《豆腐メンタル! 無敵さん》二日目欠席浴中⑥
* * *
「そうだ。道を聞くにも、詳しい住所が伝えられないと。メモ、メモ」
番へと進みながら、俺はポケットにしまっておいた住所メモを取り出し、いそいそと開いた。留守先生はよほど急いでいたのか、やけに可いピンクのメモ紙に住所を毆り書いていた。確かボールペンで書いていたと思ったが、これも書になっている。達筆。
「えーと。本町三丁目の、十の十三。シャトーロータス……、五階……?」
俺は目をごしごしとこすってメモ紙を見直した。しかし、どうも見間違いではないらしく、どう読んでも《シャトーロータス五階》とある。
それを確認した俺は、思わずメモをくしゃっと丸めた。そして「っざけんなよ、おいっ!」と怒聲を上げて、歩道に目いっぱい叩きつけた。
メモはぽよんとバウンドして転がった。そのきを目で追うこと數秒、メモは見知らぬおじいさんに拾われた。らくだのステテコをはいた、ガリガリのちっさいじーさんだ。
いつも思うんだけど、それって著なんじゃないの? 下著で街をうろついてて、逮捕とかされないの? 最近じゃあ、「おしゃれステテコ」なんてもあるけどさ、このじーさんのは明らかに著だろ。上半、だし。まだ春なのに、寒くないのか?
「おい、小僧。ゴミを道端に捨てるんじゃない。ゴミはゴミ箱に、と親に教わらなかったのか?」
なんて思っていたら怒られた。いや、叱られたという方が正確か。これって似ているけれども全然違うんだよな。
しかし、どちらにしろじーさんは怒っている。ぎろりと俺を睨む、落ちくぼんで濁った瞳は、妙な凄みを持っていた。その瞳を見て、俺は“叱られている”と思い直したのだ。一見して偏屈そうな、つるっつるのハゲじじいではあるが、悪い人ではなさそうに思える。
そうだ。こういう人を、俺は見たことがあるから。それは、俺のじいちゃん。五年前に死んでしまったけど、俺を本當に大事にしてくれた。褒める時はごりごりと頭をでられたし、叱る時には固い拳骨をお見舞いしてくれたっけ。結局どっちも痛いんだけど。
「あ、すいません。あんまりにもショックなことが書いてあったんで」
とりあえず、このじじいが言っていることは間違っていない。それどころか、自分の子どもすら叱れず、見て見ぬふりする大人ばかりの現在では、かなり貴重な人種だろう。そう思い、俺は素直に謝った。
本當にさ。複合ショッピングモールでも電車でも、特に靜かにしていてしい映畫館でまで騒ぎまくるバカなガキっているんだよな。それを注意するべき親からして煩かったりしやがるし。まぁ、劇場版プルキュアとか観に行くからなのかも知れないけど。ドラ左衛門とか。
「あぁん? そういや、何かんでおったの、自分」
じじいは「ふん」と鼻を鳴らすと、丸めたメモを広げ出した。
おいおい。なんで見ようとしてんの、このじじい。それ、一応個人報になるんだぜ。そんなに自然に、なんの躊躇いも無く人のプライベートを覗くとか、モラルや道徳って言葉を知ってんのかよ?
「ふん。全く、最近の若いモンは、親のしつけがなってねぇ。そもそもがよ、車の窓から吸殻やら空き缶やらゴミやら子どもやらを平気で捨てるような親に育てられちゃ、そりゃモラルの欠如したクソガキになって當たりめぇよな。はー、嫌な世の中になったもんだの、おい」
ぶつぶつと文句を垂れ流しながら、じじいはメモを開き見た。
いや、車の窓から子どもはポイ捨てしないだろ。どこで見たんだよ。それ、大事件じゃねーか。てか、おめーがモラルとか言ってんじゃねーよ、じじい。俺の素直な謝罪を返してくれ。じいちゃんに似てると思って下手に出てりゃ思い切り乗っかってくるとか、ただのお調子者じゃねーかよ。
「おい、じーさん。そういうあんたこそっ」
自分の行いも顧みず、偉そうに語るじじいに我慢が出來なくなった俺は、一言言ってやろうと口を開いた。が、次にじじいが発した意外な言葉で、俺は出鼻を挫かれる。
「ありゃ? こりゃー、おめー、無敵さんちの住所じゃねーかよ。なんだ小僧、おめーは無敵さんの知り合いか何かなのかい?」
「え? あ、はい。クラスメイト、ですけど」
勢いを殺がれた俺は、ついまた敬語に戻ってしまった。心だけがつんのめって前に飛び出したような気持ちになる。
「そーかぁ、そーかぁー。坊主は、無敵さんの友達かー。いや、怒鳴っちまって悪かったな。なんだ、今から無敵さんとこに行くわけか? 遊びにか? お! 坊主、もしかして彼氏かい? げひゃひゃひゃひゃ」
「……いや、そういうんじゃないですけど。ちょ、痛いんで、叩くのやめてもらえます?」
先ほどまでの怒気満々な態度から一転、急にフレンドリーになったステテコじじいは、下品ででかい笑い聲を発しながら、俺の肩をばんばんと叩いてきた。呼び方が小僧から坊主になったのも、じじいの中ではいい扱いなのかも知れない。どっちも一緒な気がするが、俺には。
なんにしろ、このじじいも相當うざい。どうやら無敵さんの知り合いらしいが……。なんであいつ絡みのことって、こう何もかもが面倒臭いの?
「ま、無敵さんとは仲良くしてやってくれい。あの子も、いろいろとてぇへんだったもんだからよ。ここにも、夜逃げ同然でたどり著いてんだ。苦労してんだよなぁ、あの子。可哀そうな子なんだわ。……ああ、別に貧乏してたってわけじゃぁねぇけどよ。げひゃひゃひゃひゃ」
「……は? あの、今、なんて?」
聞き捨てならない。俺は無敵さんのことなんて知りたくないと思っていたことすら忘れてしまっていたらしい。そこのとこ、もっとkwskとか言いそうになったのだが。
「よし。このメモは、俺がちゃあんと捨てておいてやっからよ。俺はこの商店街の西口にしぐち役で、犀田鉄次郎さいだてつじろうっていうもんだ。おめー、名前は?」
「あ、俺は、八月一日於菟ほずみおと、です」
犀田鉄次郎なるじじいの中では、もうその話は終わっていた。でかい聲と勢いに負け、俺はつい素直に名乗ってしまう。
「オトくんか。へへぇ、こりゃあいい名だなぁ。これで俺らぁ、お知り合いだ。またここに來た時にゃ、気軽に聲をかけてくれ。げひゃひゃひゃひゃ」
「は、はぁ……」
そう言ってひらひらと手を振りながら歩き去る犀田鉄次郎というステテコじじいを、俺は呆然と見送った。
また來た時もなにも、俺はここに住んでんだけど。しかし、西口役? この商店街の役員か何かなのか? なんつー品の無いじーさんだ。もしあんなのが役員とかしてんだったら、この商店街の先も見えてるような気がするぞ。
「ん?」
とか思って徐々に遠ざかってゆく犀田じーさんを見ていること數秒。ひょいと屈んだじーさんは、地面から何か拾い上げた。
「ファーストフードの紙袋? ゴミ?」
それは、多分ゴミだと思う。「ふっふふーん♪」と上機嫌で鼻歌じりに去ってゆくじーさんは、それからも何度か屈んではゴミを拾っていた。ゴミは後ろ手にしっかりと握ったままよたよたと歩き去る。
そういえば、と思い改めて商店街を注意深く見てみる。電柱の元、壁際、排水。汚れやすそうな所を選んでだ。すると、やはりやけにきれいなのが分かった。
「ん? だからなんだっていうんだ? それより、早く無敵さんとこに行かないと」
事実だけをまとめれば、無敵さんを知るじじいがゴミ拾いをしているだけだ。あのじじいが無敵さんの何なのかなんて、興味もなければ知りたくもない。でも。
「変なじじい……」
しだけ。本當にしだけ気にはなったが、あんまりゆっくりもしていられない。無敵さんの様子次第では、部活紹介の時間はおろか、今日の下校時刻にも間に合わなくなるからだ。俺はくるりと踵を返し、シャトーロータスへと足を向けた。
それにしても。
この街では、無敵さんの知り合い遭遇率が異常である。
あいつ、もしかしてスターなの?
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