味は出ない。食材から始まり出に至るまで創意工夫がされたこの味は、店主さんの腕あってのものだろう。
「店主、取り込み中済まないが先ほどと同じものを」
気が付けば山くんは自分のお皿を空にして、お代わりを注文していた。
いや……、山くんがお代わりだって?
「はいよ……あんちゃん」
「ありがとう店主。手を煩わせて済まない」
丁寧にも一々お禮までする。こんなにも禮儀正しい山くんを見るのは初めてだ。
あれだけ頑固にしかめっ面を浮かべていた店主さんも満更でもなく頬を上げ、
「…………いいってことよ。あんちゃんみたいな客は久しぶりなもんでね。俺も作ってる甲斐があらぁ」
上機嫌にそう返すのだった。
あれだけ無口だったのに、お代わりした瞬間に隨分と親しげに話すものだ。常連客ならまだしもまだ訪れて二日目なのでは?
「しかし、あんちゃん。あんた、前來てくれた時もそうだったけっども、ホントによく味そうに食ってくれるな」
「味いものを味そうに食べて何が悪い? 店主とて、それが料理人にとって本であろう?」
「いや……、実はな、俺ぁこの店、もうじき畳もうと思ってな……」
「何!?」
店主さんの思わぬカミングアウトに山くんは両手を機の上に打ち付けた。あまりの衝撃に私の前にあったおでんの皿も低く宙を舞ったほどだ。
「何故だ店主? これ程までに味いおでんを作る腕を持つあなたが店を畳む? 有り得ぬ、何が原因だ? 話すのだ」
説得と言うよりは、脅迫に近い鬼気迫る勢いで店主さんを問い詰める山くんはいつになく語気を荒らげている。冷靜さを欠いているとまで言っていいほどに。
そんな山くんの熱に圧されたのか、店主さんは眉をひそめながらも、その重い口を開いた。
「最近來た客なんだが、ここ一ヶ月であんちゃんとツレの嬢ちゃんの二人だけなんだ……。だが客が來ねぇのを理由に、俺ぁ自分が作るもんに手は一切抜けねぇ質たちでね。毎日毎日下拵えから何やらやってっと、金が掛かっちまって。気ぃ付いたら、この店続けるのも難しくなっちまってな……」
強面に似合わない消えるような聲で店主さんは言った。
こんなに味しいものを提供しているおでん屋さんが皮にも客足が遠のいている所為でもうすぐで無くなる……。
    より正確に、そして辛辣に表現するのであれば、店主さんの職人気質による自己破綻と言うべきだろうか。
店主さんの「久しぶり」と言っていた言葉の意味がようやく理解できた。
「店主、それは金さえあれば解決出來る話なのか?」
その様子を見兼ねた山くんが徐にそう尋ねた。
「金かい? そりゃな。金さえあるんだったら続けられるけんども、今の俺の稼ぎではとても続けられん。急にそんなもんが湧いて出てくる──」
「訳がある。と、言ったらどうする?」
店主さんの話を遮るように、山くんはそう言うと足元に置いてあったボストンバックをドンとカウンターの上に置いた。
「あ、あんちゃん……こいつぁ……?」
「このバッグの中に二千八百萬円ってる。よかったな、店主。
これだけあれば、あなたがこれから死ぬまで店を続けられるどころか、弟子のそのまた弟子に店をけ継がせる事まで出來るぞ」
「え……!?」
「に、二千八百……!」
そう、山くんは今回の依頼料の取り分全てを店主さんに上げるてしまうつもりでいるのだ。
太っ腹にも程がある。
「いやいや! 待ってくれあんちゃん。くれるったって、気持ちはありがてぇがいくらなんでもそんな大金貰えねぇよ!」
「いいのだ店主、私にとってこの金は宵越しの銭。使い道をどうしようか悩んでいたところなのだ」
「だ、だが……」
「私の気が変わらないに黙ってけ取るのだ。店主よ、私には分かる。あなたは隨分苦労を重ねてこの屋臺を建てただろう? その皚々がいがいたる雪の如く白に染まった頭髪がそれを語っている。
そんな大変な苦労をしてまで手にれた自分の生き甲斐を金欠が原因で失ってしまってよいのか?」
「あんちゃん……」
フードの奧にる彼の目は間違いなく本気だった。本當に全てのお金を店主さんに譲る気なのだと。
が、しかし、お金の管理にうるさい山くんがこんなにもあっさり大金を赤の他人にあげてしまうところを見ると、相當この屋臺のおでんが気にっているのだろう。
私としても、流石に二千八百萬という大金はオーバー過ぎると思うところだけれど、このお店を訪れるのが最初で最後になるのは惜しいところであったのは、やはり味しいご馳走に惹かれての事だろう。
「こんな目立たない公園の隅に建てた小さな屋臺で満足するな。どうせなら、人通りの多い商店街にでもデカい店建てて商売するのだ。こんなに味いおでんを作れるのだ、私が保証しよう」
「へっ、言ってくれるねあんちゃん。確かにこれだけありゃ店一つくらいおっ建てる事も出來らぁな。夢見させてくれるぜ」
「夢見がてらと言う訳ではないが、二千八百萬という數字はどうもさっぱりとしない。そうは思わないか店主?」
そう言うと彼は、ポケットから何やら束狀のを取り出しそれを機の上に──
「ッ!?」
私は二度見した。それはもう見事なまでの殘像すら殘るような素早さで。
それと同時に制服のポケットの中を弄まさぐった。
──無い。
ポケットにれていた筈の私の二百萬円が無い!
だけど、それもその筈だろう。
その二百萬円は恐らく、今まさに──カウンターの上に置いてあるのだから。
全く気が付かなかった。どのタイミングなのか分からないが、山くんは私がポケットの中に忍ばせておいた二百萬円をスっていたのだ。
「あの……山くん。それ私の──」
「この二百萬と合わせて三千萬円だ。どうせ貰うなら、キリのいい數字の方がいいだろう?」
問いかけ札束に手を掛けようとする私を右手で制する彼はおでんを食べているというのに何食わぬと言ったじで話を進めている。
「おいおいあんちゃん。あんたはATMかなんかか? そんなにじゃんじゃんどっから金が湧き出てくんだい?」
「殘念ながらこの二百萬で最後だ。私は金のる木ではないからな」
いや、山くん。そのお金は私のものなのですが……。
借金返済に當てなければならない命の次に大事なものなのですが……。
看過出來るわけがない。一億という額からしてみれば端金かもしれない、けれどここから積み上げていかなければこの先どうなるか分からない!
私は必死に手をばした。ばすほど遠くに置かれていない二百萬円に。
だけれど、山くんの鉄壁の右腕に遮られれることすら出來ない。
「お嬢ちゃん達どうしたんだい? さっきから慌しいけどよ」
「い、いえ! お構いなく店主さん! こちらの話ですので」
その様子を見て店主さんも話しかけてくるし。けど、話しかけない方がどうかしているだろう。
傍から見れば、ケンカしているようにしか見えていないだろうからね。
「案ずるな店主。直に靜かになる」
私を制しつつも優雅におでんを食べていた山くんも店主さんにそう答えた。
そしてその直後、私は彼の有言実行ぶりに言葉も出なかった。
文字通り、私は靜かになった。そうせざるを得なかったという表現の方が正しいと思う。
私を制し続けた彼の右腕が下に振り下ろされた。ちょうど店主さんの視線からでは見えないようなカウンターのに隠れるように。
その時、棒狀のようなが袖から顔を見せたけれど、彼はそれを用に指に絡めながら回転させた。
艶めかしささえじてしまう鮮やかな手つきに見とれていたのはほんの剎那だった。
彼が回していたそれから、白く鋭い刃が飛び出したのだ。
──バタフライナイフ。
二分割されたグリップの部分に刃が収納された折りたたみナイフの一種。
手れさえしていればりんごの皮むきや鉛筆を削ることも出來るらしいが、彼が手にしているそれは従來品と比してはいけなかった。
手の中で彼が回している最中に、刃が屋臺の一部の木材を掠めたのだが、刃は木材をまるで何も斬っていないかのようにすり抜けたのだ。
とんでもない切れ味だ。ツールとしての側面を完全否定している。店主さんが使っている包丁よりもよく切れそうだ。
そしてその刃は今、私の左脇腹に向けられていた。
あのような一連の流れを見せられて、慄かないわけがない。打ち震わせるは両腕で抑えようにも止まらなかった。
抵抗しようものならその屋臺の燈りにギラギラと鋭い一閃を煌めかせる刃が突き刺さるだろう。
そう思ったら、私は目の前に置かれた二百萬円に手をばそうとはしなかった。
金か命か──天秤にかけるまでもない二択は明瞭に決まった。
あれだけ取り返そう取り返そうと思っていた二百萬円をこんなに簡単に諦めることが出來た。出來てしまった。
命の大切さ、尊さは誰よりも知っている自信はある。良くも悪くも、私は彼にそこを付け込まれてしまったようだ。
そういう意味では、彼もまたそれを理解しているのだろう。
「食事は靜かにするものだぞ? 委員長」
落ち著いて諭すよう言うと彼は掌を返し、刃を鞘へ収めた。
そして何事も無かったかのように彼はナイフを袖の中へと隠し、再び食事を始めるのだった。
「あんちゃん、お嬢ちゃん。まだまだじゃんじゃん食ってくれい。今夜は俺の奢りだ」
「ああ、私は仕事終わりでまだまだ食べ足りない。今ある食材全て平らげてしまうぞ」
「言うねえあんちゃん。むところだ、店ん中空っぽにしてってくんな!」
「………………」
しばらく笑えていなかったのか、店主さんのはにかむようなしぎこちない笑顔はとても幸せそうに見えた。
惜しい。とても惜しい。
借金返済に一歩でも近付く事が出來たと思った矢先ものの數十分でまた一歩後退してしまったのは悔いが殘らないと家ば噓になる。
だけれども、私にはまだ猶予がある。
それに比べれば──今日か明日かと人生を路頭に迷う寸前だったおでん屋の店主さんの置かれていた狀況に比べれば──
なんて事はない。
諦める事が出來た。そうされたと言う解釈の方が正しい気もするけれど、自分の中で、素直にそう思え始めた。
「店主さん、私もおかわりいいですか?」
「あいよ、お嬢ちゃん! 次は何にする?」
明日へ生きる希を手にれ意気揚々と自慢の料理振る舞う店主さん、その気持ちに応えんと舌鼓を打ち黙々と食べ続けている山くん。
こんな幸せ空間にわざわざ水を差すなど野暮なことこの上ない。
今はこの束の間のひと時を堪能しようじゃないか。
また明日から學校もあるし、新たな依頼の申し込みもあるかもしれない。
今はその為に英気を養う時だ。
それから私達は、店主さんが上機嫌に振る舞うおでんをこれでもかと言うくらいに堪能したのだった。
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