《豆腐メンタル! 無敵さん》八月一日留守無敵⑧
「いや、ですか? そうですよね。あたしとなんて、手をつなげないですよね。あたしなんて、不細工だし暗いし逃げ足が速いしすぐに死のうとするし、そんな子と手をつないだって、暑苦しいだけですよね。そう、迷。迷、なんですよ、ね……?」
「あ、いや」
まるでテレパシーでも使えるかのように無敵さんは俺の心を言い當てた。そうそう、全くその通りなんだけども。さすがの俺も、「うん、そうなんだ」とは言えないぞ。で、逃げ足が速いって自覚はあるんだ、こいつ。
「いや、そうは言ってない。それより、俺の質問に答えろよ。質問に質問で返すんじゃない」
俺はとにかくそう答えて逃げてみた。なんだこいつ。すげぇめんどくせぇー。
俺は無敵さんの印象に「面倒くさい」を追加した。俺の心の中に、全然必要のない無敵さんフォルダが増えてゆく。これ、削除出來るよね? 結構メモリ食いそうなんだけれども。
「だ、だって」
無敵さんが言い淀む。
「だって?」
ちゃっと言えよ、ちゃちゃっと! ぐああ、イライラするぅ!
「だって。こ、怖い、んですもん……」
「何がだッ!?」とびそうになる心を必死で押さえる。間違えた。押さえるのは口だった。言っちゃってたよ、俺。
「ふぇぇっ」
無敵さんが、びっくう! となって飛び上がった。もう泣きそうになっている。てかもう泣いてる。涙腺ゆるいな、おい。駄々れじゃねーか。暮らし安心クラシアンを呼べ、クラシアンを。五千円くらいで直してもらえるから。
ふと嫌な予がして、振り返る。と、案の定、クラスのやつらが廊下に出て俺たちを見守っていた。留守先生を先頭にして。
まずいぞ、これ。これじゃあ、俺が無敵さんを泣かせているみたいじゃないか。く、くそ。こいつ、俺に選択肢を與えないやつだな。わざとやってんだとしたら、こいつは相當な策士だぞ。
「ああもう、泣くな。ほれ、手。つなげばいいんだろ?」
俺はぎりぎりと歯ぎしりをしながら手を差しべた。
「あ。あり、がとう」
「うっ……!」
差しべられた俺の手に、無敵さんがらかく微笑んだ。素直な、なんの飾り気も無い笑顔だ。その笑顔は、認めたくはないが素敵だった。
雲の切れ間、廊下の窓から差し込む朝日が、無敵さんの黒髪や真新しい制服に反して煌めく。無敵さんを取り囲む輝く塵が、ダイヤモンドダストに見える。俺たちの周りだけ、時間が止まったかのようだ。その景は、まるで一枚の絵畫のようだったかも知れない。
はっ。どうしたんだ、俺は? こんな地味で怖くて関わったら間違いなく面倒なことになるような、更に言うならもしかしたら変態でもあるかも知れないに、例えほんのコンマ一秒ほどであろうとも、こんなに脳化してしまうなんて。さっきまでの沈んだ表とのギャップが凄まじいせいだ。多分そうに違いない。いや、絶対そうに決まっている。
ほら見ろ、俺。良く見ろ、俺。こいつの容姿は地味だ普通だ十人並みだ。そして格は最悪と言って差し支えないほどに面倒だ。
例えるならば、「今すぐ來て。速で來て。今夜會ってくれなかったら、手首を切って死んでやる。あ。もう切っちゃった。ごめん、あと十分以に來てくれないと、多分死ぬくらいの出レベルだ、これ。テヘ☆」とかいう電話を夜中の三時にかけてくる、付き合って二年経った彼くらいに面倒だ。
まぁ、俺にそういう経験はないのだが、こんなの想像しただけでいやになる。一度や二度なら我慢も出來るが、三回目には「もう死ねよ」とか言いそうな自分が怖い。
とにかく。
こいつには、ミジンコほども好意を抱く理由が無い! そうだろ、俺!?
「あれ? どうしたの? なんか、顔が赤いみたい……?」
「は? え? いや、そ、そんなことねーよ」
無敵さんに指摘され、ついどもった。おいおいおいおい。本當にどうしちゃったんだ、俺! しっかりしてくれよ、俺ぇ!
「変なの。でも、ごめんね。あたし、こんなことしちゃって、自分で戻る自信がなくて。あたし、バカ。ホントにバカです。戻ったら、みんなに何を言われるのかなって考えたら、もう足がかない。はぁぁ、死にたい……」
そういうことか、と納得した俺の手を、無敵さんがきゅっと握った。なんて小さな手なんだろう。俺がここで思いっきり握ったら、ぽきんと折れてしまいそうだ。それほどにか弱く、そしてらかい無敵さんの手。そういえば、人の手を握るのなんて久しぶりだ。
莇飛鳥。
あいつの手は、もっとしっかりとしていて、熱かった。
「何を考えているんだ、俺は」
ちょこちょこと出てくる莇の顔を、ぷるぷると頭を振って振り払う。と、俺の後ろで手を引かれている無敵さんの様子が目にった。無敵さんはすっかり安心しているようで、ほんわかとした空気を漂わせている。
なんか、それがイラっときた。
初対面の子と手を繋ぎ、衆人監視の中歩かされるというのは、目立ちたくない俺にとってはもはや拷問なのだ。その原因たる無敵さんだけがのほほんとしているのは、正直かなり腹が立つ。
そうか。俺が赤面していたのは、この怒りのせいなのだ。俺は怒っていただけなのだ。決して。決して、無敵さんになんか見惚れたりしてないんだからねっ!
ちょっと意地悪してやろう。それぐらいしないと気が済まん。
「ところで俺、トイレにっても、小なら手を洗わない派なんだが」
いや、噓だけど。ホントホント。俺ってきれい好きだから。
「えっ?」
おもむろに妙なことを言い出した俺に、無敵さんはぽかんとした。無敵さんの戻ることへの躊躇いを映す歩幅は狹い。足はしずつしか進まない。
「つまりは、今、無敵さんが握っているその俺の手は、にれたまま、なんの処置もされていないということだ」
これぐらいの意地悪ならかわいいもんだろ。だよね?
「はっ。じゃ、じゃあ、あたしはっ」
無敵さんの表が、劇畫のように引き締まる。通常モードでは眠そうな細い目が、鋭いを放ち出す。ゴルゴ? それってゴルゴじゃない? もしかして何人か殺してる?
てっきり「きゃあぁぁぁっ!」とかんでぱぱっと手を離すかと思っていた無敵さんが、予想外なことを言い出した。それはもう、俺の想像の遙か彼方、一周回って真正面からの言葉だった。
「か、間接、……」
「はぁっ!?」
無敵さんが、ぽっと頬を朱に染めた。俺は我が耳を疑った。
「なにとんでもないこと口走ってんだ、テメーはぁっ! 死ね! お前は今すぐに死ね! ライオンでもワニでもサメでも何でもいい! 今すぐこの世からきれいさっぱり消え失せろぉ!」
こいつ、絶対変態だ! 間接キスならその反応もいいけどな! むしろ、かなり萌えるけど! 《間接》でかわいらしく照れる子なんて、絶対イヤだぁっ!
「ふ、ふえぇぇぇっ。ひひひ、ひどいぃぃぃー」
びやー、と無敵さんが子どもも引くくらいの勢いで泣きだした。涙腺は決壊したらしく、涙が洪水なみに溢れていた。
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