《豆腐メンタル! 無敵さん》八月一日留守無敵③
などと考えているほどの時間があったにも関わらず、起立した無敵さんはまだもじもじとスカートを握り締めて俯いている。顔は真っ赤だし、なんだか気の毒になるほどだ。
それにしても、見れば見るほどに地味な子だ。完全に名前負けしている。いや、誰だって無敵なんて名前には負けるだろうけど。
高一にしては小柄なに、まったくフツーな肩辺りで切り揃えられた黒髪。小さな丸い頭は、頼りなくふらふらと揺れている。かわいいといえばかわいいが、まぁ、どこにでもいそうな普通の顔。長を見越して用意されたのであろうし大きめのブレザーには“著られている”という表現が妥當だろう。
「あ、あの、あの。あ、あたし。あたし……は、」
しどろもどろ、つっかえつっかえに無敵さんは喋り出す。ちらちらと時折上げられる目線は、その都度何かに弾かれたようにまた伏せられた。
「がんばれー、無敵さーん」
「そうそう。なにしろきみは無敵でしょー」
「自己紹介なんて、秒殺しちゃえー」
なかなか話し出せないながらも頑張っているのが伝わったのか、みんなが無敵さんを応援し始めた。「なんだ。何も特別なこともないな、この様子なら」と、みんなが見限るのには十分な時間をもじもじしている。この応援は、無敵さんにプレッシャーを與え過ぎたことへの裏返しなんだろう。みんな反省しているのだ。「期待しすぎちゃってごめんね」と。
「あ、あのっ!」
応援に力を得たのか、無敵さんがキッと正面を見據えた。そして。
「た、高倉中學校の、無敵睦むてきむつみですっ。あ、あたしなんかが自己紹介しちゃってごめんなさいっ。あたしの名前なんかを知らせちゃってごめんなさいっ。この高校に來ちゃってごめんなさいっ。このクラスにっちゃってごめんなさいっ。ここにいて、場所をとって、空気を吸っててごめんなさいっ。あ、あたしなんかが、生まれてきて、ご、ごめんなさいーっ!」
もの凄い勢いで謝り出した。目からは大粒の涙がぼろんぼろんと転げ落ち続けている。
自己紹介で、まさかの完全自己否定である。自分が生まれてきたことさえ否定しているのに、自己紹介など矛盾の極みだ。俺の脳には、とりあえずそんな論理が生まれていた。
みんな、口をぽかんと開けて無敵さんを見つめていた。冗談? 本気? ウケ狙い? その判斷もつかないらしく、思考が停止してしまっている。
だって、俺もそうだから。
しーん、と驚くくらいな靜寂に包まれた教室で、無敵さんは言い切ったままに立ち盡くしている。みんなが、留守先生でさえもどう対応していいのか分からず、かっちーん、と固まってしまっていた。
「はっ。び、びっくりさせちゃってごめんなさいっ。ふああ、もう、誰かあたしを殺してくださいーっ! あ、でも、あたしの為に殺人の罪に問われたらっ……。も、もう、自分で自分を殺すしか。でも、飛び降りたら汚れるし、掃除する人に迷がっ。手首を切っても睡眠薬を大量に飲み込んでも、死んだら死の処理があるしっ……。お葬式とかの費用もかかれば、火葬場だって使っちゃう。CO2が、あたしのせいで増えちゃうのっ。あうう、ど、どうしたらっ……? どうしたらっ!?」
みんなの直はまだ解けない。これがRPGで戦闘中なら、確実にパーティーが全滅していることだろう。無敵さんの自己紹介は、魔王を倒すという使命を持ち、世界の運命を左右する勇者様一行をも全滅させる危険さだった。
ひとしきり頭を抱えて悶えていた無敵さんは、何事かを思いついたらしく、はた、とそのきを止めた。そして、またとんでもないことを言い出した。しかも、今度は行を伴った。
「そ、そうだっ。アフリカへ! サバンナ広がる大自然の中なら、きっとライオンさんとかがあたしをきれいに片づけてくれるはずっ。エコでクリーンで護の神にも溢れたこの方法なら、自殺だって賞賛されるに違いないっ!」
素晴らしい自殺の手段を編み出した無敵さんは、満面の笑みを浮かべて椅子を蹴り、駆け出した。目指すは教室の出口である。プリーツスカートをひるがえし、たったかたー、と駆けてゆく無敵さん。先生の直も解けていない以上、あの子はこのまま行かせることになりそうだ。
サバンナへ。
これが、ある意味無敵な無敵さんとの、ファーストコンタクトだった。一方通行ではあったけど、俺は今でもそう思っている。
ここから、俺と彼との、普通だけど普通じゃない、ちょっとおかしくて大変な高校生活が始まるのだった――
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